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滋賀県彦根市 有川家

Arikawake, Hikone city, Shiga

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彦根市鳥居本町425,426 有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 "宝暦9(1759) 文化5(1808)増築" "店舗及び居室 桁行14.9m、梁間17.9m、一部二階建、入母屋造、北面水屋附属、桟瓦葺 玄関及び書院 桁行7.9m、梁間17.7m、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺、湯殿 桁行4.8m、梁間4.0m、南面廊下附属、寄棟造、桟瓦葺" 普請文書3冊 20121228

彦根市鳥居本町425,426 有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本) 文庫蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 寛政7(1795) 土蔵造、桁行5.5m、梁間3.6m、二階建、切妻造、桟瓦葺、南面庇付、銅板葺 20121228

彦根市鳥居本町425,426 有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本) 粉挽蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 宝暦12(1762) 土蔵造、桁行5.9m、梁間4.1m、二階建、切妻造、南面庇付、桟瓦葺 20121228

彦根市鳥居本町425,426 有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本) 薬医門 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化7(1810) 一間薬医門、切妻造、両袖塀附属、桟瓦葺 20121228

彦根市鳥居本町425,426 有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本) 大蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化12(1815) 土蔵造、桁行20.4m、梁間5.9m、二階建、切妻造、東面庇付、桟瓦葺一部鉄板葺 20121228


February, 23,2024  大野木康夫  source movie

 

主屋

                               

薬医門

           

大蔵

       

粉挽蔵

        


Nov.2014 酒井英樹

<主屋>
           


<藥医門>

       


Jan.5, 2013 大野木康夫 source movie

主屋、文庫蔵、粉挽蔵、薬医門、大蔵の5棟が、平成24(2012)年10月19日に重要文化財に指定するよう答申されました。

撮影日現在、告示はされていないようです。有川家は、中山道の鳥居本宿に所在する製薬業を営む商家である。

18世紀の初めに本家から製薬業を引き継いで分家し、本家の隣地に住宅を構えたと伝わる。

街道に面して建つ主屋は宝暦9年(1759)の建築で、文化5年(1808)に上段の間をもつ良質なつくりの書院を増築した。

あわせて二階の一部を増築したため、屋根が重なり合った複雑な外観を呈する。

三棟の土蔵のうち文庫蔵は寛政7年(1795)の建築で、細部に彫刻を施すなど凝った意匠をもつ。粉挽蔵は薬草の製粉、大蔵は丸薬の製造に用いられた。

有川家住宅は、江戸時代に近江の地場産業として発展した製薬業を営む商家の遺構として貴重であるとともに、江戸時代に整えられた屋敷構えを伝える町家建築としても重要である。

(文化庁報道発表資料より)滋賀県指定有形文化財となっていたのは6棟ですが、報道資料から推測すると、答申の棟名にない書院は、主屋と同一棟とされているような気がします。

有川家の家業である製薬業は、有川製薬株式会社として、現在も存続しています。

     

薬医門

文化7(1810)年の建築

薬医門、切妻造、桟瓦葺、両袖塀(延長8.3m)附属、東面土塀(13.5m)附属、番所含む

    

主屋

宝暦9(1759)(書院部分は文化5(1808))年の建築

主屋部 桁行14.9m、梁間17.8m、一部二階、入母屋造、桟瓦葺、平入

書院部 桁行7.9m、梁間17.7m、入母屋造、桟瓦葺、平入、

 北面湯殿附属、桁行4.8m、梁間4.0m、寄棟造、平入、渡廊下3.3m

                 

主屋の西側、国道沿いに土蔵が並んでいますが、答申にある土蔵ではないような気がします。

板壁の土蔵が答申にある「大蔵」と思われます。大蔵

文化12(1815)年の建築

土蔵造、桁行20.3m、梁間5.9m、切妻造、桟瓦葺、平入

                    

あと2つの土蔵は主屋の北側にあり、有川製薬の建物越しに屋根の先端がのぞいていると思われます。

写真左(東)が「文庫蔵」、右(西)が「粉挽蔵」だと思われます。文庫蔵

寛政7(1795)年の建築

土蔵造、桁行5.5m、梁間3.6m、切妻造、桟瓦葺、妻入粉挽蔵

宝暦12(1762)年の建築

土蔵造m、桁行5.9m、梁間4.1m、切妻造、桟瓦葺、妻入

    


Nov.2010 撮影/文:中山辰夫

赤玉神教丸本舗(あかたましんきょうがんほんぽ 有川製薬)彦根市鳥居本町県指定有形文化財

今でも大店舗を構えている。

その屋敷構えは大きく、間口23m、奥行32mである。堂々とした建物外観、機能的な建物構成は、江戸時代の大店舗の姿を良好に留めている。

店内右手にある大釜は、湯茶の接待に用いたものである。店頭販売だけのため旅人が争って求めた。

評判が高まると、類似した商品が登場したので、度々類似品販売差し止めを要請している。本舗には「にせ薬には注意するよう」 呼びかけた看板が残っている。

                          

天皇巡幸

主屋の東は、明治11年(1878)の天皇行幸の際に新設された御小休所である。

            

天皇の外出することを「御幸(ぎょうこう 行幸)」といい、天皇が各地を廻ることを「巡幸 じゅんこう」という。

明治天皇が明治5年(1872)から18年(1885)まで、6回にわけて行なった地方巡幸は「六台巡幸」と呼ばれ、江戸幕府の崩壊後新しい統治者として天皇を全国にアピールすることを主な目的とした。明治天皇が滋賀県の湖東地方を通過したのは、明治11年(1878)の第三回巡幸である。

往路:10月10日〜14日、復路:10月20日〜22日

ここ有川市郎兵衛宅には10月11日と21日御小休所となった。

福井から木之本、長浜、米原を経て鳥居本にひられ、有川氏宅で休憩を取られた。休憩の後、摺針峠を越えて高宮に入り、円照寺で宿泊された。



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