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滋賀県彦根市 仙琳寺

Senrinji,Hikone city,Shiga

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Dec.2011 中山辰夫

彦根市古沢町946 宗派:天台宗

本尊:阿弥陀如来佐和山の山裾に沿って進む。道の右側に立つ小屋に仙琳寺と書かれた小さな張り紙があった。裏口のようだ。

小屋横の細い山道を進むとお寺の境内らしいスペースに出た。ここが仙琳寺だった。

人の気配の無い境内らしい所を巡っていると山門があった。山門を抜けて小道を降りてゆくと、JR琵琶湖線をまたぐ鉄橋に至った。

まるで仙琳寺専用のために架けられた感じの鉄橋で奇妙な気がした。

 愛宕山仙琳寺は,彦根藩四代藩主井伊直興(なおおき 1656〜1717)の庶子本空(ほんくう)を開基とする天台宗の寺院で

幕末まで井伊家の外護は厚かった。中でも井伊直弼と二世慈空とは茶を通じてかなり深い関係にあった。

江戸時代の頃は、寺からは彦根城と城下が一望でき、眼下には琵琶湖と内湖が広がる景勝地で、参詣した者にとってもここからの景色は印象に残るものであったと思われる。鉄橋を渡って境内に入りなおした。正面に漆喰で塗り固められた山門が現れた。

「仙琳寺」の大きな扁額が掲げてあった。

見事な楼門をくぐると、阿弥陀如来を本尊とする本堂が建つ。

もともとは、中門を入ったほうに本堂が有ったようで、現本堂は異なる堂を転用したとされる。

また、井伊直弼を招いての茶会が開かれた場であったのか、現本堂には茶室と庭園跡が確認できる。

お堂の前に、案内掲示があった。

中門の中には愛宕権現堂、聖天堂、行者堂、恵明権現堂がある。

中門

恵明堂(右)・観音堂(中)・行者堂(左)

聖天堂(右)・愛宕社(左)

恵明堂・観音堂・行者堂

聖天堂

かなり手の込んだ彫刻が施されている。極彩色

愛宕社

かなり手の込んだ彫刻が施されている。極彩色

剥離した蟇股があった。

井伊家の命令で集められた十数体の石地蔵が山門脇の雑木林に並ぶとあるが未確認。

この寺は三成の茶室があった場所で、本堂裏の竹薮には、三成が茶の湯のために水を汲んだといわれる井戸が今も枯れずに残っているとされるが見つからなかった。

新しい動き

今、仙琳寺で「仙琳寺プロジェクト」がたちあげられて、活動が始まっている。

由緒

「愛宕山」という山号からも窺えるように、仙琳寺の地には、もともと愛宕権現を祀る社堂があった。江戸時代以前から存在していたとされる。元禄8年(1695)四代藩主井伊直興は愛宕社を修理し、その社前に舞台を建立した。

江戸時代の早い時期から藩の庇護を受けていた。この庇護は、彦根城下の火災除けという信仰による。

井伊直興の庶子千代之介が誕生。後に出家して名を本空と改める。自ら一寺を建立する決意を秘めたまま60歳で急逝。弟子の義空に決意を遺命した。十一代藩主井伊直中が義空を取り立て、寺院の普請を進め、直中の懇願で日光輪王寺の直末として認められ、輪王院から「仙琳寺」の号を賜る。義空は直中の厚い庇護のもと寺観を整備した。

阿弥陀如来立像及び両脇侍像

ヒノキ材 江戸時代

井伊直弼の書簡

仙琳寺由緒書

第四世亮空筆による

山門全景(引用)

参考資料≪彦根史 仙琳寺の歴史と美術、他≫

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