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滋賀県日野町 旧山中正吉邸 
Yamanaka Shokichi tei,Hino town,Shiga

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Food
 

Sep.17.2014 中山辰夫

 
蒲生郡日野町西大路1264

旧山中正吉邸は、馬見綿向神社参道の鳥居のすぐ手前、左側に構えた近江商人の商家である。規模の大きさや重厚なつくりに圧倒される。
山中正吉は、近江商人館の旧山中兵右衛門家の分家で、静岡県富士宮市で酒、醤油の醸造業を営み、後に造り酒屋として財を築いた代表的な日野商人。

これまで日野商人の歴史を伝えてきた「ギャラリー仁正寺藩」として親しまれていたが、町が土地を買い上げ、建物は前所有者から無償で譲り受けた。
現在、町教委町史編さん室が管理している。

案内

旧山中邸は、昭和14年に全面改装された木造商家で、敷地面積は1300u、切妻造り一部二階建てで四ツ間取り(田の字型)を基本にした主屋と新座敷や当時では珍しい暖炉のある洋間が設けられ、三棟の蔵、井戸屋形、納屋などが並んでいる。

外観

敷地は間口約36m、奥行約57mの凹凸のある長方形で、西側の道路に面して板塀をめぐらしている。間口中央に門を構える。

5月3日のお祭りに行き内部を見学した。

各部屋
[座敷棟][新座敷棟][新建][洋間棟]など15の部屋がある。いずれの部屋にも貴重な展示品が並べてあり、その合間から整いを知る。

貴重な展示品

初代正吉は絵画に精通。室内には日野町出身の水墨画家、高田敬輔の絵画など多数の美術品が展示されている。

台所周辺

奥の庭の台所には黒タイル貼りの大釜付きの五くちクド(おくどさん)が並ぶ。ケロック(煙の吸い込みを調節するもの)を備えている。
商人見習いの若者が「失敗しても『七転び八起きの心』で頑張りなさい」と教わり、励まされながら暮らした部屋もあり、当時ダルマがたくさん置かれていたという。


三蔵の一部

水洗バス トイレ 総タイル貼りである。

庭園
建物の東側には広大な庭園があり、据えられた石や燈籠の重厚なたたずまいに凛とした風格が加わり、近江日野商人の気品と繁栄ぶりがが伝わる。

新座敷からも窓越しに庭園を眺めることが出来る。

嘉兵衛燈籠 「奥ノ院型燈籠」
初代西村嘉兵衛(1850〜1915)から三代にわたってつくられた嘉兵衛燈籠には奥ノ院・春日・蓮華寺・利休・雪見等がある。
中でも圧巻は奥ノ院燈籠とされる。

その他多くの燈籠が建つ。

桟座敷窓
門の両脇を含め、3ケ所に桟式窓を設け、祭時には毛氈と御簾を掛け、風雅な景色を楽しむようになっている。

ここからの眺めは格別である。

山中家履歴
初代正吉は文化6(1809)年生まれで、山中与兵衛の八男である。与兵衛は二代山中兵右衛門の次男で、兵右衛門家から分家した。
兵右衛門家の祖先は代々蒲生氏に臣従しており、一時会津に居住したこともあるが、日野に帰ってきた。
初代正吉は文政年間(1818~30)に今の静岡県富士市で酒造業を営んで盛業であったが酒蔵に櫛比し店舗を閉鎖し、富士宮市で酒造業を営んだ。その後も店を広げ、酒・焼酎・醤油・味噌・酢の製造・販売を行った。初代正吉は、家督を譲ったのは明治12年(1879)の頃である。
二代目店を継ぎ店舗を増やしていった。三代目正吉は明治41年(1908)に家督を継いだ。三代目正吉の次男兵二は分家し、掛川市で大竹屋山中酒店を営み、昭和29年に山中酒蔵合資株式会社となり、現在に至っている。
大正14(1925)年の[静岡県下清酒醸造大角(おおずもう)番附」によれば、前頭に列せられ、県内有数の書増加であった。杜氏は能登杜氏を迎えていた。
二代正吉は富士馬車鉄道株式会社の株主でもあり、新甲州街道の改修事業では賛同者として名を連ねた。
三代正吉は第二十一代滋賀県議会議長、株式会社滋賀県農工銀行取締役を務めた。
四代正吉は昭和15年に株式会社蒲生銀行頭取を務めた。
五代正吉は昭和32年に滋賀トヨペット株式会社を設立し、社長及び会長を務めた。
本業の酒造は、現在富士高砂酒蔵株式会社となっている。

初代正吉は絵画を好み、村田東圃を師とした。日野祭の西大路曳山見送幕[白茶地群仙図綴錦]は、正吉の下絵をもとにしたとされる。明治10年の絵画展に出品し、出品した蓬莱山の絵が宮内庁買い上げとなり、その代金で村内の田用水の溝渠18カ所に石橋を架けたとつたわる。

参考資料≪近江日野の歴史、パンフレット、他≫





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