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滋賀県甲賀市 檪野寺 (含む阿弥陀寺)

Rakuyaji, Koka city,Shiga

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Sep.12 2016 瀧山幸伸 source movie

                    


Aug.2010 撮影: 中山辰夫

甲賀市甲賀町檪野1337

天台宗 近江西国第二十九番札所、湖国十一面霊場第八番札所、甲賀西国第一番札所

本尊:十一面観音坐像(国重要文化財)−日本最大である。

この寺院に安置されている重文の仏像の完成さと数に圧倒される。かつては有力天台寺院「甲賀六代寺」の一つで、天台浸透の拠点であったことがうかがえる。さらには、仏像の工房があったのでないかとさえ思われる。

甲賀駅からは3kmのところにある。“いちいの観音さん”とも呼ばれて、親しまれている。

赤塗りの観音橋を渡ると見えてくる。紫陽花が咲く頃に訪問した。

山門に向かって左側にはズラリと並んだ千体観音が安置されている。仁王門に架かる大きな提灯が目に飛び込む。

                 

境域は約5800㎡で、白壁に挟まれた仁王門を入ると正面に、昭和45年(1970)に再建された本殿・宝蔵殿が建っている。

旧本堂は昭和43年(1968)に失火で焼けた。ほかに庫裏や、鐘楼、民俗資料館になっている弥勒堂などがある。

寺宝が多く、十一面観音坐像や薬師如来坐像など、18体が国の重要文化財に指定されている古木像が20体もある。いずれも平安時代のもので宝蔵殿に収められている。ただし、地蔵菩薩坐像だけは文治3年(1187)在銘である。

他には、暦応3年(1340)の銘をもつ、県指定の木造弥勒菩薩坐像もある。

これら古仏は、本堂失火の折、在所の人が駆けつけて運び出したものである。

寺は建て変わってまだ新しいが、境内には樹齢1000年を越える巨大な檪(いちい)の木が一株ある。他に、最澄お手植えと伝える幹周り2.56mの大きな槙の老樹が見え、古い歴史を偲ばせる。

            

延暦11年(792)最澄が比叡山延暦寺根本中堂の用材を求めて立ち寄った際、霊夢によって、檪の木に十一面観音を彫刻し、これを本尊として安置したことに始まるとされる。

大同元年(806)、坂上田村麻呂が鈴鹿峠の山賊追討の成功を祈願し、戦勝後に七堂伽藍を造立して寺観を整えたという。

寺蔵の毘沙門天像は、弘仁年間(810—24)に村人が田村麻呂の威徳に感じてその姿を作蔵したものと伝える。

平安時代には、この地域における仏教文化の中心寺院で、甲賀6大寺の一つであった。

建久元年(1190)源頼朝の上洛の際にも、代拝を派遣したといわれ保護が厚かった。

平安時代には、この地域における仏教文化の中心寺院で、甲賀6大寺の一つであった。

元禄3年(1690)の頃当寺で檪野村の正月のオコナイが行なわれていた記録が残る。

仁王門

門の左右には仁王像が安置されている。室町時代の作とされている。

      

本堂・宝蔵庫

東大寺を小型化したような本堂。寛政年間(1789〜1801)に建ったまだ新しいものだが、重層入母屋造りの立派なもの。

天女の裳裾にも似た屋根の反りの美しさは油日文化の高さを示すものといわれる。本堂の奥に重文の仏像がズラリと並んで安置されている

中央厨子内に、秘仏で平安時代の本尊木造十一面観音菩薩坐像が祀られている。

    

東門

昭和43年(1968)本堂延焼の際焼け残った向拝を移築改装したもの。欄間に当たる部分の彫刻の背面に墨書がのこる。

           

土俵

延暦21年(802)坂上田村呂は夷賊を檪野観音の御力により退治することができ、当寺を祈願寺と定め国技の相撲を奉納した。

これが現在の奉納相撲である。

 

マキ

樹齢1200年・・・。

   

イチイの木

  

近江の聖観音は檪野が占める、と言われるほど聖観音が多い。6体に達する。地蔵尊も6体、十一面観音は半金色彩色の本尊を合わせて4体、ここにも現世利益の観音、地蔵信仰が盛んであったことが判る。この地域の天台文化の中心であったことを裏付けている。

以下の古仏はすべて国指定重要文化財である。

本尊 木造十一面観音坐像

像高:3.12mもあって、立ち上がると6mは越える巨像である。 10世紀後半の作 ヒノキの一材から刻み出されている。

十一面観音としては日本最大である。あまりの重量感と慈悲に満ちた尊像に圧倒されるのみである。

頭上に化仏を乗せ、右手に念珠、左手には花瓶を持つ彩色像。いくぶん素朴さも残るが、堂々たる威厳を備えた傑作である。

寺伝では最澄の自作とし、秘伝とされているが、特別拝観として年に数回だけ開帳している。古くから篤い信仰を集めてきた。

  

木造聖観音立像8体

ヒノキの一材 11世紀の作 像高:100〜180cm

「鉈彫像 なたぼりぞう」ノミ目を残し、近世の円空仏を思わせる。

  

木造薬師如来坐像

定朝様の丈六仏で12世紀中頃の作 錫杖・宝珠をもつ姿で、像高112cm、寄木造、金箔押し

 

木造毘沙門天立像

11世紀の作 一木彫、彩色だが、色は剥離している。像高:167cm、右手に宝棒をもち、左手に宝塔を捧げている。

  

木造吉祥天立像3体、

像高:100cm前後 一木彫

 

木造地蔵菩薩立像2体

文治3年(1187)住持連坐が数十人に勧進して造立した。

 

木造地蔵菩薩坐像

錫杖・宝珠を持つ姿で、像高:112cm、寄木造、金箔押し

 

阿弥陀寺(あみだじ)

甲賀市甲賀町檪野1172

浄土宗

本尊:木造阿弥陀如来坐像

檪野寺には7つの末寺がり、その一つに阿弥陀寺がある。阿弥陀寺は檪野寺の前の道を300m程行くとある。

戦国時代に堂宇を悉く焼失し、慶長14年(1609)道松(どうしょう)によって再興された、

現在の本堂は昭和39年(1959)に改築されたもの。

       

木造阿弥陀如来坐像

国重要文化財

本尊で、本堂の中央に祀られている。像高:1.09m、一木造、塗箔は剥離して黒色になっている。平安時代初期の作

衣紋線を強く表現し、膝部の翻波式の手法などに平安前期の造像を特徴付けている。

 

木造聖観音立像

国重要文化財

左の脇壇に安置されている。像高:1.03m、一木造、金色 平安時代初期の作

左手に蓮枝を持ち、右手は親指と中指を結んで垂下し、右足を少し屈して蓮華座上に立っている。

 

木造薬師如来立像

県指定文化財

左端に安置されている。一木造、重厚な体躯 平安時代初期の作

右手は施無畏印(せむい)を結び、左手に薬壷を持っている。

 

銅造誕生釈迦仏立像

右の脇壇に安置されている。像高:10.6cm、右手を上げたあどけない容顔の像で、白鳳期から奈良時代初期の作

上半身裸形、胸のふくらみを表し、下半身は足首にまで至る裳を着け、腰紐一条を正面で結び、結び目を表している。

 

檪野村

杣川(そま)の支流檪野川の谷に位置する。村域は檪野川に沿って鈴鹿山脈に至り、南東は鈴鹿郡、阿山郡、那須ケ原山(800m)が神村との境に位置する。

集落は檪野川の中流域に点在し、下(しも)の組・中の組・下田・上の組の垣内に分かれる。

中世は天台宗檪野(らくや)寺領と大原氏領であった。下の組垣内の南および北側には土塁の残る滝川城などの中世城跡がある。

滝川城は天正年間(1573〜92)に滝川一益が築いたとされる。

参考資料《パンフレット、滋賀県の地理、かくれ里を行く、その他》


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