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滋賀県甲賀市 飯道神社
Imichijinja(Handojinja),Koka city,Shiga

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甲賀市信楽町宮町7 飯道神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 慶安2(1649) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、向拝三間、周囲霧除附属、檜皮葺 宮殿3基、棟札2枚、銘札4枚、古材3点 19250424

Sep.11 2016 瀧山幸伸 movie

                                                                  


April 19,2014 大野木康夫 movie

一の鳥居

 

二の鳥居

     

七丁の参道入口〜一丁目

     

一丁目〜二丁目

     

二丁目〜四丁目

         

四丁目〜五丁目

     

五丁目〜六丁目

     

六丁目〜諸坊跡

     

諸坊跡は大規模でかつての繁栄が容易に想像できます。

      

三の鳥居付近

        

三の鳥居、七丁目付近からの眺め

                 

行者堂付近

  

行場めぐりへ

  

天狗の岩

  

さらに進む

               

不動の押し分け岩、平等岩

     

蟻の塔渡りへ

   

蟻の塔渡り

    

胎内くぐり

       

岩上

    

本殿裏の岩場

        

本殿(重要文化財)

                                                            

拝殿から帰路

         


Mar.2011 撮影:大野木康夫

3月26日の朝、雪が降る中、飯道神社に行きました。

   

麓の一ノ鳥居のところですでに雪が積もっていました。

  

参道入口まで自動車で行くと、木々が真っ白に雪化粧しており、足元が滑る中、山道を登って行きました。

          

神社に着くころには、5センチほどの積雪になっていました。

         

本殿(重要文化財)
慶安2(1649)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、向拝三間、周囲霧除附属、檜皮葺

極彩色の社殿です。

                                    

本殿の背後から行場が続いていますが、雪のため近づくこともできませんでした。

      






Nov.2010 撮影: 中山辰夫

(いひみちじんじゃ)(はんどうじんじゃ)

甲賀市信楽町宮町7
主祭神:伊邪那美尊(いざなみ)・速玉男命(はやたまのお)・事解男命(ことさかのお)
祭礼:5月5日

飯道山の山頂にあり、奈良時代初めに創建されたと伝えられる。
現在の本殿は江戸時代初期に再現されたもので、国の重要文化財として豪華な桃山形式の建築美を誇り、歴史の重みを伝えている。
昭和50年(1975)から53年にかけて行われた解体修理で創建当時の姿が再現された。
その際に、慶安3年(1650)の墨書が発見され、建立年度がはっきりした。
本殿は国重要文化財である。
拝殿、本殿以外の建物:神器庫、社務所 、境内社:1社、境外社:2社
本殿の後ろには花崗岩の大岩が屹立している。修行道も現存している。
              

町の北東部、甲南町との境界にある飯道山(654m)の頂上にある。延喜式にも名を残す古社である。
修験道の霊場として、奈良時代開基の飯道寺とともに栄えたが、神仏分離で飯道寺は廃され、神社だけが残った。
寛平9年(898)金勝山大菩提寺に弁分者二名の試度を許す太政宮符に当社が見られ、式内甲賀郡八座の一つである。
平安時代中頃僧安皎は五院を創立、後分れて三十六院となり、本社を飯道権現と称した。
本社は平安時代より神仏習合の聖地として崇敬篤く、特に修験者道場として隆盛を極めた。
元慶8年(884)従五位より従四位下に叙せられ、久安2年(1279)近衛天皇より飯道権現の勅額を下賜された。
当山は中世から近世初期にかけて修験道の全盛期を迎え、天正9年(1582)には織田信長・信澄も征戦の途次入山している。
同年、飯道寺は信長から寺領を安堵されている。
社領200石を寄進、以後徳川時代から代々社領として200石を安堵され明治に至った。
明治の神仏分離政策により寺院関係の施設は全部廃棄された、廃寺となったが、三大寺の飯道寺に法燈が継承されている。。

 「滋賀県神社誌より抜粋」
社務所
   

行者堂
役行者が二鬼を従え、その左に不動明王、右には蔵王権現、その前に山伏姿の像が一体祀られている。
5月5日の神社の春祭りには、前庭で行者講の手で護摩焚きが始められ、山伏や僧の読経が山内に響く。
    

拝殿
入母屋造、間口二間三尺、奥行二間三尺
    

本殿
国重要文化財:建造物:
間口三間、奥行三間、向拝三間の三間社入母屋造、正面千鳥唐破風(ちどりはふ)、軒唐破風(のきからはふ)付、正側面三方に裳階(もこし)が設けてあり、規模の大きな建物である。
屋根は桧皮葺き、入母屋造で正面に千鳥破風を、向拝には唐破風をつけ変化に富んだ外観を呈している。
蛙股や手狭の彫刻は桃山時代の作風を表しており、建物全体に漆や丹、極彩色を施した華麗な本殿である。
本殿の周囲には、本殿の建立と同時に付加された霧除けのための裳階(もこし)をめぐらしている。
慶安3年(1650)の再建で、本殿の擬宝珠に江戸時代初期の慶安3年(1650)の銘がある。

                               

石燈籠
本殿前にある。鎌倉時代末期の作とされる。
六角形、高さ2.03m
笠の背が低く、優雅な姿で、竿の中節には連珠文がある。
 

懸仏
県指定文化財
1038点
近世になって、飯道山周辺に山伏が居住する山伏村が生まれ、山伏たちは所属の多賀坊や朝熊坊と呼ばれ、山伏姿で社寺のお札を配り歩いた。この配布と一緒にお土産と渡したのが万金丹などの薬で、これが後の「甲賀の配置売薬」へと引継がれた。


飯道神社−行場体験

先達に導かれての行場めぐりである。総長約300m、大岩との戦いである。
迷路のような行場道と案内にあったが、全くその通りで、単独での行動は取れないし、禁止されている。
飯道山は甲賀・栗太両郡の境に聳える標高664mの山で、金勝山と一連の山並みをなしている。
古くは「いいみちやま」と呼んだ。近江の大峯山ともいわれ、修験道の開基、役小角(えんのおずぬ)が大和大峯山に入る前にこの山で修行したと伝えられる。
その頃から、延々と続いている行場と思うと、全身がしびれてくる。
岩渡り、潜りは油断できない。まして、カメラを持ったり、写したりの動きは危険が一杯であった。
古代より、山岳信仰の霊山として開かれ、中世以来、近江屈指の修験霊場として発展してきた飯道神社の行場に触れた感激は大きい。

入口出発
    

天狗岩―下に小社あり
    

平等岩
    

不動の押し分け岩
            

蟻の戸渡り
        

胎内くぐり
    

鐘掛け岩
    

不動の登り岩
      

本社裏に出る
  

飯道寺修験
古縁起などによれば、修験道の開祖とされる役行者を飯道寺の開基としているが、当山の修験道の起源は紫香楽宮遷都や神階奉授などを機会とする沙弥・優婆塞などの山林修行者や金勝寺関係僧徒の活動によるものとされる。
鎌倉後期以降は、熊野三山とのかかわりが強くなり、嘉元年中(1303〜06)に熊野山住侶の行範が当山に熊野修験を伝えたという。
応永31年(1424)本宮二階堂師檀契約書(二階堂文書)によれば、飯道寺先達慶信が三雲村(現甲西町)の地侍・僧・農民・女人からなる十五名の熊野講衆を率いて熊野三山詣でを行っている。
 





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