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滋賀県甲賀市 信楽 新宮神社 [含む愛宕神社]

Shingujinja, Koka city,Shiga

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Dec.2010 中山辰夫

甲賀市信楽長野1151

祭神:素盞鳴命(すさのをのみこと) 稲田姫命(いなだひめのみこと) 大山津見神(おおやまつみのかみ)

八坂神社前の旧街道は、立石橋で国道307号線と重なる。307号線を走って信楽の街中に入る。新宮神社は少し奥まったところある。

訪問した時は、街をあげて”信楽まちなか芸術祭“が開催されており、ここ新宮神社も会場となっていた。

広い境内を使って、全国的にも珍しいセラミック科、デザイン科をもつ県立信楽高校と信楽陶芸作家協会による作品の紹介である。

テーマは「自然」。境内は、神社の凛とした空間を舞台に、オブジェなど個性豊かな造形を紹介する現代陶芸の展覧会場化していた。

古くから新宮神社の摂社として祀られ、数百年前から毎年7月23日頃松明の元火を新宮神社の御神前より採火して、宮司が松明に点火すしそれを奉納する荘厳にして古式ゆかしい神事が現在も行なわれている。鎮火と信楽焼の守護神として厚く崇敬されている。

境内は11000㎡と広い。大木も多く繁っている。

新宮神社は奈良時代の霊亀元年(715)に創建された。

それ以来、信楽町長野、神山、江田、小川の産土神として広く人々から尊び崇められ社号を「新宮大明神」と呼ばれていた。

これまでに近衛関白家を始め、近江の守護佐々木氏などに篤く信仰され、代々当社に境内神領などの寄進があった。

南北朝の戦(1336)の兵火で焼失、再建されたが、その後台風で本堂が大破し、寛文3年(16639現在の本堂が再建された。

現代は信楽一之宮として厚く崇敬されている。

拝殿は能舞台様式である。

本殿は流造向拝付、御扉は二扉ある。

鰐口

市指定文化財

文安5年(1448)の記年銘のある市内最古の鰐口である。

鰐口は、参詣者が綱を打ち付けて鳴らす金属製の楽器で、通常表裏面に年月日、寄進の社寺名、地名、施入者名、鋳物師名などの銘文が記されている。

この鰐口は鋳銅製で、左右の吊手の間の肩幅が広く、甲盛が少なくなっている。

鐘坐は複弁八葉の蓮華文を配して、表面は外区左右に「近江州甲賀郡信楽庄、長野郷新宮文安五年戌辰九月八日」と陰刻されている。

柿の木

推定樹齢400年とされる。

神社鳥居の横に聳え立つ。秋には実が鈴なりになり壮観。境内地には他にも多羅葉の木など、いわれのある木がさりげなく佇んでいる。

 

愛宕神社・秋葉神社・陶器神社→参考資料

信楽町長野

祭神:火之加具土神(ひのかぐつちのかみー火の神)埴山姫紙(はにやまひめのかみー土の神)→愛宕神社 秋葉神社

 天日槍(あまのひぼこのかみ)→陶器神社

信楽の町を一望できる愛宕山山頂にあり、土の神と火の神を祀る神社

焼物の町ではならの陶器の鳥居や狛犬がある。

古くから新宮神社の摂社として祀られてきた。数百年前より、毎年7月23日頃、松明の元火を新宮神社の御神前より採火して宮司が松明に点火しそれを奉納する、荘厳にして古式床しい神事が今も行なわれている。

鎮火と信楽焼の守護神として、篤く崇敬されています。

創建時不詳ながら社伝によれば、先ず愛宕神社は平安時代前期・中期(10〜11世紀)の創建。

秋葉神社は貞享年間(1684)の頃、江戸時代の創建、大正時代に陶祖神を合祀して現在に至る。

徳川家康が本能寺の変、天正10年(1582)に堺から宇治田原越えで信楽に入り、当社に黄金造りの太刀を奉納。自ら祈願して命からがら無事に岡崎に帰った。黄金造りの太刀については、旧帝室博物館にあったが、戦後進駐軍により紛失(国外持ち出し)した。

東京芝の愛宕神社は、江戸幕府によって、当社のご分霊を慶長8年(1603)江戸に遷し祀られたと「芝の愛宕神社由緒」に記されている。

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