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滋賀県甲賀市 垂水斎王頓宮跡

Tarumitonguato, Koka city,Shiga

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General
 
Nature
 茶畑
Water
 
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 


Oct. 2010 撮影: 中山辰夫 

土山町頓宮

国指定史跡:指定 1944 06 26

垂水斎王頓宮跡は、現在の東海道である国道1号線の沿った丘陵上にある。この辺りは土山茶の産地で茶畑に囲まれている。

東西64m、南北73mのややいびつな方形区画に、高さ1m余の土塁がめぐり、その平坦な内部に井戸跡が一基確認されている。

区画の外側にもいくつかの平坦地があって、かなりの規模を持つ施設であったことが推定され、黒木で建設された優れた建物であったとの記録もある。

現在、頓宮跡はその中に1基の井戸が残るのみである。

茶畑に囲まれた垂水頓宮の森はふだんは静かな佇まいであるが、毎年3月下旬に開かれる斎王の行列を復元した斎王群行が開催され、華麗な平安絵巻が繰り広げられる。

「延喜式斎宮式」によれば、甲賀頓宮を出発した斎王一行は、鈴鹿峠を越える前に垂水頓宮で宿泊する規定になっていた。

「西宮記」には、昌泰2年(889)9月8日の夜に京都を出発した一行が11日には垂水に泊まったことが記されている。

平安遷都後の仁和2年(886)6月、大和経由の伊勢路から古来の東海道のルートであった倉歴道(油日越)に替わり、新たに「阿須波道(あすはみち)」が開通。

同年9月の伊勢斎内新王を皮切りに、文永元年(1264)の378年間に31人の斎王がこの道を通っている。

垂水頓宮は、鈴鹿峠を越えて伊勢路に入る、いわば京との最後の別れの場であり、斎王はここに着くと、天皇から賜った“別れの小櫛”を小箱の中に納め、お守りにするのが慣わしであったと伝える。

なお斎王の制は、崇神天皇のころに始まるというが、国家の大事として確立されたのは天武天皇の時代(673~86)で、後醍醐天皇のとき(1318〜39)まで続けられた。

斎王制度

斎王は、天皇の代替わり毎に天皇の御名代として伊勢神宮に赴き、天照大神の御杖代として祭祀を行なう者のことで、天皇の未婚の皇女または女王の中から占いで選び出され、伊勢へと遣わされた。

斎王は3年間の精進潔斎の生活を送り、都より斎王御所へ赴き、年3回の三節祭の時に伊勢神宮で祭祀を行っていた。

斎王制度は、第40代天武天皇の娘、大来皇女を初代斎王として第96代の後醍醐天皇の御代まで64人余りの斎王名が記録され、660年間続いた。

斎王群行

精進潔斎を終えた斎王は、大極殿で発遣の儀式を行い、天皇との別れの儀式の臨む。

「別れの御櫛」を受取ると伊勢の斎宮御所へ旅立つ。

群行と呼ばれるこの旅では、斎王は葱華輦(そうかれん)という輿に乗り、数百人のお供に付き添われて、途中の河川で精進潔斎を繰り返しながら伊勢へと赴いた。

平安時代になり、京都と伊勢を結ぶ官道阿須波道が出来ると、斎王群行は平安京から途中、勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、壱志の5ケ所で5泊し延べ6日をかけて伊勢の斎宮御所へと向かっていった。

13回を迎えた斎王群行

国史跡「垂水斎王頓宮跡」の貴重な情報を全国に発信し、この「あいの土山斎王群行」を市の観光と地域交流の場となることを期待して行なわれる。

参考資料《甲賀をひもとく、他》

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