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滋賀県米原市 筑摩神社
Chikumajinja,Maibara city,Shiga

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May 3,2016 中山辰夫

米原市朝妻筑摩1987

御祭神:御食津神  宇迦乃御魂神  大年神

筑摩神社は、1875(明治8)年朝妻・中島・筑摩の3村が合併してできた朝妻筑摩にあって湖岸に沿う集落である。
筑摩神社は集落から少し離れていて、筑摩の集落には神社がない。朝妻には朝妻神社、中島には中島神社がある。
筑摩神社の氏子は朝妻の内の筑摩と上多良、中多良、下多良の4字「字」に及び、祭はこの4大字によって行われる。
    
社暦は古く、草創ははっきりしないが、孝安天皇(前392〜前290)とも伝えているが、852(仁寿2)年に 従五位下の神階を受けている。
祭礼の「鍋冠り祭」が伊勢物語や御拾遺和歌集に詠まれている。

祭礼行列図  「引用」
1850(嘉永3)年、第12代彦根藩主井伊直亨公の上覧に際して描かれたもの。乙女が持っているのは神鏡、現在は中啓と呼ばれる扇を持っている。
  

琵琶湖、湖周道路、境内馬場、参道と並行して並ぶ。湖周道路沿いにある。右隣はエクシブ琵琶湖。境内地は4,806uである
       

当社の歴史


境内付近
          
御神紋は変わり稲紋  御祭神の「大年神」は、稲の稔りを司る神(漢字「年」の字義は「稲の稔り」穀物の中で稲の稔りが一年かかることから「年」の字が使われる

拝殿
入母屋造 間口4間 奥行4間
    

本殿
3間社流造 間口2間 奥行2間3尺
            

〔その他〕
神楽殿 御輿庫 手水舎 社務所   境内社(摂社・末社):天照皇大神

案内
  

≪参考≫
筑摩社並びに七カ寺の絵図
1291(正応4)年に画かれた絵図で、その後度々模写され、1815(文化12)年に写されたもの。興福寺料であったことから、興福寺派下と書かれている。
現在とは異なる神境の大きな規模を表わしている。
 

筑摩江
現在の入江地区をほぼ湖水面としていた内湖で、入江内湖・磯入江・磯内湖とも呼ばれ南に続く松原内湖に水路でつながっていた。
 
その名は平安時代から都人に知られ歌に詠まれ、歌枕となった。
  つくまえの 底のふかさを よそながら 引けるあやめの 根にて知るかな  (後拾遺和歌集)
  あわれてふ 心ひとつに つくまえの こひわたるとは しらずやあるらん  (古今六帖)

入江干拓事業は、1944(昭和19)年、食糧増産のため国営事業として内湖全域の干拓事業が着工された。学徒動員や勤労奉仕など延べ百万人もの人が従事して、1949(昭和24)年に完成した。干し上がった内湖は、256haの水田に生まれ変わった。

筑摩御厨(つくまのみくりや)
筑摩江周辺一帯に生活する漁労民が、贅人として供御の魚類を貢進した宮内省内膳司の料所。近江国内には他にも御厨が設定されたが一番古く登場する。
近江国は年料として煮塩年魚二石・鮒・鱒・阿米魚・氷魚を納め、「醤鮒・鮨鮒各十石、味塩鮒三石四斗」を筑摩御厨が造進した。そして近江・和泉・紀伊・淡路・若狭の五カ国の御厨が結審して、決められた日に貢進するが、近江国御厨は卯の日に御贅を貢進した。
種々の変遷を経て、1070(延久2)年2月14日でもって筑摩御厨は長く停止されることとなった。

筑摩祭
筑摩祭は筑摩神社の祭礼で、俗に「鍋冠祭」として著名である。
これはお旅所から神社までの渡御に狩衣姿の少女が鍋をかぶって行列に加わることからそう呼ばれている。
  
井伊直弼が生涯に一作だけ書いたとされる能の台本「筑摩江(つくまえ)」に鍋を被った女性の行列が登場する。
契った男性の数だけ鍋を頭に載せ、数を偽ると神罰が下る祭りだと縁起も語られる。初めて舞台化され、女性役を演じた狂言師の茂山千之丞さんが女性役を演じた。「鍋釡」の謂れについては諸説がある。

祭りのスケジュール
12時ごろ 筑摩蓮沼会館で準備(公開)
14時ごろ 「筑摩のお旅所」を行列が出発
16時ごろ 筑摩神社の本殿に参進

先ずはその準備からスタートする
筑摩蓮沼会館には正午過ぎより参列者が集まる。
            

小さな突起が出ているのが釡、何もないのが鍋  全部で8個
    
メインの鍋冠りの準備(衣装着付け・ほか)が大変  小学校1〜2年生の女の子が8人、まだまだあどけない純真な子たちである。
               
和紙で作った鍋と釡の冠をかぶり、緑色の狩衣に緋色のはかま姿の女児たち−鍋冠人−が祭の主役です。
朝妻筑摩と他の4地区から選ばれた6〜10歳(小学1〜5年生)の女児が、神輿や御鳳輦(ごほうれん)などと共に行列をなして湖岸をゆっくりと練り歩きます。
鍋冠祭は平安時代から続く伝統の祭礼で都人に知られており、伊勢物語や 後拾遺集に詠まれています。
 

お旅所
公民館から数百m離れている。筑摩の集落内にある神輿の蔵があてがわれ衣装などを納めている。
筑摩神社の神木は「柳」で、神社や御旅所に立てる幟棹の先には柳枝の束が括りつけられている(未確認)。別名「柳の祭」と称される。往時は神域が柳樹で覆われていたとされる。
        

祭礼の時先頭を歩く猿田彦は柳の枝を持つっていたが現在は榊である
 
14時頃、行列はここからスタートする。神社までは約1kmの距離

行列
湖州道路の琵琶湖側をゆっくり行列が進む
                               

筑摩祭は、その社殿が文化年間(1804〜1818)に大きく修改築がなされ、この時渡御の衣装・諸道具なども新調され、祭礼が復興した時期とされている。
1850(嘉永3)年には藩主井伊直亮の上覧もあり、その際に祭礼行列絵図が描かれた。
神社杜祭礼は何度か衰退をと再興を繰り返してきた中で、江戸時代末期が一画期であった。
1501(文亀元)年祭礼行列図  「引用」
  

写真の引用は「鍋冠祭保存会HP」「近江国坂田郡誌」よりさせて頂きました



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