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滋賀県米原市 湯谷神社

Yutanijinja,Maibara city,Shiga
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Nature
 
Water
 
Flower
 
Culture
米原曳山祭り
Facility
 
Food
 


Nov.2011 中山辰夫

米原市米原771

祭神:大己貴命 水門神 保食神

祭礼:10月10日(米原祭)湯谷神社は、米原駅より東へ約400m、だらだら坂を登りつめた太尾山の麓にある。歴史は古い。

社伝によると出雲国の人が諸国行御の途次、鎮座地(湯谷と称する)で村人に地を穿たせたところ温泉が湧き出したので祠を建てたという。「輿地志略」によると、この温泉は諸病に効いたが、ある人が馬を湯坪で洗ったため湯が枯れてしまったという。

同社の祭礼(10月10日)には曳山が出てその上で子ども歌舞伎が演じられる。一の鳥居を過ぎると境内、すぐに二の鳥居となる。

二の鳥居の正面は拝殿

入母屋造 間口3間 奥行3間

拝殿から中門および本殿は囲まれて見えない。

本殿

三間社流造 軒唐破風付 間口一間二尺 奥行一間二尺

境内社(摂社・末社)

前光稲荷神社 六所神社 牛頭天王社 金刀比羅神社 春川稲荷神社

由緒

創祀年代は不詳である。古来六所権現と称したが、明治以後地名に因み、湯谷神社と改称した。

上古出雲国人が諸国を巡ってこの地に至り、里人に池を掘らせると、霊泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を小谷の岩上に奉斎した。

温泉は万病に効くと伝えられ、崇敬者が多く、後に水門神、保食神を合祀したと伝えられている。

輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉あり諸病を治す。或日葦毛の子を此の湯坪に洗いしより此の湯かるゝ」とある。

後白河上皇の御代、日吉の社領となって、当社を山王権現社とも称せられた。

今井備中守秀遠は、箕浦庄の地頭職として、当地を治めた故、当社を守護神と崇め、その一族米原氏も社殿を修理し、社領を献じた。

文明3年米原山太尾城に激戦があり、当社は焼失したが、天文13年今井氏は、米原氏をして再興せしめ、大山咋命を勧請した。

文禄4年岩脇氏は、社殿を修復し神門を寄進した。

享保17年彦根藩主井伊直惟は社殿を再興し、手水鉢、木造狛犬を献じ、明治22年には、三条実美が社号額を寄せている。

又境内には明治11年明治天皇北陸巡幸の際小休止された北村邸の行在所がある。 10月 11日 曳山祭り

起源不詳。毎年、湯谷神社の例祭日を中心に行われている。

明和7年(1770)に三基の曳山がつくられたのがその始まりという。現存の曳山は江戸時代末期以降に使われだしたもののようである。

北・中・南の各町から一基ずつ山車を出し、境内で奉納後、各町を巡行し、庶民的で優美な子供狂言を繰り広げる。

御幣渡しに始まり、宵宮、役者渡りと奉納、後宴、御幣返しといった次第で執り行われる。

境内の一角に曳山の蔵がある。

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