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長浜 長浜曳山まつり
Nagahama Hikiyama matsuri

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Apr.2010 撮影/文:中山辰夫

国選択無形文化財

長浜市宮前町の長浜八幡宮の例祭で、4月14日〜16日に行なわれる。国の重要無形民俗文化財である。
春三月ともなると、長浜の町にはシャギリ(囃子)の音が流れてくる。長浜曳山まつりの華、子ども歌舞伎は、一ヶ月前から稽古が始まる。
今年は合併による市制拡大を祝して、曳山全山総出のオンパレードとなるため、例年以上に盛り上がっている。

長浜市

滋賀県の北東部に位置する湖北地方の中心都市で、琵琶湖畔のまちである。
この地は古くを「今浜」といったが、秀吉が天正2年(1574)その居城をこの地に移してから「長浜」となった。
秀吉は、湖岸に城を築き、その東側に南北にやや細長く基盤目状の町割を実施し、小谷城下の寺院や町、近傍の市場や商人たちをその城下に集め城下町を形成していった。
秀吉が天正10年まで在城した後は、柴田勝豊、山内一豊と代わり、関が原合戦以後に内藤信成・信正を経て元和元年(1615)廃城となった。
この後は彦根藩井伊氏の預かり地となり、のち支配地となった。
後は、彦根藩の中で商工都市として存続していった。
長浜は彦根藩領の湖北における物資の集散地としての彦根三湊の一つとして、また、北国街道の宿場的な町として、しかも長浜八幡宮の門前さらには、湖北真宗門徒の一大拠点長浜御坊大通寺の門前町として発展していった。

近世を通じて人口は元禄8年(1695)4723人からのち4900人前後を数え、戸数も同年の1084戸から寛政元年(1789)1257戸 安政4年(1857)1361戸と増加していた。

町方支配地となった長浜は、城下町時代の都市の伝統を受け継ぎ、元禄8年(1695)には90種にもおよぶ職種が記録されている。
また湖北の養蚕地帯を背景に「浜糸」「浜絹」を生産していた。
さらに宝暦年間(1751〜64)に丹波から縮緬技術が伝えられ、長浜でも広まり、彦根藩の保護のもと文化7年(1810)には36軒の株仲間ができ、生産高は寛政9年(1797)には一万五千疋を数えたといわれる。
また、寛文年中(1661〜73)から蚊帳の生産が行なわれ、明和・安永頃から隆盛となった。
次に浜ビロードも近世中期に西陣より伝わった。
以上のように近世に入り、町は活気づいていった。
勿論これら産物は彦根藩の重要な産物として扱われた。

曳山祭の由来

一般的に天正年間、秀吉の男子出産を祝して秀吉が町民に祝金を振舞い、その金子を基にして各町々で曳山を造り曳きまわしたのが始まりとされている。
寛文6年(1666)に古記や古老の聞き書きをまとめられた一書によると、長浜の曳山祭は、秀吉によって復興し、祭礼の日を9月15日と定め、源義家の凱旋にちなんで、その様子を写した行列を行なわせた。
つまり、神木で作った8尺あまりの太刀をたずさえた歩行渡りの行列で、これが太刀渡りの始まりである。
この後長浜10人衆の行なうことになった。
このころから町々から思い思いの歩行渡りがあり、その後秀吉に男子出生したことにより金子を頂戴して曳山を造立していった。
時期的には近世前期に成立したといえる。

曳山は秀吉以来の町屋敷年貢米300石免除地という特典や町の宿場町・港町・門前町といった性格の上に、さらに浜縮緬、浜蚊帳・浜ビロードなどの生産が盛んとなった近世中・後期から顕著に手が加えられた。
こうして、曳山が新たに再建されたり、楼閣造の亭(ちん 二階部分)が付加されたり、見送り幕や飾金具が新調されて現在町々に伝存される曳山となっていった。

子ども歌舞伎

寛保2年(1742)以降の船町組に残された狂言台本や明和6年(1769)以降の各狂言が外題記録に残されており、当時すでに曳山の舞台で演じられていたことが知れる。
長浜曳山祭は近世前期に成立して展開し、近世中期に曳山となっていき、今に伝えられている。
ここには、近世長浜町人の意気や祭礼に芝居を取り入れた文化性を感じとれる。
そうして、いまに至るまで、こうした伝統を持つ長浜の人々の祭りに寄せる気持ちが、曳山祭を今に伝えてきたといえる。

曳山祭は多くの行事で成り立っているが、大きく分けると、子ども狂言に関するものと、太刀渡りとに分けられる。
子ども狂言は5才から12才までの男の子が役者となる。
役者以外に御幣もちや、榊持ち、舞台方の役割がある。
さらに、囃子方という役割もあり、その保存に役立っている。
女子は曳山に乗らない範囲で囃子や稽古場の手伝いに参加する。
子ども狂言に関する三役つまり振付・太夫・三味線はそれぞれ専門家に依頼してきたが、地元でも人材が育ちつつあるようだ。

4月13日〜16日の間、行事は順序だって進められる。

4月13日

4月14日

4月15日

祭りの八幡宮

祭りの長浜市内
市外からの見物人が圧倒的に多い。


御旅所
市街地の各所で歌舞伎を演じた後、夕方から別の曳山が待つ御旅所に一番山から順に入って歌舞伎を奉納する。
曳山が御旅所に勢揃いするのは4年振りのようで、全山に提灯が灯った頃合が最高の盛り上がりとなる。

曳山子ども狂言
「山の芸」、「芸」と親称され、6,7才から11、12才までの男子が役者となって、20日間程度の稽古を経て行なわれる。
子ども狂言は曳山の舞台に合うように45分程度に圧縮されている。

曳山の入替えと見物者
桟敷の陣取った歌舞伎フアンのご婦人連から喜々とした歓声が演技毎に起こりご満悦のようです。

シャギリ(囃子)
曳山の巡行や子ども狂言の際に演奏される囃子であり、「シャギリ」と呼ばれている。
編成は、太鼓・しめ太鼓・すり鉦が一人ずつ、篠笛が4〜5人の編成である。
祭を進行する合図にもなり重要な役割を持っている。
曲目で山を動かしたり、狂言を始める合図にもなる。
最近は長浜曳山祭囃子保存会が結成され子どもたちに篠笛の奏法から教えている。
その他、裏方としてバチをふるい、語る三味線と大夫さんやじっと役者を見守る振付さんもプロが務めることが多かったが、最近では地元生え抜きが育ってきている。
もともと湖北は近江三座の猿楽発祥の地であり、浄瑠璃を語る人や三味線を弾く人の蓄積があった。
こうした背景も伝統を守る力につながっていると思われる。
いま長浜では地域ぐるみのまつりの姿をとり戻そうと小学校にシャギリクラブが作られたり、浄瑠璃や三味線の修行塾ができ始めている。

曳山が巡行する道中に設けられた狂言執行場所を桟敷といっている。
八幡宮、御旅所以外の市街地で歌舞伎が上演される。5ケ所設けられている。

曳山は全部で13基あって、12基の曳山が毎年4基ずつ交代で巡行する。長刀山は毎年御旅所に据え付けられる。

鳳凰山(祝町組)
曳山本体、亭ともに文政12年(1829)の作。亭は四柱造りのむくり屋根で、亭上には鳳凰の木彫を置く。
トロイ戦争を題材にした見送り幕は16世紀ベルギー製の飾毛綴で重要文化財。
舞台の格天井は華麗な絵天井で、大紅梁や前柱の飾金具も精巧な作りを見せる。

通称「ヤマ」と呼び舞台を持った曳山で、主体部分、舞台および楽屋と呼び、その下部の台車部分を下山、上部(2、3階)を亭(ちん)と呼んでいる。
高さ約6〜6.5m、幅約3m、長さ約7mのものである。普通解体せず、土蔵(山蔵)に収められる。舞台は4畳半位の広さで、周りを高覧で囲み、正面を開ける。
前面に前柱が左右に立ち、吹き放しとなっている。屋根は唐破風あるいは切妻で千鳥破風が付いていたりする。
舞台とその後部の楽屋との間は、つら幕と舞台障子によって仕切られ、役者の出入りに用いられる。
障子の裏側は、三役台で浄瑠璃、三味線が演じられる。その余りは楽屋となっていい手、三面を幕で囲む。
また曳山の正面と両側面には花道(橋懸り)を引き出せる仕組みになっている。
亭は、重層あるいは単層の楼閣造の構造をしており、各山ともに趣向を異にしている。
この部分で囃子を行なう。この亭上に宝玉や飛竜・鳳凰・金鼓鶏などの飾りを付ける山もある。

これらの曳山はいずれも、金、銀、朱、黒などの塗りや飾金具、重要文化財となっている翁山や鳳凰山の飾毛織をはじめとし、
毛綴や錦、刺繍などの(胴幕、見送り幕)によって美しく装い、曳山の建築美とともに曳山を豪華なものにしている。

曳山を造ったのは殆んどが伊部町に住んでいた藤原家一門の大工さん。
13基の曳山のうち9基を造った。
藤原甚兵衛の後を藤原重兵衛が継いだ。
両家は代々仏壇屋だった。
仏壇を造る技術が、絢爛豪華な曳山を造る技につながった。
曳山の飾金具の中には国友鉄砲鍛冶の手によるものがあり、膳所(大津市)の奥村菅次一派の作になるものも多く含んでいる。

曳山の名前は、文政8年(1825)に、彦根藩主井伊直中の60才のお祝いに、12組の子ども狂言が呼ばれた時、名前の付いてない山にも急遽名前を付け、現在の山の名が揃った。
この12基以外に、三つ車形式の飾屋台を持つ曳山一基が長刀組にある。

見送り幕 
鳳凰山飾毛綴 国重要文化財
16世紀にベルギーで製作されたもの・B・B(ブラバン・ブリュッセル)製のタペストリーで、京都祇園祭鶏鉾の見送り幕と一対をなすもので、「イリアッド」の物語の中のトロイの王子ヘクトル、妃アンドロメーシュ、および息子のアストロヤナスが描かれ、王子が敵将アキレウスとの一騎打ちにでかけるため、別離を惜しむ場面を表す。鳳凰山のは妃の部分という。
文化14年(1817)金200両で京都から購入されたもので、古文書も残っている。

翁山飾毛綴
国重要文化財
16世紀にベルギーで製作されたタペストリー。トルコとベネチアとの講和の図といわれる。
加賀の豪商・銭屋五兵衛から買い求めてきたものと伝承されている。

上記の内容の多くを “近江の曳山祭” から引用させていただきました。
参考資料 《近江蒲生郡志、湖国百選、郷土資料辞典、近江文化財教室、近江の曳山祭、みーな、パンフレット、他》



滋賀県長浜市 曳山博物館
Hikiyama museum, Nagahama city,Shiga


Feb. 2010 撮影: 中山辰夫


長浜市元浜町14−8

400年以上の歴史があり、日本三大山車(だし)祭りの一つに数えられる長浜曳山まつり。
ここでは、曳山まつりで実際に巡行する絢爛豪華な山車を紹介している。
また、5歳から12歳までの男の子が時代絵巻さながらに熱演する」子ども歌舞伎など 祭りの見所を65インチのモニターで楽しめる。



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