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滋賀県長浜市 国友鉄砲の里資料館
Kunitomo teppo museum,Nagahama city,,Shiga




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Oct.2010 撮影: 中山辰夫

長浜市国友町534

長浜市の北東部、長浜駅から約5kmの姉川のほとりに鉄砲の里国友、長浜市の国友町がある。
国友町は、戦国期から江戸時代にかけて鉄砲の生産地であり、日本の三大鉄砲産地に数えられ、火縄銃は精度で日本一を誇った。
天文13年(1544)、室町幕府12代足利義晴の命により、六匁筒二挺をつくって献上し、”能当“の銘を賜ったのが起りという。
以後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らに優秀な鉄砲を供給し、近世には鉄砲鍛冶の村として栄えた。
特に家康は慶長10年(1605)に代官を置き、1607年に鉄砲鍛治の法度を定め、幕府の御用鍛治に指定した。大坂の陣に向けての鉄砲の大量注文は国友の地位を不動のものにした。
最盛期には70戸余の鉄砲鍛治が存在し、技術も進んで繁栄した。しかし島原の乱(寛永14年(1637))以後は戦乱が絶え、注文も激減していった。

江戸時代の後期、東洋のエジソンと呼ばれる発明家・国友一貫斎を輩出した。
一貫斎国友藤兵衛・号一貫斎(1778〜1840)は、鉄砲の製作法を公開し規格を統一した。天才的な発明家で、ポンプの原理を研究して文政元年(1818)にわが国最初の空気銃を完成し、天体望遠鏡を作製し太陽黒点の観察記録を作成もした。
他方、天保の大飢饉の際には、自作の作品を売って、国友村の救済に貢献した。
館内には、戦国期に使われた火縄銃の展示のほか、鉄砲鍛冶の現場がジオラマで再現され、鉄砲鍛冶集団の歴史と文化が分かり易く紹介・解説されている。
国友一貫斎翁顕彰碑は資料館から約100m南の屋敷跡に建つ。

国友町 街並み


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