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滋賀県大津市 長安寺
Choanji,Otsu city,Shiga

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大津市逢坂2-3-23 長安寺宝塔 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 鎌倉前期 石造宝塔 19600209


July 27,2014 大野木康夫

所在地 滋賀県大津市逢坂2丁目3-18

参道

石造宝塔(重要文化財)

巨大なだけでなく、塔身の曲線、光沢が美しい石塔です。

本堂

小野小町供養塔


June 2011 中山辰夫


大津市逢坂二丁目
時宗
本尊:阿弥陀如来 石造宝塔が国重要文化財

京阪電車石坂線上栄町駅で下車。踏み切りを越えた所に石段があって神社の案内があり、西国三十三ケ所とある。

石段を上り始めると左側に大きな碑“獣魂碑”が建っている。

右側奥には重要文化財の石塔がポツンと建っている。

石道をすすむと境内である。ここが謡曲「関寺小町」に出てくる関寺跡とされる。
関寺は「更級日記」にも記され、日本三大仏の一つを祀る立派な寺であったという。

本堂には石仏15体が祀られている。

小野小町供養塔(五輪塔)
関寺は小野小町が庵を築いたとも伝わる。

一遍上人供養塔(五輪塔)、超一房(一遍上人の妻)供養塔
鎌倉時代に遊行僧一遍上人が留錫したことから時宗となり、浄土念仏道場となった。

百体地蔵
昭和35年(1960)比叡山の麓から集められた百体の地蔵。元亀2年(1572)比叡山の焼打ちで埋もれていたもの。

関寺の牛塔 高さ3.3m 平安後期〜鎌倉の作 国重要文化財指定


基礎は八角、塔身の平面は円形、笠は六角、石造宝塔としては最大である。

獣魂碑
昭和2年(1927)建立。高さ1.66m
平成20年(2008) 7月18碑には、寺関係の物故者の供養と共に口蹄疫で処分された畜類の供養も併せ行われた。
霊牛塔と獣魂碑を境内にもつ長安寺だからできたとのこと。

本堂の右側に建つ庫裏の横から石段が始まり 参道となる。園城寺の境内に続く山道を登る。途中には西国三十三カ所めぐりの石仏が処々に立っている。崩れかけの石積みもある。山道は落ち葉が積もり、人の訪れを感じさせない。


裏参道の出口で広幅の道に出た。この広道を行くと高観音近松寺から長等公園、長等神社、三井寺へと続く。

『参考』

牛塔
白州正子の「かくれ里」より抜粋
『石塔寺と匹敵するのは、逢坂山を越えたところにある、関寺の牛塔であろう。石塔寺との間には、約三百年の隔たりがある。ここはもはや大陸の残り香はなく、完全に日本のものに化している。人工から再び自然に近づいたといえようか。
はっきりした形は失ったかわりに、漠然とした大きさと、温かみにあふれ、笠をのせたような印象をうける。
牛塔とか牛塚と呼ばれるのは、横川の恵心僧都が、関寺の再興をはかり、工事のために牛を使用していた。
その牛が迦葉(かしょう)菩薩の化身であるという噂が立ち、前関白道長屋、頼通が拝みに来るという騒ぎだったが、噂に違わずその牛は、工事の終了とともに死んでしまった。
その供養のために建てたのがこの宝塔であるというが、俗に和泉式部とか、小野小町の塔とも呼ばれている。
「年々に牛に心をかけながらこそ越えね逢坂の関」と、式部が詠んだからで、小町の方は、謡曲の「関町小町」から出た伝説にちがいない。が、牛や美女では不似合いで、よほどの名ある高貴な人か、もしかすると、恵心その人の供養塔だったかも知れない。
いずれにしても、こんな美しい石塔が、二つながら近江の地にあることは、良材に富んでいたのはもちろんだが、その裏にある石の信仰と伝統のたまものといえよう。

獣魂碑
都が東京に遷都し鉄道が開通したので、牛は農耕と肥料生産の主力となり農宝として殆の農家で飼育され、戦後農業機械化が進むと乳肉提供の主役となって、疲弊しきった国民の栄養改善に大きく寄与した。
特に近江牛は既に江戸初期より将軍家に献上した長い歴史があり、昭和初期には全国的に近江牛の肉質が最高であると認められ、昭和2年11月には大津周辺の家畜商や食肉商により長安寺境内にこれ又高さ5メートルにおよぶ恐らく日本一の獣魂碑が建立されさらに昭和12年が丁丑歳にあたるので由緒ある長安寺において、同年4月に全国食肉連合会が主催して盛大な牛供養が行われた。
(HPより)

 



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