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滋賀県大津市 月心寺
Gesshinji,Otsu city,Shiga

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July.2011 中山辰夫



大津市大谷町27-9
臨済宗単立寺院

京阪電鉄大谷駅を出て、すぐ左の歩道橋を渡り、国道1号線沿いの狭い歩道を京都方面に向い約400m歩くと左側に月心寺がある。
国道1号線はいつも交通量が多い。

古くから名水として知られる“走り井”はここにある。

往古より東海道を行き来する旅人たちが、この清水を求めて足をとどめた。
この走井の清水については、多くの詩歌や文学作品に登場している。
例えば、藤原定家の「旅人の ゆききをいそぐ 相(逢)坂に、はやくも見ゆる 走井の水」はよく知られており、枕草子や蜻蛉日記などにもその名がみえる。さらに、安藤広重の錦絵にも登場する。
「近江興地志略」では「石を畳んで一小園池とす。その水、はなはだ清涼にして、冷気凛々たり。今は茶店の庭とし旅人憩息の便とす」と走井の情況を書いてある。


魚売りが、ほとばしるように湧き出る走井の水で盥(たらい)の水をかえている様子を描写

盛況を極めたこの地は、茶店のあと無住で荒れていたが、大正3年(1914)頃に明治から昭和を生きた橋本関雪画伯が朽ちるのを惜しんで別邸にし、庭の修復に力を注いだ。
画伯の死後、昭和20年(1945)に月心寺として宗教法人となり、現在に至っている。

国道沿いに長い土塀をめぐらし、軒行灯(のきあんどん)を掲げた風雅な門をくぐる。

道路側からは一見簡素にみえた門も、内部は手の込んだつくりになっており、続く庭とよく調和している。

派手さもなく、優しさが感じられる落着いた前庭である。

成務天皇の産湯に使ったともいわれる、目指す"走り井“は奥のほうにある。

走り井
山間に湧き出る水の勢いが、走井のようだからその名が付けられたと思われる。

現在もコンコン湧き出している泉

村瀬明道尼さまが体調を崩されて療養中とのこと。
好評であった精進料理もお休みです。ごま豆腐から始まる大好評のお料理は食べきれないほどのボリュームとか。

書院を含めての、これから先の拝観については、留守を預かる人で判断できないと許可されなかった。

資料によると、相阿弥が造ったともいわれる、斜面をうまく利用した池泉式庭園がある。
庭園内には
★持仏堂には、関雪画伯持仏と伝える聖徳太子像が安置されている。
★奥に百歳堂がある。中には運慶の作と伝える小野小町百歳像が安置されている。晩年百歳の老いさらばえた姿で逢坂山に隠れ住んだとの伝えによる。

★芭蕉の句碑がある。「大津絵の 筆のはじめは 何仏」
★西側山麓、橋本画伯の廟所には、応永8年(1401)の造立銘がある高さ2.7mの八面石幢が立っている。
丹後の(京都府)の長徳寺から移したものである。
★庭園は名庭とされる。江戸時代の書院庭園で池泉回遊式 水を十分に生かした趣のある庭園
山の斜面を見事に利用し、中央に池を穿って味わいある石橋が掛かっている。
池のほとりには、庭園の雰囲気とよくあう石灯籠と石塔が立ち、縁の中に趣の深い景色を作り出している。
と出ている。

写真(引用)

聖徳太子会
4月21日、月心寺で行われる。この法要は開基・橋本関雪画伯の持仏であった2歳の聖徳太子像を本尊として安置する本堂「持仏堂」の直前で、太子筆「篤敬三宝(篤く三宝をうやまう)の宝符を参詣者に授与する珍しい行事である。
開扉された聖徳太子像

≪蜻蛉日記≫に記された、にぎわいの様子。
走り井には、これかれ、馬うちはやしてさきだつもありて、いたりつきたれば、さきだちし人々、いとよくやすみ涼みて心ちよげにて、車かきおろすところによりきたれば、しりなる人、 【うらやまし こまのあしとく はしりゐの】といひたれば、【清水にかげはよどむものかは】
ちかく車よせて、あてなるかたに幕などかきおろして、みなおりぬ。
てあしもひたしたれば、ここち、物思ひはるけるやうにぞおぼゆる。
暑い夏のさなか、唐崎へ行った帰りに、ここで休み、物思いが晴れた心地がしたという。

追加資料
関寺小町と百歳堂

資料 滋賀県教育委員会発行 (滋賀県の近代和風建築)

追記

西側の区域
手入れが必要な状態に見受けた。持仏堂・雨花亭は昭和15年の建築

雨花亭

持仏堂

境内




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