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滋賀県大津市 紀貫之の墓
Kino Tsurayuki memorial,Otsu city,Shiga

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Oct.16.2017 中山辰夫

大津市坂本本町

紀貫之の墓が比叡山の中腹にある。叡山鉄道の「もたて山」駅が最寄りの駅で、普段は停車しない。次の駅が延暦駅である。
もたて山駅に下りると墓の標識が立ててある。
    
標識には、平成15年11月 土佐日記発祥の地 高知県 設置主体として「南国市」「南国市商工会」「南国市観光協会」「国府史跡保存会」と記されている。

墓まで500mとの案内に従い山道を進む。あいにくの小雨で視界が悪い。 見晴らし台も役に立たない。
      

ゆっくり足で約20分歩いて到着 ほぼ山頂に近い場所にひっそりと建っている。
      
墓石の前部には、木工頭紀貫之朝臣之墳、裏面には明治元年(1868)「九月十有八日」とある。土佐守を経て従五位上・木工頭に至る

紀貫之は『土佐日記』でしられ、古今和歌集の代表歌人としても有名。三十六歌仙の一人。
この地への墓の建立は、琵琶湖を望める絶景をこよなく愛し、没後はこの地に葬るよう願っていたことによるとか。
比叡山に参詣して帰参してから詠んだ歌(古今集)
 《 山高み見つつわがこしさくら花風は心にまかすべらなり 》

傍らに立つ碑−「裳立山之碑」
       
1912(明治45年)1月13日に裳立山(もたて)山頂に建立された。高さ2.31m。紀貫之の歌道における功績を讃え、明治天皇も歌道に理解が深いことを喜ぶ碑文が刻まれている。

紀貫之は 土佐の国司として4年間赴任、帰京の船旅で記したのが「土佐日記」。
ゆかりある高知県南国市の市民で作る国府史跡保存会のメンバーの人達が毎年、貫之の髪と爪を埋めたと伝わる比叡山の墓所を訪れており、今年も4月に墓参をおこなった。34回目になるとか。

参列者が墓前に地元のトマトやブンタン、地酒などを供え、線香を手向けた。
代表者は、「郷土を全国に知らしめてくれたことを感謝し、その思いを次世代にも引き継ぎたい」と語ったと報道された。

無道谷へ
この山道はハイキングコースとなっており、無道谷へ続いている。
 

紀貫之の墓への標識は坂本で見かけることがある。代表的なもの
   
延暦寺大講堂に通じる坂道に建つ。


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