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滋賀県大津市 旧伊庭家住宅(住友活機園)
Kyu Ibake(Sumitomo Kakkien),Otsu city,Shiga

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大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 洋館 重文 近代/住居 明治 明治37(1904) 木造、建築面積110.00u、二階建、桟瓦葺 茶室1棟、四阿1棟、鎮守堂1棟 20020523
大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 和館 重文 近代/住居 明治 明治37(1904) 木造、建築面積250.00u、桟瓦及び銅板葺、男衆部屋附属 棟札1枚 20020523
大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 新座敷 重文 近代/住居 大正 大正11(1922) 木造、建築面積44.13u、桟瓦及び銅板葺 20020523
大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 東蔵 重文 近代/住居 明治 明治37(1904) 土蔵造、建築面積25.23u、二階建、桟瓦葺 20020523
大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 西蔵 重文 近代/住居 明治 明治37(1904) 土蔵造、建築面積33.07u、二階建、桟瓦葺、裏門付 20020523
大津市田辺町10-14 旧伊庭家住宅(住友活機園) 正門 重文 近代/住居 明治 明治37(1904) 一間棟門、前後控柱及び両側板塀付、桟瓦葺 20020523

May 2011 中山辰夫

住友活機園 撮影:23-5-27


普段は非公開、今年の特別公開が5月27・28日に実施された。
例年10倍近い応募があるが、今年は3倍強の応募。抽選で約150人が見学できた。
前日の雨も止み、曇天ではあるが、静かな雰囲気の中で見学を終えた。案内をお聞きしながら約1時間でした。

京阪石山寺駅より約200mの距離。山側の高台に建つ。
直ぐ横を名神高速道路と新幹線が走るようになり、“邸宅内のしじま”が破られたのは残念なことである。

石段のアプローチで開門を待つ。平日のためか年配者が多かった。瀬田の虎石を多用した石積も味がある。

門をくぐると新緑の紅葉のトンネル。たわわに垂れた小枝のゆるぎと苔に目を奪われる。
活機園の新緑は、雨の日かその直後が最高に美しいとのこと。この景色だけでも満足だった。
あとで造られたとされる池も馴染んでいた。

「幾度か うきつしずみつ ながらへて にほの湖辺に 身をよするかな」翁が石山に退隠せし時に詠んだ歌碑

スギ木立の枝振りやその根元を埋める苔のソフトな感触を楽しみながら歩むと洋館が見え隠れする。

貞剛翁が"自然のままに”を基本に、庭師も入れずに育て上げてこられた広い庭園。見事な拡がりである。

建物外観
ゆるやかな坂道をのぼって前庭にでる。広〜い芝庭の奥に見えるのが活機園の建屋である。
建物は敷地の北に建ち、洋館部と和館部を東西につなぎ、一体的に使用されてきた。

建築は明治37年(1904)。100年以上経過した建物とは思えない斬新な外観の洋館が目を惹く。

洋館の設計者は住友の建築家だった野口孫市であり、大阪府立中之島図書館の設計者として知られている。

和館は数奇屋建築の名手で、愛媛県の広瀬家を手がけた住友のお抱え棟梁八木甚兵衛の代表作である。

平成14(2002)年に「明治後期の大邸宅の姿を完全に伝える希有な例」として重要文化財に指定された。

平面図

見学において、建屋内は撮影禁止である。各室からの前庭撮影はOKである。
写真の部分々に写っているポイントで匠の技を見て欲しい。説明を受けたコメントを記す。

玄関
シンプルなつくりである。玄関を中心にして右側が洋館部、左側が和館部である。
洋館部と和館部からなる住宅は、明治期における住宅の洋風化の一過程として出現した。
その後変遷して、現在の一般的な住宅にある和室、洋間として残った。

腰板は節ありの板。玄関前の飛び石と碑 

和館部からスタートする。


エントツ
新座敷に設置された暖炉用 和と洋のコントラストがいい。

控室
玄関の右隣の一室である。茶室として設計され、柱で額縁を想定された。部屋からは前庭が一幅の絵にように見える。

座敷
10畳と6畳の二間からなる。室内は装飾を抑え落着いた意匠でまとめられている。
貞剛翁から八木甚兵衛氏への唯一の要望は"清楚・シンプルなデザイン“であったとか。
戦後2年間進駐軍に接収された。そのとき欄間が持ち出されたとのこと。
前庭から座敷を見る

貞剛翁が支配人として勤めた別子銅山を離れるに当り、餞別として贈られた別子山の栂材(つが)などの良材の持ち味をふんだんに活かした意匠がみられる。一文字棚は300年越えた松の一枚板 床柱は天然しぼの北山杉。一本丸太も使用。

室内から見る前庭

何気なく置かれた蹲、庭石も周囲に安らぎをあたえている。

居間
床柱に赤松が使用されていることからも奥様の部屋と分かる。(黒松は男部屋)
欄間にはヨシが使われやわらかさを出している。

新座敷
大正11年(1922)増築 派手さはないが材料の吟味が十分で、極めて入念に造られていることが分かる。
前庭から見る

室内から前庭を見る。大きなガラス窓は創建時のまま。若干歪があるようだ。

たたみ廊下である。バリヤフリーとなっている。材料、技量ともに最高である。

天井板は、3000年の屋久杉の一枚板が使われている。 豪華な一軒家を建てる程のお金を出しても手に入らない。

土壁でなく、竹を薄く削ぎ板状にしたものが使われている。

茶屋

大正11年(1922)増築 木造、鉄板葺

四阿 木造 鉄板葺
水を含んで一段と黄緑が濃くなった芝庭の一角に建つ。

洋館部に移る。

屋根
屋根は棟を東西に取る寄棟とその南と東に切妻を、北に入母屋を取り付けた形になっている。

つまり南面の西半分には急勾配のスレート屋根の切妻屋根が突き出し、ハーフテインバーの妻面をみせ、東半分は棟飾りのついた桟瓦葺の寄棟屋根で、小さい屋根窓をあける。左右不対象の妙が随所に生きる。

ハーフテインバーの一例・・愛知県半田市 「中埜家住宅(国重文)」アール・ヌーヴォーも見られる。

ハート型にくり抜かれた瓦と避雷針
創建当初からのイノシシの目に似せた“い(猪)のがわら”と避雷針。今も機能している。

壁面は、一階部分では、木板が鱗状に貼られたシングル・スタイル(外壁に掛瓦や機の板を貼る方式)の外壁覆われている。
このウロコ壁は、板が上下に少しだけ重なるように貼ってある。防腐剤として柿渋を塗装。一枚の欠損もなく現在にいたる。
二階部分はほとんどプラスター塗である。

天井は格子仕上げである。

平面構成は一階では、階段ホールを中心にその南に書斎、東に食堂、北に便所・洗面所をとる。
二階では階段ホールの南に寝室、東に客室を取っている。
階段は木製で木地の色をそのまま活かしている。親柱は角柱で上部に花形のレルーフをつける。1900年前後のベルギー フランスからヨーロッパに広がった新芸術の運動・様式である「アール・ヌーヴォー」を取入れたデザインが施されている。

一万円札にも取入れられている。愛知県半田市の「中埜家住宅(国重文)」でも見られる。

書斎
書斎の南面には隅切りの突出部があり、その3面に窓を開ける。窓の組子は正方形に斜めにした斜線と水平・垂直線を組み合せた装飾的な様式

食堂「来賓室」
凹凸のある不規則な平面で、南面にテラスがある。北面にはプラスター塗で火所をタイル張とした暖炉を設ける。

天井は木製の梁を化粧で見せている。

二階客間「展示室T」
なかでも意匠を凝らした部屋である。北面の中央部に入込をつくり、奥の壁に暖炉が設けてある。

バルコニー
欄干の意匠は和風の卍崩し、木部は白木のまま。和風と洋風が溶け合ったつくりになっている。

天井は格縁が二重の格格子、床は寄木張の和洋折衷の様式である。

南面には窓と両開き戸で区切ったサンテラスが設けてあり、創建当初から長椅子(リクライニング)がおいてある。
展望がよく、近江富士(三上山)がよく見える。

寝室「展示室U」
西面には暖炉を設け、床はフローリング、壁はクロス張仕上げとなって点では他の部屋と同じであるが、 天井が漆喰塗になっている。天井は格天井。個人宅では珍しい。洋に和を持ち込む。
洋館部にみられる床、幅木、扉、天井などに用いられている木材は着色されておらず、白木に近い状態である屋根瓦・窓ガラス共に竣工当初のものであり、阪神大震災や幾多の台風に遭遇すれども、一枚の損傷も無く現在に至っているそうである。

空調設備付
屋上近くに換気口を設けて寝室まで送気できる仕組みが組み込まれている。現在も十分に使えるようだ。

窓は上下可動式。エレベーターの原理で重りが働く。木製の窓枠に木目が美しい曲線を描いている。まだまだ堅固である。

一時間の見学時間は瞬時に過ぎた。繰り返し見学したい気分である。





Apr.2011 中山辰夫

住友活機園
大津市田辺町

国重要文化財

住友の第二代総理事伊庭貞剛が、引退後の住居として明治37年(1904)に瀬田川を見下ろす高台に建設した。
設計は住友営繕に所属していた野口孫一。二階建ての洋風建築と平屋の和風建築《棟梁:八木甚兵衛》からなり複雑に組合された外観や内部の意匠に明治後期の邸宅の特徴がある。
自然石が組合されて出来たアプローチを進む。落ち着いた雰囲気が迎える。

鋭角の屋根とヨーロッパ風の柱や梁などが外部に露出した工法が採用されており、今でも斬新に感じる。

この邸宅と付属施設の茶屋や四阿(あづまや)、庭園が平成14年(2002)、重要文化財に指定された。

《活機》とは禅の思想で、「世俗を離れながらも人情の機敏に通じる」という意味をもち、貞剛自身が名付けたとされる。

瀬田川の滔々たるながれの眺望や石山寺にも近く、景勝の地に建つ。年に2回公開される(各二日間)




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