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滋賀県大津市 南比良

Minamihira,Otsu city,Shiga

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Mar.17,2016 中山辰夫

猪々垣

Shishikaki

大津市志賀南比良

猪々垣までは散策を兼ねて歩く。比良山系の眺めが素晴らしい。今年は雪が少なく冠雪の頂は眺められないが、この比良山系と人々の闘いの歴史を見る。

出発地点・湖西線比良駅とルート地図

駅から少し歩くと一直線の道路がある。琵琶湖岸から国道161号線まで直進である。湖畔には鳥居があり、昔の参道が拡張。整備された。

参道らしさを出す心遣いか? 灯篭?が並ぶ

湖西線志賀駅から比良駅の間にある集落、木戸・荒川・大物・南比良には石工が多くいた。現在は一人も居ないが、その最後まで残った石工の人が作り上げた灯篭が並ぶ。寄せ集めの石やブロックでつくられているが、電車を止める勢いの強風にも耐えている。バランスがキッチリ計算されているようだ。

突き当りは天満宮と樹下神社−境内を同じくして並立している。神社の背後は比良山系山々で、順に天神山・堂満岳・武奈ヶ岳が並ぶ。

比良山系を背後に背負う旧志賀町域には、北小松・南比良・木戸の3ケ所に樹下神社がある。樹下神社は日吉大社山王二十一社の上七社の一つで、祭神として玉依姫命が祀られている。

国道161号線を志賀駅へ向かって歩き途中で右折すると中村淡水の墓に出合う。

淡水は南比良生まれ。県庁勤めの官吏であったが、一方では自ら開墾して製茶・養蚕等の殖産興業に尽力し、小学校の建設を始め、地域の発展に尽くした。

この辺りの民家は石積みで囲ってあり、道端での石とのも多いと思いつつ進む。

志賀バイパスを過ぎてしばらく行くと三叉路になっている。直進すると「百間垣」へ、右手は「中村鶏卵場、そして左側が「猪々垣」である。

左手の石積は正に「シシ垣」である。およそ500m奥へ続いている。石は花崗岩。自然石をそのまま積み込んだもの。暦年のつくりを感じさせる。

その形状、積み込み状態、石の大きさ。高さ、崩れ具合、などがマチマチであることが時代を語っている。 戦国時代の砦跡の利用ともいわれる。

朽ちた由来の案内板—戦国時代にあったとされる出城の砦跡が利用されてシシ垣になったような説明である。

この区域では江戸時代から今日までイノシシやシカ防御の石垣が組まれていた。自然との戦いで行った修復と増強の繰り返しの歴史がこの石垣に残っている。

近隣では造成工事が行われシシ垣も何らかの影響を受けそうである

シシ垣の近辺には石の造作跡が見受けられた。

 シシ垣は、漢字で「猪垣」、「鹿垣」、「猪鹿垣」と書く。シシとは、肉がとれる獣類の古い呼称である。古くから、イノシシやシカは山間の住民にとって貴重なタンパク源であったが、一方で農作物に多大の被害を与える害獣でもあった。シシ垣は、これらの獣が田畑に侵入してこないように築かれた垣のことである。

江戸時代などに築かれた石積みや土盛りのシシ垣の遺構が、今でも各地に残っている。

猪々垣は三叉路の左側だけでなかった。中村鶏卵場の山側から南へ向かってかなりの距離に設置されていた。石積みと金網の防護柵との組み合わせである。

猪々垣の遠景

比良山系に潜むイノシシ・シカ等の獣による被害が大きい。この対策が「シシ垣」の構築である。シシ垣は江戸時代から築かれだした。

シシ垣の構築は村全体の課題で、その負担も村全体に割り当てられた。基本は田畑の所持高に基いていた。石は流出した花崗岩が使われた。

比良山麓には複数の集落がほぼ横一線に並んでいるため、獣類の防除に隣の村とシシ垣をつないでいる所が多い。

北比良・南比良・大物の三カ村を囲うシシ垣と、荒川・木戸の二か村を囲うシシ垣が、湖岸を口にして「コ」の字形に築かれた記録も残る。

この地域の自然との戦いに、河川の氾濫による洪水と土石流対策がある。この課題も古くから難問題として扱われてきた。

近年は四ツ子川や大谷川にダムが構築され、災害の発生が少なくなったが、江戸時代に、村人総出で構えた治山・治水施設の「百間堤」が猪々垣から山麓少し上った所にある。巨石で築かれた延長約200m、幅18mの石堤は圧巻で、必見の価値がある。

"参考資料≪志賀町史・日本のシシ垣・土木事務所、林業事務所資料≫

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