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滋賀県大津市 近江神宮

Omijingu,Otsu city,Shiga

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Apr.2011 中山辰夫

「含む 宇佐八幡神宮・宇佐山城跡・宇佐山古墳群」

大津市神宮町1−1

祭神:天智天皇

祭礼:4月20日

京阪電鉄近江神宮前で下車。線路沿いを歩いて7分ほど歩く。

昭和15年(1940)に紀元2600年の記念事業の一環として、宇佐山山麓に建てられたもので、歴史は新しい。

大津京を造営した天智天皇を祀る神社を建立することは、明治末年以来、滋賀県の念願であった。

造営には、滋賀県民が挙げて奉仕し、境内には県下各地よりの献木が植樹されている。

神域は広大で、約20万㎡、衆塗りの壮大な楼門をくぐると外拝殿が見え、その背後に回廊で結ばれた拝殿・中門祝詞殿・本殿が建つ。これらの建物は、いずれも国登録文化財である。

中でも、本殿・祝詞殿・拝殿は棟続きで、「近江造・昭和造」と称される檜素木(ひのきしらき)の流造である。

毎年1月初旬に、全国的規模の「カルタ大会」が行われ、6月10日の時の記念日には漏刻祭が行われる。

大津宮に遷都した天智天皇を祭神とする。天智天皇は、天智6年(667)に飛鳥から大津に遷都し、今の錦織の地に宮を定めた。本宮は、その故地の北側に当たる宇佐山麓に創建された。

近江神宮第一鳥居 :表参道の入口に位置する鳥居 登録文化財 構造:木造鳥居,幅7.3m 基準:造形の規範となっているもの

反りのある棟木と島木,内転びの丸柱に角断面の貫と額束を入れた典型的な明神鳥居の形式をとる。幅約7m。

社域を明示するとともに,近江神宮のランドマークにもなっている鳥居である。

参道の両側は雑木の森が続き、鳥居が前方に見えてくる

近江神宮第二鳥居 :表参道の突き当たりの石階段を昇りきった地点に建つ。木造鳥居,幅6.4m 基準:造形の規範となっているもの

第一鳥居と同形式の明神鳥居で,幅約6mとやや小振りのものとする。

参拝者は,この鳥居をくぐり右に折れて,手水舎の先左手の石階段を昇り楼門に向かうことになる。

鳥居をくぐると広い参道となり、正面に歌碑・句碑が並ぶ。

楼門の傍に手水舎がある。:第二鳥居の右手奥,楼門へ向かう石階段の左手脇に位置する。構造:木造平屋建、銅板葺

内転びの隅柱に2本宛の控柱を添わせ,組物は舟肘木を用い,一軒疎垂木,銅板葺(当初は檜皮葺)の切妻屋根を架ける。

妻飾は豕叉首とし,破風に懸魚をつける。楼門へとつながる。

楼門

境内全景

外拝殿 国登録文化財 構造:木造平屋建,銅板葺,建築面積157㎡ 基準:造形の規範となっているもの

内院敷地の東端に位置する桁行五間梁間三間,入母屋造の建物で,東面に高欄付の縁をせりだして懸造り風造り。

中央間に外院からの登石階段を割込ませる。

正面石階段の上と背面中央とに唐破風をつけて割拝殿風にしている点に特徴がある。

内拝殿 国登録文化財構造 :木造平屋建、銅板葺 基準:造形の規範となっているもの

内院の西端,石階段付基壇上に建つ桁行五間梁間三間入母屋造の建物

背面に床を更に高くした三間×一間の張り出し部を設けて登廊に接続させる。

天井は折上小組格天井。一旦内院内に展開した参拝動線を登廊越しの本殿へ向けて絞り込む役割を果たす

本殿 国登録文化財 構造:木造平屋建,檜皮葺 基準:造形の規範となっているもの

皇紀2600年に合わせて新営された神社建築で,内務省神社局による集大成作品。

設計は角南隆と谷重雄。傾斜地に対応した社殿の配置構成に特色がある。

本殿は,三間社流造,檜皮葺で,棟に千木と堅魚木をあげて聖域地を明示させている

神庫(じんこ) 国登録文化財 構造:木造平屋建、檜皮葺 構造:木造平屋建、檜皮葺 基準:造形の規範となっているもの

本殿の左手後方,内内院の南西隅に位置する南北棟の切妻造,檜皮葺,平入の揚床式倉庫で,柱は面取角柱とし,組物は舟肘木を用いる。

横板を落込んで壁をつくり,妻飾は豕叉首として,破風に懸魚を付ける。本殿の背後を整える重要な構成要素になる。

自動車清祓所(旧大津裁判所本館車寄)(きよはらいじょ) 国登録文化財 構造:木造平屋建,銅板葺 基準:再現することが容易で無いもの

大津市内に所在し、和風の建築であった大津地方裁判所庁舎の玄関車寄を移築したもの。

明治23年(1890)の建築で、 昭和46年(1971)に移築、神社の施設としても異和感を感じさせない。

隅柱に2本宛の控柱を添わせているのが特徴。緩やかなムクリ破風の蝙蝠形懸魚につけた菊の紋章が出自を示す。

近江神宮所有の文化財

紙本墨画淡彩楼閣山水図 江戸時代

重要文化財

崇福寺塔心礎納置品

国宝・考古資料

白磁水注

重要文化財

大津京関連遺跡出土品

大津市文化財

近江神宮由緒

近江神宮造営の背景に帝国主義の影を落とす大神宮であるが、すでに大衆の神社として地域に根付いており、また文化財としてみても明治神宮、橿原神宮と並ぶ近代神社建築の傑作で、神社側も「昭和の文化財」として後世に伝える意志がある。

 (HPより)

時計舘・宝物館

天智天皇は、大津宮で水時計を使用して初めて時刻を知らせた由緒から、境内には特恵博物館や専門学校が付設され全国から珍しい時計の奉納、収集が行われ、研究が進められている。

境内に設置の各種時計

日時計

古代の火時計:ローレクス社

漏刻:オメガ社

 

資料

参考資料《滋賀県の近代和風建築、国文化財データーベース、他》

宇佐八幡神社

大津市錦織一丁目

祭神:応神天皇

近江神宮の西側にあたる宇佐山の中腹に鎮座。宇佐山城城跡の登り口に鎮座している。

境内には、本殿(一間社流造)と拝殿(入母屋造)をはじめ、若宮八幡宮・丹後宮・蛭子社・高良社などの境内社がある。

治暦元年(1065)源頼義が当山に祠宇を建て、豊前国宇佐神宮を勧請した、よってこの山を宇佐山という。

頼家が宇佐山にわけ入ったとき、岩の上から数羽の鳩が飛び立ち、八幡宮の鎮座すべき場所に導いたという伝えが残されている。

源頼家は頼信の長男で、平安後期の武将。

例祭は9月15日で、その前夜には神社に安置された神輿が村人の手でかつぎおろされ、麓の旅所に一晩飾られ、早朝に神輿の前で神事が行われる。

宇佐山城跡

近江神宮背後の宇佐山(標高336メートル)の頂上にある。放送局の中継塔が目印。

浅井・朝倉連合軍への対抗と延暦寺の監視のために、元亀元年(1570)織田信長の家臣森可成(よしなり)が築いた。

延暦寺焼討ち後、滋賀郡に入った明智光秀が、坂本城が完成するまで居城していたとされる。

城跡は本丸と二の丸、三の丸からなり、背の高い石垣が随所に残る。

城跡からは琵琶湖や湖西の平野が一望でき、要害の地であることがわかる。

昭和46年(1971)の発掘調査で山頂から本丸などの石垣が出土した。

宇佐山城跡へのコースと石垣

永禄11年(1568)、上洛を果たした織田信長にとって、近江は岐阜と京都を結ぶ地政学上の要衝であった。

越前の朝倉義景と敵対関係にあったため、敦賀海道(朽木越え)と西近江路に挟まれた湖西氏が軍の地は絶対に押さえる必要があった。そのために宇佐山城を築城した。

元亀2年(1571)8月、信長は浅井・朝倉軍の南下をけん制しておき江南に急行し、9月上旬にかけて叡山に包囲網を敷いた。その中心武将は新しい宇佐山城主となった明智光秀であった。

宇佐山古墳群の発掘調査

平成22年実施の調査報告 財団法人滋賀県文化財保護協会

縄文時代から平安時代にかけての様々な遺構や遺物が確認された。

 

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