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滋賀県大津市 園城寺(三井寺)

Onjoji(Miidera),Otsu city,Shiga


Dec.2010 酒井英樹

園城寺(三井寺)は、大友与多王が壬申の乱で敗れた父親の大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔う為、祖父である天智天皇の稔侍仏の弥勒菩薩を本尊として大友氏の氏寺として創建されたと伝承される。

この本尊である弥勒菩薩は秘仏が大半を占める園城寺の中でも秘仏中の秘仏で、未だに公開されたことがなく、姿を写した写真さえ存在しないとされる。

園城寺は大友与多王の叔父である天武天皇が与えた寺号で、広く知れ渡っている三井寺は天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に使われたことから「御井の寺」が転じたと言われている。

貞観元年(859)、円珍(智証大師)が唐からの留学を終えて、園城寺に唐院を設置した。

その後円珍は五代天台座主になるが、彼の死後、比叡山は三代座主であった円仁(慈覚大師)の門流と円珍の門流に分かれ、対立を深めた。正暦4年(993)、両者の対立が激化し円珍派は比叡山から三井寺に移った。

以降、比叡山延暦寺は「山門」、園城寺を「寺門」と称する様になり、いわゆる「山門寺門の抗争」で園城寺は永保元年(1081)他に大小数十度の焼き討ちにあい、その都度時の権力者によって再建を繰り返した。

文禄4年(1595)、寺領が没収され廃寺同然となり、建造物は他所へ移築された。

この時の園城寺金堂は延暦寺釈迦堂として現存している。

園城寺は寺として慶長3年(1598)に再興され、高台院(北政所)や徳川家康などの寄進で現在の園城寺の寺観がほぼ整えられ、現在に至っている。

             

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