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滋賀県大津市 逢坂山関跡
Ousakayama seki ato,Otsu city,Shiga

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July.2011 中山辰夫
 


大津市逢坂一丁目

大谷を抜けて、旧東海道を蝉丸神社から大津寄りに少し進む。
左側に常夜燈と碑がある。この碑は昭和7年(1932)の国道改修工事の際に建てられた。
いよいよ逢坂の峠である。

逢坂の名の由来

この峠は削られて現在標高165mであるが、かつてはもっと高い位置にあった。
奈良時代にすでに峠は開け軍事的、経済的に要衝の場であった。
京都に都が置かれてからは、その東口を守るために関所が置かれ、不破・鈴鹿・と並んで天下の三関といわれた。

この峠道を湖上の舟運で集積された物資が人や馬車、牛車などで京都に運ばれた。
峠道と谷間道はいつもぬかるみで道路事情が悪かった。そこで江戸時代になって、車石が置かれた。
車石は、長方形の花崗岩に車の轍(わだち)に相当するくぼみを刻んだもの。それを轍の間隔に合うよう二列に敷設された。
また、石造の常夜灯は、逢坂峠を越える通告人のために、寛政6年(1794)に設置されたもので、「施主・大津米屋中」と 4人の米屋の名前が刻まれている。

逢坂の関記念公園
大津市逢坂一丁目

逢坂関跡の碑が建つ所に、新たに公園が企画され、逢坂の関記念公園として平成21年(2009)4月に完成した。
古都大津のイメージアップと歴史散策をする人々の観光交流拠点となるよう期待されている。

公園内には牛車の走行をスムーズにする「車石」(実物)の他、来訪者が利用しやすいよう観光案内板やトイレ付きの休憩所が設置されている。長安寺の牛塔をモチーフにした飾り石がある。

また、百人一首で逢坂の関が詠まれた和歌3首を刻んだ歌碑も設置されている。




清少納言:「夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」

大津方面に向っては下りとなる

≪蜻蛉日記≫にある一日の道程
作者は「道綱の母」とよばれた藤原兼家の妻で、美貌と文才に恵まれたが、夫に捨てられ、一生を苦悩の中に終わった女性。
暑い夏のさなか、近江の唐崎へ行った時の行程は
「寅のとき」(午前4時)に都を立ち、「巳のとき」(午前十時)に関の清水で休み、唐崎で祓へが終わったのが「ひつじのをはり」(午後4時)で、「さるのはて」(午後六時)にようやく走り井にたどりつく。と丸一日の行程だった。

 



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