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滋賀県大津市 大津港
Otsu port,Otsu city,Shiga

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Jan.1,2016 中山辰夫


初日の出
大津市大津港

大津港をAm6:30、琵琶湖汽船ミシガンに乗って出港する。Am7:00過ぎの日の出を湖上で待つ。日の出は鈴鹿山系の方面に見られた

時刻Am6:20〜6:30

 
時刻Am7:00〜7:10


時刻Am7:15〜7:20
 

時刻Am7:20〜7:23


時刻Am7:25〜7:29


時刻Am7:30〜7:33


Am7:40頃、大津港へもどる


なぎさ公園〜大津港ターミナル
大津市浜大津

大津港ターミナルまでは、JR膳所駅(ぜぜ)から湖岸通りにおりて歩く。なぎさ公園と称される湖辺に面した整備の進んだ散歩道である。


びわこ湖南部のランドマーク的な三上山とプリンスホテルがどの場所からも目に入る。


1月にしては風もなく暖かな昼過ぎの時間、気持ち良い散策である。


滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 1998(平成10)年開館 日本で3棟目となる4面舞台を備えた舞台芸術専用のホール


石場の常夜灯


琵琶湖文化会館 2008(平成20)年をもって休館。存続について検討中
 
1961(昭和36)年に美術館・博物館・水族館・文化財受託庫を総合した施設として開館した。その外観から湖 畔の「浮城」と称され、県民に親しまれてきた。

快晴で見晴は良好である。修景緑地の整地も進んでいる。

比叡山や三上山には雪なし。冠雪の比良山や伊吹山が美しい

防波堤や桟橋が多くなる。防波堤は自由に散策が出来、釣もできる。遠望が素晴らしい。


周辺地図。いよいよ大津港に近づく。この一帯は埋め立てにより造成された。

びわ湖ホテルと浜大津アーカス、などの商業施設が建ち並ぶ。



びわこ花噴水
biwako Hanafunsui

大津市浜大津

びわこ花噴水は、琵琶湖観光の玄関口にある大津港の沖合に位置し、世界最大級の長さを誇り、平成7年3月に完成した。
美しい琵琶湖を背景に噴き上げられる水は、高さ最大40メートル。放水される水量や角度により、さまざまな形に変化し、昼は涼感あふれる風景を、夜はライトアップにより、色とりどりの幻想的な風景を作り出している。 工事費:4億6,700万円 
噴水及びライトアップの時間は毎月決まっていない。 またその日の条件で運転されないときもある。今頃は噴水:12:30~13:00、ライトアップ18:30~19:00


噴水の時間変化
大津港沖合180メートル防波堤上(堤長450メートル)に設置されている。

1.放射噴水66本(3本束×22機) 長さ:約440メートル(約40メートル×11箇所) 高さ:上段噴水 約30メートル、中段噴水 約22メートル
下段噴水 約15メートル 2.直上噴水2本 高さ 約40メートル(10階建てのビルの高さに相当する)

数種のパターンをコンピューター制御で放水。夜間は3色の光(透明、橙、緑)によりライトアップする。

昼間の光景


ライトアップ時の光景




大津港ターミナル
Otsu port terminal

かつては琵琶湖湖上水運の拠点として栄えた。鉄道網の整備に伴い斜陽となった後は、琵琶湖汽船の遊覧発着拠点となっているほか、官公庁などが運航する各船の拠点にもなっている。また、併設のマリーナや公園として整備された緑地など、多用途のレジャーに利用されている。
施設は滋賀県が管理しているが、港湾施設などは琵琶湖汽船が、マリーナは関西メンテナンス滋賀が指定管理者[1]となっている


シンボル緑地周辺 この辺りが大津城の本丸であった


ターミナル


湖上の景観


琵琶湖汽船 ミシガン




Apr.2011 中山辰夫

石場の常夜燈と小舟入(こぶないり)の常夜燈

石場の常夜燈
大津市中央4丁目

江戸時代、大津の湖岸には、対岸の矢橋(草津市)と結ぶ渡し船の発着場として石場と小舟入の港があった。
江戸時代に琵琶湖岸に置かれた松本地先の船着場を石場といわれた。
石場の名は当地に石工が集住し、湖の諸浦からの石積船が着岸したことに由来する。
現在も、夜間には火袋内に電灯が灯されている。

大津宿から中山道は本多6万石の城下町、膳所に向う際、義仲寺の手前で湖岸に接していた。
そこが、対岸の矢橋(やばせ 草津市)への渡し場の発着港・石場である。

現在は埋め立てが進み、かつて大津警察署前にあったのが何度も移設され、現在は琵琶湖文化館近くの湖岸公園の一角にある。

高さは8.4mあり、弘化2年(1845)鍵屋傳兵衛・船持中らの発起によって建立されたと刻まれている。
矢橋より1年前に建てられた。
隣接するびわ湖ホールの階段を右に眺め、向こうに三上山、矢橋の帰帆島の橋をみると、確かにまっすぐ最短距離で渡れる気がする。



細部に精巧な細工が施されている。基壇には所狭しと名前が刻まれている。
近江は勿論、大阪・京都・尾張等からの寄進者名も見える。
なかでも近江中郡(蒲生・神崎郡等の湖東地域の総称)からの寄進者の名前が非常に多く、近江商人の活躍のほどがうかがえる。

資料 滋賀県教育委員会発行

琵琶湖文化館
島ノ関から250mほどの湖畔べりにある。1961年に浮城のスタイルで竣工された。


小舟入の常夜燈

大津市指定文化財
現中央四丁目の大津公共安定所東側にあり、今も高さ約5mの常夜燈が建っている。江戸時代は、ここに舟が着いていた。
これは矢橋や石場より以前の文化5年(1808)に、京都の伊勢講の1つである「恒藤講」によって建立されたものである。
かつてこの地には船着き場があり、伊勢神宮への献灯と参詣者の安全を祈って建てられた。

竿部・基壇には京都と大津の商人の名前が40名近く刻まれており、その中には女性の名もある(例「鷹羽屋さよ」)。
女性の寄進行為が分かる貴重な例と考えられている。

浜大津から島ノ関にかけては、幕府や各藩の蔵屋敷が軒を並べていた。町人分を加えると、その数は300を越えていた。
当時、京や若狭・北陸・美濃などを結ぶ物資の輸送は水運が利用され「大津百艘船」が独占していた。大津百艘船は秀吉が大津守護と商業発展を目的に、湖上舟運の特権を与えた制度。
小舟入は、その大津百艘仲間が湖岸の一部を埋め立てて幅5mの堀を矢橋への渡しを始めたのがはじまり。

もともとあったところに立っている小舟入の常夜燈から、湖岸に移設されて立つ石場の常夜燈までの間が埋め立てられた。
そこには京阪電車石坂線や湖岸道路、琵琶湖文化館、などが所在する。

京阪電車線路から見た常夜燈と琵琶湖文化館

京阪電車線路横の遺跡

湖水渡船絵図
天明5年(1785)、小舟入と石場の争議に際して製作された大津宿と矢橋を結ぶ渡し船の航路図、左下の大津宿と対岸の矢橋を結ぶ航路と、右の瀬田橋を廻る東海道との対比が明確に描かれている。

矢橋港跡と常夜燈
草津市矢橋
古くから矢橋の港は、東海道と結ぶ湖上交通の要地として栄え、近江八景の一つ、矢橋の帰帆で有名な港だった。
慶長5年(1600)9月、関ケ原の戦に勝利をおさめた家康も、佐和山城を攻略した後、矢橋から大津に渡った。

「勢多へ廻れば三里の回り ござれ矢橋の舟に乗ろ」
瀬田橋経由の陸路と比較すると、矢橋−大津間約5kmの航路は、早くて楽だった。従って湖上交通が大いに繁栄した。
しかし、当時の舟は風力と人力のよるため、風が吹かなければ出航できない、風が強すぎると出航出来なかった。
つまりがお天気まかせであった。そのため、たとえ遠回りでも自分の足で旅をするほうがより確実であったとされた。

常夜燈
弘化3年(1846)の銘がある。

発掘当時の旧矢橋港(1982)

歌川広重「近江八景 矢橋帰帆」





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