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滋賀県大津市 瀬田の唐橋
Seta Karahashi,Otsu city,Shiga

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Sep.2012 中山辰夫

琵琶湖唯一の流出河川・瀬田川に架かる橋が「お色直し」を6月終りに済ませ、優美な姿を蘇らせた。
木造だった唐橋は、大正13年(1924)の架け替えで、初めてコンクリート橋となった。高欄も鉄製となり「木造色」をイメージするクリーム色に塗られた。
現在の橋は昭和54年(1979)に架け替えられ、中州をはさんだ大橋と小橋を終日多くの人と車が行き交ってきた。

最後に塗り直した平成2年(2009)から22年が経過し、さびも目立つことから、塗り替えとなった。
色の決定に当っては活発に論議され、「山吹茶(唐茶)色」、木肌を思わせる茶色と決まった。

色の調合は難しい。誰もが想像した色合いとは微妙に異なる。出来上がりを見て賛否半々。時間が経過し、くすんで来ると評価が変わるかも。
時間の経過で、彩りに変化が出る。
PM15:00〜

PM16:00〜

PM17:00〜

PM18:00〜

PM19:00前後

擬宝珠
香欄に取り付ける真ちゅう製の擬宝珠は、2個のみ真調され、46個は従来のものが使用された。

菊座・他

擬宝珠の中には江戸時代から使い続けているものもあるようだ。当時橋を管理していた膳所藩主・本多氏の名前や年号が刻まれているものも
あるようだ。古いものでは、寛政年間(1789〜1801)の銘が刻まれたものがある。

大友皇子と大海人皇子が皇位継承で争った壬申の乱がこの橋の上で展開された。その後も橋は交通の要衝、軍事上の重要な拠点であり続けた。
世が治まると、「観光の名所」となり、往来も激しくなり、紀行文や絵画に描かれた。
その中でも、唐橋の風景を最も愛したのは松尾芭蕉である。
≪ 五月雨にかくれぬものや瀬田の橋 ≫ ふるさとの伊賀以外で、「ふるさと」としたのは大津だけで、琵琶湖、山々、橋を愛し続けた。

唐橋周辺の景観である。

水位観測

橋たもとの古民家





瀬田城址

Apr.2011中山辰夫

瀬田唐橋の東詰めを右折して南方向に約150m行くと、伝瀬田城跡に至る。
高層マンションに隣接して県道脇に城跡碑が建つ。昭和49年(1974)山岡同族会が建てた。

勢多橋と東海・東山両道を押さえる目的で築かれた近世初頭までの城
戦国時代から織田政権時代まで、山岡氏の居城であった。
遺構などは未詳である。

天下をおさえる要地・勢多橋を守護する山岡氏は、六角氏の被官でありながら、室町幕府や石山寺・園城寺と密接な関係を持ち、隠然たる勢力を持っていた。

上洛に琵琶湖を利用した信長は、「勢多橋」に戦略的な重要性を感じ、天正3年(1575)勢多城主・山岡景隆と安土城主・木村次郎左衛門に末代のために丈夫な橋を造るよう命じた。
材木は、若狭国神宮寺山と朽木山中から切出され、欄干をつけた広さ四間×長さ百八十間余りの橋が架かった。
織田信長政権下でも、山岡景隆が天下普請の勢多橋をまもる城主として活躍した。
信長は京都への往復途次に煩雑に勢多城に宿泊、信長専用の宿泊施設「勢多橋御茶屋」が設けられたとされる。
明智光秀の侵攻に備えるため、城主山岡は勢多城もろとも勢多橋を焼き落とした。

その後、江戸時代には荒廃していた。貞享元年(1684)、天寧という和尚が膳所藩主からこの地を賜って一庵を建て(臨江庵)、宝暦9年(1759)には藩主の別荘となるなど変遷を重ねた。現時、城跡を示す痕跡は無い。
臨湖庵西側の門の瓦には、本多家の家紋・立葵が見え、膳所藩主の別荘だった時代の面影が残る。
同庵の表門脇に建つ城跡碑は、昭和49年(1974)山岡同族会が建てた。
その他、詳細は資料参照のこと。

城跡は瀬田川に近く、大橋にも近い。






Jan./Feb. 2011 瀬田の唐橋 中山辰夫

今年の滋賀、特に湖東〜湖北は雪が多く動き難いので大津近辺から巡ろうと考えていた矢先瀬田の唐橋欄干の塗替えについて、「現状のクリーム色よりやや濃い茶色」との最終提言が出て年内に修復工事が実施されます。(地元からは石山寺縁起絵巻にある朱色との意見で調整された)
唐橋は、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川に架かる長い橋であること幾多の戦乱の舞台や文学の舞台にもなりエピソードに事欠かないこと、日本に於ける八景ものの始まりである近江八景の一つ「瀬田夕照」の舞台であること、等このように複合的に価値付けできる橋は他に見当たらないことから、瀬田唐橋は、見るべき価値がある「名のある所」とされる所以です。
また、この近辺は、近江国「宇宙有名地 あめのしたになあるちなり」と謳われたように、古代より開かれた歴史的にも奥深い地域です。
まだまだ足元に知らないことが一杯あります。一歩々辿ってゆきます。
今夏は、室町・江戸時代の旅人が愛でた「夕照」もじっくり味わいたいと思っております。



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