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滋賀県大津市 聖衆来迎寺
Shojuraigoji,Otsu city,Shiga

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大津市比叡辻2-4-17 聖衆来迎寺 本堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文5(1665) 桁行五間、梁間七間、寄棟造、背面庇葺きおろし、向拝一間、桟瓦葺 鬼瓦4個 20140918
大津市比叡辻2-4-17 聖衆来迎寺 客殿 重文 近世以前/住宅 江戸前期 寛永16(1639) 桁行21.9m、梁間12.9m、一重、南面入母屋造、こけら葺、北面切妻造段違、桟瓦葺 19220413
大津市比叡辻2-4-17 聖衆来迎寺 開山堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永16(1639) 桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、桟瓦葺、背面軒下張出し付 20140918
大津市比叡辻2-4-17 聖衆来迎寺 表門 重文 近世以前/寺院 桃山 16世紀後期 一間薬医門、切妻造、本瓦葺、北側潜戸、南側袖塀付 20140918


Mar.13,2017 瀧山幸伸 source movie

                                                                           


May 18,2014 大野木康夫 source movie 参道    表門(重文答申)                本堂(重文答申)                    開山堂(重文答申)                                 客殿(重文)                  



Jan.2011 中山辰夫


表門保存修理工事 滋賀県教育委員会発行
       


Oct.2011 大野木康夫

2011.8.27撮影  所在地 滋賀県大津市比叡辻2-4-17 西教寺から琵琶湖に向かうと、国道161号線沿いに聖衆来迎寺があります。 境内 坂本城の城門を移設したと言われる山門は修理中でした。       客殿(重要文化財) 本堂から全景を撮影できますが、この日は御留守だったので、内部の拝観はできませんでした。           



Apr.2011 中山辰夫
大津市比叡辻
天台真盛派
本尊:阿弥陀如来 薬師如来 釈迦如来 天台宗の古刹。信長の比叡山焼討ちにも遭わず、比叡山の正倉院ともいわれ、見所が多い寺院である。
比叡山坂本駅の東約600mのところ、国道161号線沿いにある。
   延暦9年(790)、伝教大師最澄が開基とされる。初めは地蔵教院と称した。
長保3年(1001)、恵心僧都が入山してここで念仏を修し、寺名を聖衆来迎寺と改めた。
 
中世には、延暦寺末の念仏道場として栄え、元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼打ちの際には、森蘭丸の父可成(よしなり)の墓が境内にあった関係で兵火を免れた。
そのため、“文化財の宝庫”とも言われるほどの寺宝が多数残って伝えられる。
特に脇壇の木造地蔵菩薩立像(国重文)は、彩色や截金(きりがね)文様がよく、銅透彫の舟形後背に室町初期の美が見られる。
本堂・客殿・開山堂・鐘楼堂などの建物の多くは江戸時代の建築である。客殿は国重要文化財、他は県指定文化財。
 
寺域は約13000uとひろく、外周は白壁をめぐらす。両側に石垣が造られ、落着いた雰囲気の石畳道を進む。
    表門
県指定文化財
石垣と白壁が美しく、参道の松並木の奥に建つ。
一間一戸の薬医門、屋根は切妻造、本瓦葺 「平成24年3月完成予定で改修中」
木太く、装飾のない直截な門で、明智光秀の築いた坂本城の城門を移築したもの。安土・桃山時代の造立。
     本堂
県指定文化財 神戸大震災の時に柱部に若干のズレが発生した。
正面五間、梁間七間、一重、寄棟造、正背面桟瓦葺、両側面銅板葺瓦棒付
本堂は大建築であるが外部は簡素。本堂の造りは、西教寺や浄信寺本堂(木之本)とも類似している。
     三方の縁を縁板・縁葛・縁束まですべて木造と同じ形の花崗岩とする剛壮な造りが特徴。
  
正面中の間は諸折桟唐戸を吊りこむが、住宅風の蔀戸を吊り、障子を立てる。
  
正面中央に一間の向拝がある。その中央に蟇股(波と海馬)と雲を彫った手挟(てばさみ)は江戸初期の様式である。
   

中央桟唐戸上部に彫られた円文内の六弁花はいわゆる裏葵に似ている。
横に多く桟を入れた舞良戸、火頭窓もある。柱頭組物は和洋の出三斗、中間は間斗束とごく簡素である。
     この周辺も南郷洗堰が出来るまでの間、琵琶湖の増水で浸水が度々起こり、それが石造りの一因となったとされる。
  

滋賀県は中世以来、石造遺宝に恵まれている点で日本一である。
日吉大社走井橋穴太積石垣に残る石工の伝統技術がここでも活かされている。

     本堂は、外部が簡素な造りに対して、内部は壮観な造りが多い。
梁間を三等分し、前寄りを外陣として内陣とは建具で区分する。
  外陣(カメラ撮影はここまで)
前方五間二間、側面一間幅 内外陣境は精巧な彫刻欄間、格格子で仕切られる。
       外陣天井は屋根勾配なりをした化粧屋根裏、長大な紅梁やS字形に曲がった海老紅梁でまとめられる。
     組物も内陣に向う面などは禅宗様の出組で、極彩色が施され、華麗である。天台宗本堂では中世に見られない手法である。
方一間の区切に使われている円柱にはいわれがあるように聞く。
外陣の奥の内陣は、奥に須弥壇を安置し、天井は格天井で裏板(天井板)には百花の図が彩画されている。
     本堂と客殿とは廊下で結ばれている。
   客殿
国重要文化財 寛永16年(1639)の建築

   
桁裄十二間 梁間七間 一重 南面入母屋造 北面切妻造 こけら葺 
    

外観は南北に長く、南と東に折矩(おりかね)に木口縁を廻し、腰付障子を立てる(現在雨戸付)
上部は板格子の欄間。彩色の杉戸絵 特に唐獅子は有名。
    

南と東の縁のうち、縁と同様に折矩に一間の入側(広縁)を経て、6室がとられている。
内部は狩野探幽・尚信らの筆になる障壁画を用いた書院造になっている。
   

客殿としての最上の間である上座と「龍虎の間」を仕切る筬(おさ)欄間に、松と竹と梅(竹なし)に尾長鳥の極彩画彫刻を飾っている。シンプルな美しさと豪華な彫刻を組み合せた卓越した彫刻を格狭間状に左右二つ配した意匠。
   
本堂と客殿の間の露地 
    月見鉢
客殿東庭にある手水舎で、中世の石塔(多分宝塔か五輪塔)の笠を利用し、その下に中心をずらした深浅二種の円形水溜を彫った、ほかに類例のない独創的考案による手水舎である。"目立ちもの“として江戸時代より流行りだした。
    開山堂

県指定文化財 竣工:寛永15年(1638)
客殿を囲む塀の南側にある。
桁行三間 梁間三間、一重 入母屋造、向拝一間 桟瓦葺
当初はこけらか桧皮葺であった。落ち着いた姿であるが、特色は細部彫刻にある。
    

この開山堂は小建築ではあるが全形及び内外ともに優れた細部意匠を持つ貴重な遺構である。
    

向拝には牡丹、菊の籠彫(かごほり 中を空洞に透かした彫刻法)をした手挟に獏頭の木鼻。
身舎にはそれぞれ異なった意匠の蟇股を入れる。
   

正面は南から牡丹、梟に柏、梅に鶯を、南側には前から沢潟(おもだか)に水鳥と波、梅に雄鶏、たんぽぽに鶉(うずら)
北は前から鴛鴦(おしどり)に水葵と波、松に山鳥、波に小鳥を入れた蟇股を飾る。
    

南側蟇股の「タンポポ」均整の取れた全景。蟇股の「タンポポ」彫刻は珍しい。
小鳥は欠けているが「鶉 うずら」かもしれない。江戸初期の建築彫刻があらわれている。
    鐘楼
桁裄一間、梁間一間、切妻造、本瓦葺 元禄6年(1693 鬼瓦銘)
円柱四方転、絵様肘木、中備正背面板蟇股、妻飾紅梁蟇股
    手水舎
    森可成の墓
森蘭丸の父、森可成が城主であった宇佐山城は近江神宮の裏手にある。後に明智光秀が城主になった。
    本坊
   庭園
重要文化財の客殿の東側、庫裏の南側、さらに本堂への渡り廊下に囲まれたところに広がる枯山水庭園
天正17年(1589)に京都北白川の国清寺が当寺に併合された時に、その庭を移したとされる。
京都干菜寺(ほしなでら)の宗心の作と伝える。
     文化財の抜粋
絹本著色恵心僧都像
  大黒天立像 県指定文化財
  釈迦如来坐像 国重要文化財
  釈迦如来立像
  地蔵菩薩立像 国重要文化財
  木造地蔵菩薩立像
  木造十一面観音立像 国重要文化財
  絹本著色六道絵 国宝
    絹本阿弥陀二十五菩薩来迎図 国重要文化財
   推朱(ついしゅ)香盆 国重要文化財
木製の素地に朱漆を何回も塗り重ねて、次第に厚い層をつくり、それを乾燥させてから鋭利な刀子で彫刻市、文様を作り出す。
  参考資料《滋賀県指定文化財、聖衆来迎寺、日本の建築、大津市史、ほか》




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