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滋賀県大津市 高穴穂神社

Takaanahojinja,Otsu city,Shiga

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坂本・下阪本全体を含めて評価した
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June 2011 中山辰夫

大津市穴太二丁目

祭神:景行天皇

京阪電鉄石坂線穴太(あのう)駅からすぐ東の森は、景行天皇の「高穴穂宮跡」と伝えられるところで、高穴穂神社がある。

江戸時代には禅納大明神と称していたことから、地元では今も穴太の「お禅納さん」の名で呼ばれ親しまれている。

前の道路は、盛安寺にも通じる旧道で、坂本まで続く。

境内には本殿、拝殿をはじめ、神輿庫が建つ。

拝殿は、入母屋造 間口三間 奥行三間

中門・幣殿

本殿は、一間社流造 間口一間 奥行一間

元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼打ちの際に消失し、現在の建物は元和2年(1616)の再建と伝える。

由緒

社殿に寄れば、神社の創建は当地にあったと伝える成務天皇の高穴穂宮の頃に遡る。

景行天皇が高穴穂宮で崩御した後、次の成務天皇が先帝の遺徳を偲んで、宮内に社を建てて祀ったことに始まると伝え、高穴穂宮が廃されたのち、穴太地域の氏神として祀られるようになったという。

日吉神社の社外百八社の一つ。

高穴穂宮跡

森は約3000㎡、結構な広さである。

本殿の背後にある森に跡碑が建っている。

「古事記」「日本書紀」などの文献に景行天皇とその子成務天皇に宮として近淡海之志賀高穴穂宮が伝えられている。

志賀高穴穂宮の所在地は、地名から現大津市の穴太地区に比定され、高穴穂神社付近が有力視されているが、これまでに宮にかかわる遺跡・遺物の発見はない。

穴太の地は、6世紀頃から穴太村主氏などの渡来系氏族の居住が著しく、考古資料によると山麓には200基を越す後期群集墳が分布するほか、平地にはオンドルを設備した建物跡が発見されており、飛鳥時代の末には穴太廃寺が創建されるなど渡来文化のメッカとなっているものの、さかのぼって伝説の宮・高穴穂宮を実証する根拠は現在まで当地では認めることができない。

穴太の森 

大津市保護樹林

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