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近江八幡 福寿寺
Oumihachiman Fukujuji

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Nov.2009 撮影/文:中山辰夫


近江八幡市馬渕町
黄檗宗

椿神社門前から東の方向に福寿寺山のなだらかな姿が見える。
この山で産する花崗岩は「長福寺みかげ」と呼んで、古くから使われた。
山腹の松林の中に福寿寺の大きな屋根が見える。
向かって左下には冷泉寺の建物が見える。

福寿寺山西側の街道に、岩倉の福寿寺の大きな標石が建っている。
山に向かって登ってゆくと石垣があちこちに見える。
僧房跡であろうか。しっかりとした石積に見受ける。かなり広い範囲にある。
石がふんだんに使われた趣のある境内と瞬時に感じた。
自然石の石段に導かれて登る。
本堂と庫裏の間の山裾に石を組み、池をうがった清楚な庭園が、しっとりとした雰囲気を感じさせてくれる。
江戸初期の造庭とされる。

天長6年(829)の創立で、淳和天皇の勅願寺と伝わる。
山中には古墳があり、山麓には馬見岡神社が鎮座する。
元亀の兵火が古刹を灰燼にし、以後小堂を結んでいた。
延砲7年(1679)黄檗宗の僧梅嶺土田が正宗寺を開き、さらに当寺を再興した。
八幡町の豪商伴庄右衛門、伴伝兵衛及び勝見西川川端などが浄財を喜捨し造営を助けた。
以後黄檗宗の浄刹として今に至る。
大正9年(1920)修理の際、胎内より古鏡一面と木札と佛像を紙に捺印したもの多数と籾などが発見された。
鏡背には松雀の模様があった。
木札には嘉応2年(1170)庚寅の銘があり、仏像彫刻の年代が明らかとなった。

開山堂

渡り廊下(通幽橋)

本堂

石燈籠
本堂前南方に立つ。
竿と基礎だけが鎌倉の六角形のもので、竿に正中2年(1325)の刻銘がある。

福寿寺庭園

県指定名勝
延宝8年(1680)、黄檗宗の梅嶺禅師が寺を最高するとき、庭も作られたとされる。
寺は岩倉山中にあって、庭園はその山側、開山堂と本堂とこれらをつなぐ渡り廊下(通幽橋)とで限られ、中央の池が橋の下まで広がっている。
池の北寄りに中島を設け、二つの切石橋で対岸の山裾へ導く。
橋を渡ったところに亀甲石と称する上面のふくらんだ大石を据える。
池の浮石をはじめ、池の護岸などに巨石をふんだんに用い、山腹には岩が累々とあり、岩倉山中にふさわしい自然と人口の融和が見られる。(案内掲示)


千手観音立像
国重要文化財:彫刻:藤原時代
厨子に安置される。
像高:1.07m、一木内ぐり、前後二つに割れる、胎内一杯に多くの墨書あり。
嘉応2年(1170)願主中原貞俊、仏師僧長順による造仏と知れる。
仏像自体は豊満の中に強さのあるお顔や、浅い彫りながらにぎやかな法文線が、藤原末期の様式をよく示しているとされる。

胎内撮影(大正10年)したもの

岩倉山
岩倉山からは近世初め、御影石が砕石された。
馬渕の石工たちは、大阪城築城の際にも活躍し、それを示す桃山から江戸時代にかけての 「石工文書」が地元の恵比須講で保存され、供養塚古墳出土の短甲・刀剣も千僧供町で保管されている。


参考資料《近江蒲生郡史、歴史と文化近江》






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