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近江八幡 白雲舘
Oumihachiman Hakuunkan

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June 2010 撮影/文:中山辰夫

近江八幡市為心町元9

登録有形文化財:基準 再現することが容易でないもの
構造:木造二階建、瓦葺、建築面積306u
建築:明治10年(1877)

近江八幡市の観光の中心地にあって、シンボルの役目を果たしている。

 

八幡東学校として建設。日牟礼八幡宮参道の鳥居前に位置する。
主屋に翼舎をはりだした凹字型の形態である。
漆喰壁系の擬洋風建築で玄関上部の唐破風と屋根上の太鼓等との取り合わせは開智学校の造形に類似している。
棟梁は近江蒲生郡の大工・高木作右衛門である。

明治5年(1872)に学制が交付された。滋賀県は明治7年(1874)に長浜に建てられた第一小学校を皮切りに県下全域に擬洋風意匠の校舎の建設を進めた。柳原学校とこの八幡東学校がその遺構である。

八幡東学校は、明治9年(1876)に、八幡商人と区民の人々の熱意と協力で、当時六千円(この頃米一表一円三十四銭であった)の費用をかけ学校として新築された。
創設時から白雲舘の雅称を得た。
明治10年(1887)の児童数は、男115人、女117人、計232人であった。
建物は今日と全く同じで、一階玄関に丸柱、二階正面には破風屋根とバルコニーが設けられ、西洋建築の形態を日本の建築技術によって造られた擬洋風建築で、現存する学校建築としても貴重な建造物である。

現存する唯一の資料は、「徳門」と大書された扁額である。
おそらく徳門とは、徳を修める門即ち学校のことを意味しているものと考えられる。
また、丙子冬日(明治9年八幡東学校の始終(起工式)に行きてこれを書す、と筆者の子琴銭懌という人が署名している。

明治26年廃校になり、八幡町役場、蒲生郡役場に利用され、平成4年近江八幡市に移管された。
現在の姿は旧八幡東学校を平成6年(1994)修理・復元されたもの。
現在は観光の拠点として活用され、1階は特産品紹介や観光案内所、2階はギャラリーとして利用されている。


参考資料《総覧日本の建築、国指定文化財等データーベース、パンフレット、他》


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