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滋賀県高島市 願慶寺

Gankyoji,Takashima city,Shiga

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Apr.2012 中山辰夫

願慶寺(がんきょうじ)・他の寺院

高島市海津

宗派:真宗大谷派

本尊:阿弥陀如来

国道303号の東にある。

もとは天台宗だったが本願寺第三代覚如上人の北陸巡礼の際に改宗した。

江戸時代以前には伊香郡、敦賀市、マキノ町内に二十数カ寺の末寺を持ち、蓮如時代はすでにこの地方に

おける本願寺教団の中心的寺院であった。

江戸時代には加賀・越前の諸侯が上洛の際の宿舎とした程の名刹であった。

山門

寛政12年(1800)に再建された。

境内

本堂

貞亨4年(1687)に再建された。

鐘楼

梵鐘はマキノでは最も古く寛永12年(1635)に造られた。

山吹

境内には木曽義仲の側室であった山吹御前ゆかりの老紅木がある。

参考

この寺は16世紀の本願寺と織田信長の闘いに三浦衆(海津、塩津、今津の真宗門徒)を率いて参戦し

当時の住職慶乗に本願寺第十一世宗主顕如からその働きを褒める書状と後光厳院宸翰の「浄土法文」

が下賜されている。

願慶寺の前の国道303号線が大きくカーブする手前、山側への突き当たる所の古びた石段をのぼる。

右に行けば称名寺、直進すると正行院である。

称名寺

マキノ町海津

宗派:浄土宗

天平年間(729〜749)に行基が創建して「旦過堂」と称した。

その後、寛和元年(985)天台宗の僧恵心が再興し、竹生島へ参詣する人の休憩所になった。

応永11年(1404)道真が現在地に移転、浄土宗に改宗し寺名も改めた。文政11年(1828)再建した。

阿弥陀来迎図(鎌倉〜室町)・経曼陀羅図(室町〜江戸)がある。

正行院

マキノ町海津

宗派:浄土宗

念誉の遷化は文明18年(1798)。

境内に松平大貳の墓がある。大貳は元冶元年(1864)ここで自刃した。

福善寺

マキノ町海津

宗派:真宗大谷派

本尊:阿弥陀如来(鎌倉時代の作と推定)

延久2年(1070)創立。もと天台宗。天応年間(1319 〜1321)宗善改宗 宝永2年(1705)再建

元亀・天正の頃には、三浦衆として石山合戦に参加している。

宝塔の台座り。応徳元年(1084)銘あり。

ここがお兼(お金とも言う)伝説の舞台だ。

昔、海津にお兼という力持ちの遊女がいた。ある日西国から来た武士が、旅で汚れた馬を湖岸で洗っていたところ

立てかけてあった竹ざおが馬にあたり暴れだした。

そこへ出てきたお兼が暴れ馬に立ちはだかり馬の手綱を高下駄のままでグイと足を踏みしめて馬を引きとめてしまった。

下駄が砂に食い込み足首まで埋まったが、周りの人はお兼の力に感心したという。

鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にあるこの話では、お兼は平安時代の人とされるが、その実在を証明するものはない。

ただ、お兼の墓が福善寺に今もある

蓮光寺

マキノ町海津

宗派:

湖岸波除石垣木を築造した高島郡甲府領代官西与一左衛門の碑が境内に建つ。

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