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滋賀県高島市 興聖寺
Koshoji,Takashima city,Shiga

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Nov.16,2015 中山辰夫

旧秀隣寺庭園(国指定名勝)
滋賀県高島市朽木岩瀬374

安曇川と庭園からの遠景
    

庭園位置図
 
旧秀隣寺庭園は、安曇川河岸段丘上に位置し、眼下に流れる安曇川と対岸の集落を見おろし、その背後に横たわる蛇谷ケ峰を遠くに望む。
興聖寺境内の東南隅の一段低い所が庭園である。通称「足利庭園」とよばれる。1935(昭和10)年に国の名勝に指定される。
  

池泉観賞式庭園で、十二代将軍・足利義春を慰めるために朽木氏や管領・細川高国が銀閣寺庭園を基に築庭したとされる。
義春は1528(享禄元)年三好長慶の乱に際して、朽木稙綱を頼り当地に3年程滞在している。
           
大きな流れとその曲折、池、枯滝と滝石組や中島(鶴島と亀島)や2か所の石橋が存在し、中世末期の武将好みの庭園とされた。蛇谷ケ峰が見える。

面積234坪、鶴亀の蓬莱石と楠の化石と1われる石橋
  

名木ヤブツバキ
樹齢約480年。池の中島や周辺に8本植えられ6本が現存する。足利義春の弥栄と世の平和を願い作庭された庭園に、「願いが後世へ続くよう」にと石組全体を包んで根をはる性質を持った椿が庭木として使われた。
かって、細川幽斎の子忠興が庭園を訪れた茶人・千利休を案内した際に、利休が散ってゆくヤブツバキの花を見て、「散り際の良い、一期一会の心を表わしたもの」と散る潔さを称えたという逸話がのこる。
以前は花のじゅうたんが出来るほどに咲いたが、今春は殆ど花を付けなかったため、樹木医に治療を依頼したと聞く。


興聖寺

宗派:曹洞宗 本尊:釈迦如来(木造釈迦如来坐像:国重要文化財・平安時代の作) 開基:佐々木信綱
道元禅師が1243(寛元元)年に北国へ下向の際に、佐々木信綱の招きで朽木に立ち寄った。
朽木の指月谷の景色が、京都宇治の興聖寺の景色に似ていることから一寺の創建を勧め、宇治の寺と同じ興聖寺と名付けたという。
3年後に七堂伽藍が完成した。朽木氏歴代の菩提寺で歴代の墳墓もある。1729(享保14)年に秀隣寺を指月谷へ移し、興聖寺を現在地の秀隣寺跡へ移した。
江戸末期1784(天明4)年と1828(文政11)年に火災があり、建物を全て焼失。孝明天皇時に再建された本堂、庫裏、鐘楼がある。花の寺として有名

興聖寺境内地図
   

本堂
入母屋造と唐破風の建築。
            

鐘楼
    

境内
       

現在朽木に存在する30カ寺のうち、28カ寺が曹洞宗。朽木における曹洞宗寺院の創建は興聖寺が一番早いが、その他の曹洞宗寺院の創建は15世紀に多くこれは朽木氏の領地支配に関係するとされる。

参考
朽木家は宇治川の先陣争いで勇名をはせた佐々木高綱のオイ、近江守信綱が1221(承久3)年同村にトリデを築いて入り、朽木家を名乗ったのが始まり。
1871(明治4)年の廃藩置県まで26代、約650年にわたって連綿といた名門、近江源氏である。
城といわずトリデと呼ぶのは所領が近江、若狭の9,999石で1万石にみたなかったといわれ、このため明治維新の際近江源氏末裔の大名格でありながら爵位をもらわず「士族」にとどまった。

参考資料≪朽木村史、滋賀県の歴史散歩、花巡礼、HP、ほか≫


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所在地 滋賀県高島市朽木岩瀬374

旧秀隣寺庭園(国指定名勝)

亨禄元年朽木植綱將軍足利義晴ノ爲ニ館ヲ建テシ時築造セシモノアリト傳ヘラル
慶長十一年朽木宜綱ソノ妻秀隣夫人ヲ此ニ葬リ館ヲ寺ト爲シ秀隣寺ト號セシガ寺ハ後チ同村野尻ニ移リ亨保年中興聖寺ソノ旧基ニ移リ来レリ
庭園ハ屈曲セル汀線ヲ有スル池アリ
池ニ瀑ヲ落シ二個ノ中島ヲ置キ石橋ヲ架ス
石組ニ竪石多ク豪宕ノ氣アリ
小椋栖山安曇川一帶ヲ借景トス
室町時代ノ代表的庭園トシテ著名ナルモノナリ
(国指定文化財等データベースより)

                                                                                  



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旧秀隣寺庭園
Kyu Shurinin garden

            



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