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滋賀県野洲市 常念寺(じょうねんじ)

Yasu Jonenji


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Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野洲市永原690

浄土宗

野洲駅の北東約2.5kmにある。永原の南方、県道大津−長浜線に面した上町にある。

開基の年代は明らかでないが、聖徳太子が草創、平安初期、慈覚大師円仁の中興と伝える。

初め天台宗に属したがのち衰え、応映3年(1396)常誉真巖上人が重興し浄土宗の寺となった。後浄厳院の末寺となる。

室町時代、付近一帯で勢力をもっていた永原氏が永正3年(1506)堂舎を再興し菩提寺とした。

その後、織田信長が当寺十二世大誉文諦に帰衣したので、天正8年(1580)安土城下へ移ったが、同10年信長の没後永原に戻り、 「諸方旦那の助成」によって同13年(1801)再建されたという。

江戸時代には東坂阿弥陀寺(現在栗東市)と並んで安土浄厳院(安土町)の筆頭末寺として栄えた。

街道を進んで永原の集落に入ると、薬師堂(真宗)が建っている。無住の小堂で、永原区民が管理している。

また、境内墓地に「永禄4年三月廿日・・・」と彫られた一石五輪の永原重興墓塔があるほか、歴代の墓も残る。

本堂前方に手水鉢の利用された層塔残欠には寛元元年(1243)の紀元銘があり、他にも南北朝時代から室町時代にかけての石造遺品が多い。

その内陣厨子には薬師如来坐像(国重要文化財 藤原時代)を安置している。

その薬師堂から北に曲がってゆくと常念寺がある。

美しい石垣の間に門を開いた宏荘な寺である。

本堂の厨子に安置する阿弥陀如来立像は国重要文化財、門内右手に建つ石層塔は国認定重要美術品である。

寺域は約6,700㎡、堂宇は天正10年(1572)の建立という本堂や、寛政11年(1799)建立の山門のほか、庫裏・書院などを備える。

薬師堂

通りを横切ると小さなお堂に行き当たる。住民が管理している薬師堂である。

堂内には国重要文化財の阿弥陀如来立像が祀られている。

山門

本堂

桁行18.3m、梁寛14.6m、入母屋造、向拝三間、背面中央突出部付、背面側入母屋造、背面両脇庇付、本瓦葺

明治年間に大改造が加えられたが、古材の再利用で旧形式を復原しているといわれる。

本堂向拝、外陣紅梁、本堂外陣がみもの。元禄12年(1699)の建立。

観音堂

正面一間、側面二間、宝形造、背面軒下張出付、本瓦葺

小型の方形造一間堂で、軒の出が少ないため軸部が高く見える。正面に紅梁型飛貫を用い、飛貫以上に極彩色を施している。

正面戸口両脇には火燈窓を構え、組物は詰組とせず正面中備として蛙股2個の蛙股を拝する。

床は一部を残して板張りとするが、もとは全面土間床であったとされる。

石造五重塔

国認定重要美術品

境内松林の中に正応元年(1288)の造立銘をもつ優れた石造がある。現在は五重になり、高さは2.55mである。

基礎四面格狭間、四方仏はこれも三面像容、一面梵字で「キリーク」の面両脇に刻銘がある。

屋根の手法、四方仏のすぐれた半肉彫、格狭間など、鎌倉中期の様式をよく示しているとされる。

木造阿弥陀如来立像

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05 室町時代

本堂の厨子に安置されている。高さ80.6cm、寄木造、玉眼入り、皆金色の像。よく整っているとされる。

参考資料:【野洲郡史】【大篠原のお寺とお宮さん】【国宝大笹原神社の歴史と美術】【寺院神社大辞典】【野洲町通史】より抜粋

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