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滋賀県野洲市 大岩山古墳群
Oiwayama kofungun,Yasu city,Shiga


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June 17, 2014 中山辰夫


滋賀県野洲市辻町・小篠原・富波

国史跡

野洲市は滋賀県南部に位置する。この地域は野洲川がもたらした肥沃な沖積地を舞台に高い農耕文化が生み出された。この豊かな経済力と文化は古墳時代に引継がれ、多くの首長墓が六世紀まで連綿と築かれた。国指定史跡の大岩山古墳群や、数多くの銅鐸の出土につながる。文化・歴史上の重要な地域として今日に至る。それを裏付ける多くの神社・仏閣をはじめとする歴史遺産を数多く有している。

大岩山古墳群は富波(とば)周辺の平地から大岩山丘陵にかけての地域に形成された大規模な古墳群で、現在18基が確認されている。

3世紀にさかのぼる可能性がある富波古墳から6世紀後半の宮山二号墳迄、300年間にわたり一地域に途切れることなく首長墓の系譜を引く古墳が築かれるのは県下でも他に例がない。富波古墳以下8基が国史跡の指定を受けている。
古墳の造墓時期

造墓順に辿る

■富波古墳
1982(昭和57)年の宅地造成に伴う事前調査で発見された。平地に築かれた全長42mの前方後円墳。周濠が古墳の周りを全周している。近江地域の特徴を持つ古墳時代初期頃の土器が見つかっている。甕や丹塗りの壺片が出土。弥生墳墓から古墳への過度期的様相をもつ。3〜4世紀造墳で8基のうちで最古。

■古富波山古墳
1974(昭和49)年の宅地造成に伴う調査で一部が検出された。富波古墳の南150mの所。木棺直葬と推定される。直径約30mの円墳。3面の銅鏡が出土。
野洲川流域での首長墓で、最初の三角縁神獣鏡が発見された古墳である。3世紀後半の造墳

■大塚山古墳
史蹟保存整備に伴う調査で直径57m、高さ7.3mの帆立貝形古墳とされる。須郷福氏センターの裏側にある。楕円形の周濠を持ち墳丘基底部に葺石が検出されている。出土品は埴輪が大半であった円筒埴輪の他に形象埴輪も含まれた。特に鶏型埴輪は、全長約80cm、幅約37cm、高さ約80cmに復元される大型品で、外面に赤い顔料が塗られていた。他には希な木の埴輪もあった。埴輪や須恵器から造墳時期は5世紀前半と比定される。

■亀塚古墳
大岩山丘陵の北西に拡がる自然堤防上に築造されている。古富波古墳や富波古墳が存在している。後円部の墳丘が亀に似た形から名が付いた。全長45mの帆立貝形又は前方後円墳とされる。5世紀後葉〜末期の造墳とされる。

これ以降は大岩山山麓に所在する。

■桜生史蹟公園(さくらばさまし)
国道8号線の脇に「桜生史蹟公園」がある。公園の中には、天王山・円山・甲山古墳がある。いずれも近江を代表する後期古墳である。
古墳の一部に崩壊が起こり保存を兼ねて1994(平成6)年整備を行い、史跡公園として公開している。公園入口には案内所がある。

■大岩山遠景

大岩山古墳群がある大岩山の中腹から、1881(明治14)年に 14個の銅鐸が発見された。1962(昭和37)年には、東海道新幹線建設のための土取り工事がその出土地付近で行われ、工事現場から新たに10個の銅鐸が出土した。従って新幹線が、甲山古墳のすぐ傍を走っている。

■天王山古墳
北に前方部を設ける前方後円墳で、全長50m、高さ8m。古墳は丘陵を利用しているため盛土が比較的少ない。横穴式石室を検出した。石室は大きくない。通路(羨道)は短く、小さな石を積み上げて入口を閉じていた。造墳時期は6世紀初頭前後とされる。

■円山古墳
6世紀前葉に築造された直径28m、高さ約8mの円墳で、西に入り口を持つ横穴式石室がある。石室は長さ10.8あり、玄室は長さ4.3m、幅2.4m、高さ3.1mの規模があり、床面には玉石が敷き詰めてあった。
熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩で造られた、内外面を真っ赤に塗った刳抜き式の家形石棺が納められていた。この石棺の背面には、奈良、大阪の県境にそびえる二上山の凝灰岩で造られた、組合せ式の石棺が安置されていた。石室の中からは1万点におよぶ鉄製武器や馬具、さらに装身具など、通常の古墳からは出土しないような遺物が出土しており、この古墳の被葬者が大きな力を持っていた人物であることがうかがえる。野洲地域に馬門石の石棺を最初に埋葬した古墳である。

■甲山古墳
大岩山から北西に延びる丘陵の先端付近に築造された横穴式石室を主体部とする円墳である。新幹線がすぐ横を走る。墳丘の直径は30cm、周囲の水田と墳頂部の比高差が20mほどある。名前の通り「甲(かぶと)」を伏せたような形をしている。

玄室の規模は、長さ6.8m、幅2.8m、高さ3,3mもあり、床面には玉石が敷き詰めてあった。玄室の中央には、中が真っ赤に着色された長さ2.6m、最大幅1.6m、高さ1.8mの大きさの刳抜き式の家形石棺が納められていた。この赤い顔料は、水銀朱とベンガラが使われていた。
石棺の石材は、熊本県宇土半島産阿蘇溶結凝灰岩で、巨大な石の塊を陸路、海路を人力で運んだ被葬者の力の大きさがうかがえる。

出土品
副葬品には、ガラス玉、鉄鏃、太刀等の武具、馬具、金糸、鉄器が含まれる。馬甲や金糸は全国的にも出土事例の少ない遺物である。
盗掘を受けても残った豪華な副葬品から、この被葬者が大変大きな力の持ち主であったことがわかる。

甲山古墳から新幹線が見える。

■宮山2号墳
国指定史跡に含まれる
1962(昭和37)年に新幹線工事の土取りによって、大岩山から東へ延びる位置で発見された。銅鐸博物館の敷地に隣接してある。
古墳は直径15mの円墳で、南側に横穴式石室がある。石室の大きさは長さ8.1mで、玄室に花崗岩製の組合式石棺が配置される。出土品は、耳環・須恵器が出土している。花崗岩の組合式石棺は、滋賀県内で最古のもの。
6世紀末〜7世紀前半にかけての造墳とされる。宮山2号墳を最後に当地域の首長墓の築造は終わりとなる。

整備前の石室

■案内所
公園内の案内所には、写真パネルや甲山古墳の盛土説明や墳丘の土倉断面の説明パネルが展示されている。

≪参考≫
1941年に円山古墳、甲山古墳が国指定史跡に指定され、1982年富波古墳の発見を契機に、1985年名称を大岩山古墳群と変更され、富波古墳・古富波山古墳・亀塚古墳・大塚山古墳・天王山古墳。宮山二号墳の6基が追加指定された。

最大の特徴は、野洲川流域を支配した有力首長墓が、古墳時代初期〜飛鳥時代にかけて、系統的に造墓が確認され、後に「安」氏と呼ばれる豪族たちの古墳群だと考えられている。日本書記や古事記から古代のヤス(現在の守山市と野洲市の周辺)には、安直(やすのあたい)氏という古代近江を代表する豪族がいたことが分かっている。円山・甲山古墳から出土した豪華な品々とから安直がヤマトの大王に仕えていたとされる。
古墳群は、弥生式時代終末の大岩山銅鐸群(21個)の埋納地にも隣接している。


 

Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野州市辻町・小篠原・富波(とば)

国史跡

大岩山古墳群は。辻町・小篠原・富波に散在する。
希望が丘ゴルフ練習場近くに「銅鐸出土跡」の石碑があって、この碑の隣に野洲市立歴史民俗舘・銅鐸博物館がある。
大岩山遺跡からは24口という大量の銅鐸が出土した。
弥生時代の銅鐸(国重要文化財)は明治14年(1881)に14口が発見され、昭和37年(1962)に10口が出土した。





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