JAPAN-GEOGRAPHIC.TV

滋賀県野洲市 大笹原神社
Osasaharajinja,Yasu city,Shiga


Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water
 
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 

野洲市大篠原2375 大笹原神社境内社篠原神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 応永34(1427) 一間社隅木春日造、檜皮葺 棟札1枚 19310119
野洲市大篠原2375 大笹原神社本殿 国宝 近世以前/神社 室町中期 応永21(1414) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 棟札11枚 19010802 19610427

March 1,2014 大野木康夫 movie

境内

本殿(国宝)

境社篠原神社本殿(重要文化財)





Dec.2011 瀧山幸伸 HD video

A camera


B camera




Oct.2011 大野木康夫 HD video

2011.4.29撮影 

自動車で国道8号線の大篠原の信号を東(栗東方面からは右折、近江八幡方面からは左折)に行き、道なりに進めば案内板もあるので簡単に大笹原神社に行くことができます。
参道脇には充分広い駐車場があります。

境内風景

参道を進むと左手に拝殿、拝殿右に寄倍の池、拝殿の奥に本殿と境内社篠原神社本殿が並んで立っています。
春先で、参道ではウグイスが啼いていましたが、本殿近くまで進むと寄倍の池にたくさんいるカエルの声にかき消されてしまいました。

境内社篠原神社本殿(重要文化財)

柵の中に立つ朱塗りの鳥居の背後に建っています。
室町中期の建築ですが、何か奈良圓成寺の白山堂・春日堂の雰囲気に近いものがあります。

本殿(国宝)

入母屋造で、御上神社や日吉大社の本殿に似た雰囲気ですが、小さくまとまっており、より自然の多い環境に溶け込んでいます。
ただ一点だけ、向拝の雨樋が目立ってしまっているのが難点ですが、建物の保全上仕方がないのかもしれません。

山蔭なので、ある程度太陽が昇らないと、撮影が難しくなり、過去何度か失敗しました。


 

Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫


野洲市大篠原2375
主祭神:速須佐之男命・稲田姫命・八王子命・宇多天皇・敦實親王・佐々木高綱公 例祭:五月五日

町の東部、国道8号線沿いの大篠原集落から南へ約1km入った鏡山の北麓にある。浄勝寺の信号を右折する。
伏流水が底を流れる天井川の光善寺川橋を渡り約250m行く。岩蔵寺へは約700m直進し右折する。
旧郷社で、平安中期の寛和2年(986)の創建と伝える。のち鎌倉時代の康元2年(1257)には社殿の修復を行っている。
以来中世を通じて当社は佐々木氏の氏神として社領の寄進、社殿の修復が何度も行われ、他の武家の信仰も得た。
現存する国宝の本殿は、応永14年(1414)に六角氏家臣岩倉城主・馬渕定信を願主として社殿が再建された(大笹原神社蔵棟札銘)
京都の金閣寺より10年後に建築されたもの東山文化の粋である。
さらに、永正13年(1516)の屋根葺替えの棟札もある。これら棟札には岩蔵寺の名があり、諸寺と結びついた信仰があったと言える。
明治41年(1908)一千年祭には佐々木伯爵から寄進を受けた。
昭和33年(1958)には一千五十年祭を斎行した。
運よく屋根の葺き替え工事にぶつかった。これまでも約40年間隔で実施されてきた。
21年9月末に葺替えが完了した。新装の屋根は陽射しを受けて神々しく輝いていた。本殿の参観を許可して頂いた。
700mほど先にあって、この神社と深い関わりのある岩蔵寺も来春の完成予定で本堂を新築されている。
神社の歴史は修復の歴史ともいえるほどで、残された棟札が証明し語る。社殿を守り伝えてきた数多くの人々の努力の跡がしのばれる。
鎮守の森は、中世の名建築とともに、歴史の息吹を今に伝えている。
拝殿横の庭には安部の池がある。どんな日照りにも水涸れしたことがなくシーズンにもなると蓮が美しい花を咲かせる。
境内にある篠原神社は「餅の宮」とも呼ばれ、いわれがある。
神域は広々として閑静で深い木立に覆われている。
本殿は滋賀県の国宝第一号である。野洲市にある国宝御上神社本殿(鎌倉時代)とならび日本の代表的な神社建築の一つである。
本殿の華やかな装飾的彫刻が素晴らしい。楼門、境内社篠原神社本殿「餅野宮」も国重要文化財である。
拝殿、本殿以外の主な建物:手水舎、祭器庫、神倉、社務所、 境内社:5社


拝殿

本殿

1414:建築
国宝:建造物:指定 1901・08・02
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺、附:棟札 11枚
応永21年(1414)の建立である。東方に鏡山を望んで、村里を離れた山麓に鎮座する。
棟札によれば、近江守護代であった馬淵氏、神主代山川氏などが願主(がんす)で、岩蔵寺外の院、庵主をはじめ石塚、辻殿など26名が奉行、田中・山河殿を惣奉行として竣工した。
方三間を一体に扱い、出三斗組(でみつどぐみ)と蛙股で軒を支え、入母屋造りの屋根を乗せている。母屋は内々陣、内陣、外陣の三つにわけている。
この本殿の特色は、華麗な細部装飾にある。蛙股や両脇障子・格挟間(こうざま)などに効果的な彫刻を施し、外陣の建具を花狭間格子戸などとしている。
全体の木割りは、鎌倉期のそれに比して細く、室町期の繊細な雰囲気がある。
平成21年5月から9月末まで屋根葺きを中心とした改修工事が行われていた。
檜皮葺きの材料難が深刻と修復業者の方が語っておられた。
この修復には直径24〜5cmのヒノキが200〜250本必要とのこと。
樹林を背景に建つ素木造りの本殿は森閑とした落ち着いた雰囲気の中にある。

境内社篠原神社本殿

1427:建築
国重要文化財:建造物:指定 1931・01・19
一間社隅木入春日造、檜皮葺
本殿に向かって左手にある境内社。応映34年(1427)の墨書銘がある。大笹原神社本殿より10年後に建立され、県内でも春日造り
様式として古いものである。
丹塗りでなく、素木(しらき)のごく簡素な社殿である。
この篠原神社の春日造りは、屋根は切妻造り、左右に反りがある照屋根、両端に鬼瓦を飾る。
妻入り向拝(ごはい)を付設する。井桁の土台上に四本の丸柱を立て、平面は方一間である。高欄付の縁をめぐらし、正面に階段をつける。
規模は小さいが、向拝の柱は大面取りが行われ、簡素ながら室町時代のしっかりした仕上がりを見せているとされる。
篠原神社は別名「餅の宮」とも呼ばれる、「餅の宮」は餅宮明神と称し、鏡餅の元祖である。
平安時代より「篠原」は宿駅であり、この地方で取れる精米は良質でよく旅人などに餅を食べさした。
また、鏡餅を朝廷に献供してきたことでも名高く、この良質のもち米に感謝して餅の宮を建造したとされる。

寄倍の池(よるべのいけ) 
どんな日照のときでも水涸れしたことがないといわれる。もともと水に関わりが会ったようで、神殿前で数多くの雨乞い神事が
なされてきたことが記録に残されている。

檜皮葺

大笹原神社は、およそ40年毎に檜皮の葺替えを行なってきたと棟札にある。運よく、平成21年5月~9月の間、滋賀県教育委員会の手で工事が行なわれた。 
業者の松村工務店さんのお話では、材料の檜皮が不足して請負に支障を来す状態にあるとのこと。 
今回の工事では、胴まわり1.6m程度のヒノキが200~250本分必要とのこと。一回はがされたヒノキは7~8年使えないとのこと。
技術者不足より材料の掘り出しに時間が必要になっているようだ。
松村工務店さんも請負された御上神社本殿の葺き替え工事の見学会(平成9年)の写真を添付します。

檜皮葺(ひわだぶき)について
檜皮葺とは、読んで字のごとく檜(ひのき)の皮を使って屋根を葺くもので、古来より用いられてきた伝統的な工法で、7世紀後半にはすでに文献に記録が出ています。
檜皮葺の屋根を完成させるためには、@檜から檜皮を採取する、A採取した皮を拵える(整形する)、B拵えた皮を葺く、といった作業が行なわれます。各工程は次のようになります。



@ 檜から檜皮を採取する
50~60年ぐらいまで成長した檜の生木から採取します。採取時期は秋から冬場、木の中の水分の動きが少ない時期に行なわれます。
皮は立ったままの木から剥ぎ取ります。木の根元部分からヘラを差し込み、下から順次剥ぎ取っていきます。
高いところはロープで体を固定しながらの作業となり、非常に危険で冒険に近い作業です。
一度採取された檜が元にもどるには7~8年掛かります。

A採取した皮を拵える(整形する)
採取した皮はぶ厚く、そのままでは屋根に葺くことができません。そこで檜皮包丁(ひわだぼうちょう)を使い、荒れた部分や節を取り除き、厚さ・形状を整える必要があります。
また、各部分で使われる皮の大きさを揃えるために、平皮を2~3枚使い、檜皮包丁の先端の尖った部分でコツコツたたいて上の皮が下の皮に食い込むことで1枚の皮になるよう、さらに整形されます。この作業を「綴る(つづる)」といいます。
檜皮を整形する作業は、非常に地味なもので、屋根に上がり「葺く」作業よりも5倍の手間がかかると言われています。

A 拵えた皮を葺く
檜皮葺を行うには、大きく分けて「葺く」の技術と「積む」の技術が使われます。
「葺く」技術は、屋根面を檜皮で覆っていく技術です。最も多く使用される平葺皮は、一般的なもので長さ75cm、巾は先端で15cm程度の細長い台形をしています。
先ず皮を水に濡らし1枚1枚敷き並べます。1段毎に1.2cmずつづらしながら重ねて葺き上がり、4段重ねる毎に竹釘を2cm程度の間隔で打ち付けます。
この時、檜皮葺用の金槌(かなづち)を使用します。1枚75cmの長さの皮を1.2cmずつづらしながら葺くので62.5枚重なることとなります。厚さにすると約9cmの葺厚となります。

「積む」技術は軒先(軒付)や棟の部分(品軒付)に用いる技術です。積むために用いる皮は、軒付皮と呼ばれています。軒付皮を厚さ2.4cm、巾15cm程度に重ねたものを、一つの単位(一手)として、充分水に浸し、土台となる裏板の上に積み、竹釘で打ち締めます。
軒付皮を積む時には、一手ずつが一体になるように横部分を充分に摺り合せながら、差し込むようにして所定の高さまで積み上げます。
積み終わると外側に面して見える部分を釿(ちょうな)で所定の角度になるよう切り揃えます。
この両方の技術に共通して特殊な技術があります。竹釘を片手で打つ技術です。先ず20~40本の竹釘を口に含みます。竹釘を一本ずつ舌を使って頭が平らになっている方を先にして口から出しくわえます。
金槌を握っている手でこの釘を掴み、金槌の柄についている金属の部分を使って、檜皮に突き刺し、今度は金槌の頭を使って、完全に打ち締めます。
この間、空いている手は檜皮がずれないように押さえています。

滋賀県は全国的に見て、檜皮葺の建物が多い県です。
県内の石造・鳥居など屋根を持たない建造物を除く国・県指定の文化財は283棟ですが、その内約半数に当たる136棟(48%)が檜皮葺の建物となっています。
最近は檜皮葺に用いる檜皮の入手が困難となっています。
一度採取した檜は次に取れるまで7~8年掛かります。技術者不足よりも材料探しに時間がかかると業者さんが嘆いておられました。

参考資料:【野洲郡史】【大篠原のお寺とお宮さん】【国宝大笹原神社の歴史と美術】【寺院神社大辞典】【野洲町通史】より抜粋







All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中