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島根県松江市 木幡家住宅

Kowateke,Matsue city,Shimane

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松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 享保13(1733) 桁行16.9m、梁間11.7m、西面庇付、一部二階、南面突出部 桁行4.0m、梁間5.0m、切妻造、桟瓦葺 湯殿1棟、御成門1棟、行啓門1棟、資材蔵1棟、裏門1棟、絵図面12枚 19690620

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 新座敷棟 重文 近世以前/民家 明治 明治5(1872) 桁行12.4m、梁間10.6m、入母屋造及び切妻造、西面仏間及び茶室附属、南西面主屋に接続、桟瓦葺 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 飛雲閣 重文 近世以前/民家 明治 明治35(1902) "桁行8.9m、梁間8.2m、入母屋造、東面便所附属、南面新座敷棟に接続、桟瓦葺 附・棟札 一枚 明治三五年一〇月" 棟札1枚、棟札1枚 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 新奥座敷棟 重文 近世以前/民家 江戸末期 文久4(1864) 桁行7.6m、梁間6.7m、二階建、入母屋造及び切妻造、北面廊下附属、西面新座敷棟に接続、桟瓦葺 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 奥座敷棟 重文 近世以前/民家 明治 明治中期 桁行11.1m、梁間5.8m、二階建、入母屋造、東面茶室及び北面座敷附属、西面新奥座敷棟に接続、桟瓦葺 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 新蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸中期 土蔵造、桁行9.8m、梁間5.1m、二階建、切妻造、桟瓦葺 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 米蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸末期 土蔵造、桁行11.4m、梁間4.9m、切妻造、桟瓦葺 20091208

松江市宍道町宍道1335 木幡家住宅(島根県松江市宍道町) 三階蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸末期 土蔵造、桁行9.1m、梁間5.0m、三階建、切妻造、桟瓦葺 20091208


May 18,2019 大野木 康夫 source movie

所在地 島根県松江市宍道町宍道1335

木幡家は山城国宇治郡木幡の出身で、大阪・石山本願寺の随身を務めていたが、本願寺破却により出雲に難を避け、以後この地に土着した旧家である。近世は下郡役を務め、また酒造業も営んだが、歴代藩主の領内巡行の際には宿所となったため本陣とも称され、俗に「八雲本陣」と呼ばれる。

宍道は享保十八年(一七三三)に大火があって当家も類焼しており、現在の住宅はその後の再建になる。主屋は再建当初以来の姿をほぼ保つが、間取りは一部変更をうけ、正面庇回りは天保四年(一八三三)に改造、南面突出部もそのころに付加されている。当家には安永以来の絵図面が十二枚所蔵されて、平面の変遷が知られ、現状平面はほぼ天保改造後の形であることがわかる。

主屋背後の座敷群は,主に明治時代に整えられた上質なつくりの接客施設で,主屋と一体となって屋敷構えを構成しており,価値が高い。

また,江戸末期にさかのぼる土蔵などの附属建物や宅地も旧態をよくとどめ,山陰地方における商家の特徴を理解する上で重要である。

(国指定文化財等データベースより)

旧宍道町の人孔鉄蓋

 

木幡家住宅は宍道駅前の市街地に位置しており、建物の一部を常時公開されています。

西側はまだ現住の部分や管理用の部分があるので、指定文化財建物のうち、米蔵、三階蔵や新奥座敷棟の外観は公開部分からは見ることはできません。

 

主屋(重要文化財)

享保18(1733)年の建築

桁行16.9m、梁間11.7m、西面庇付、一部二階、南面突出部 桁行4.0m、梁間5.0m、切妻造、桟瓦葺

建物は桁行八間半、梁間五間半におよぶ一部二階建の大型の町家で、街道に面する平面外観は塗籠の白壁となる。二階の軒高は享保以来のもので割合に低く古めかしい。

内部は広い土間をもつ六間取りで、土間沿いの前二室がミセになる。土間の向かい側にはムコウミセ、ムコウザシキを配す。土間には湾曲した大梁が縦横に架けられ壮大である。土間上部には明かり窓があくので、この構架がよく見え、この住宅の見せ場となっている。もと背面東側に別棟の離れ座敷があったがすでに失われ、いまは新しい座敷がつくられている。また、東南にあった台所や南西の醸造関係の建物は改造され、旧規を残さないことは惜しまれる。

木幡家住宅は旧本陣遺構として主屋のみであるが、その保存は良好であり、また質もよい。町家としても十八世紀前半の数少ないものの一つで貴重な遺構にあげられる。

(国指定文化財等データベースより)

                    

主屋の東に附指定の湯殿、御成門、行啓門が並んでいます。

      

主屋内部

    

中庭へ

 

新座敷棟(重要文化財)

明治5(1872)年の建築

桁行一二・四メートル、梁間一〇・六メートル、入母屋造及び切妻造、西面仏間及び茶室附属、南西面主屋に接続、桟瓦葺

新座敷棟は、松江藩家老朝日家から建物の一部を移して再利用しつつ建築され、明治五年に上棟した。棟梁は松江の渡部彦七、副棟梁を宍道の伊藤徳右衛門が務めたことが知られる。

桁行一二・四メートル、梁間一〇・六メートル、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺で、南西の居間を張出し、さらに二畳台目茶室と仏間を附属する。平面は、八畳の主室を中心に、その南北及び西に座敷を配し、主室は古木を床柱として床・棚を備え、西面に組子欄間を入れる。また北西隅の五畳半は面皮柱や竹の床柱、網代天井などを用いて、数寄屋風意匠とする。

(国指定文化財等データベースより)

   

内部

  

飛雲閣(重要文化財)

明治35(1902)年の建築

桁行八・九メートル、梁間八・二メートル、入母屋造、東面便所附属、南面新座敷棟に接続、桟瓦葺

飛雲閣は、皇太子行啓に備えて明治三五年に建てられ、大工棟梁を松江の川島徳次郎が務めた。桁行八・九メートル、梁間八・二メートル、入母屋造、東西面軒庇付、桟瓦葺で、北東隅に便所を附属する。主室は十畳で、床・床脇・付書院を備え、格天井を張る。前室は九畳で、主室との室境に木象嵌の板欄間を入れる。

(国指定文化財等データベースより)

     

内部

 

奥座敷棟(重要文化財)

明治中期の建築

桁行一一・一メートル、梁間五・八メートル、二階建、入母屋造、東面茶室及び北面座敷附属、西面新奥座敷棟に接続、桟瓦葺

奥座敷棟は、飛雲閣とともに計画されて明治三三年頃に建てられ、皇太子行啓の際には侍女の居室として使用された。桁行一一・一メートル、梁間五・八メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺で、北東に三畳茶室、北西に六畳間を附属する。二階主室は八畳間で、北西隅に、床・琵琶床を配し、床脇に丸窓を穿つ。

(国指定文化財等データベースより)

新座敷棟から

     

新奥座敷棟から

     

旅館営業用の増築棟から

  

内部

 

新奥座敷棟(重要文化財)

文久4(1864)年の建築

桁行七・六メートル、梁間六・七メートル、二階建、入母屋造及び切妻造、北面廊下附属、西面新座敷棟に接続、桟瓦葺

新奥座敷棟は文久四年(一八六四)の建築とみられ、桁行七・六メートル、梁間六・七メートル、二階建、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺とし、北側廊下で新座敷棟と奥座敷棟に接続する。床を備えた八畳間の西面と北面に前室を配し、二階は座敷二間を備える。

(国指定文化財等データベースより)

北側廊下

 

新蔵(重要文化財)

江戸中期の建築

土蔵造、桁行九・八メートル、梁間五・一メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺

新蔵は奥座敷棟から南に延びる廊下に接して建ち、明治中期頃の建築とみられる。桁行九・八メートル、梁間五・一メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺で、上下階の内部は床張とし、南面に窓を穿つ。地元産の島石を用いた切石積基礎に建ち、四隅を海鼠壁とする。

(国指定文化財等データベースより)

 


May 28,2017 瀧山幸伸 source movie

    

                                                                                                                                                                                                                                            

 

 

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