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島根県津和野町 津和野
Tsuwano, Tsuwano town, Shimane

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 Culture
 
人材を輩出した城下町
 Facility
 
 Food
 
 

May 25,2017 瀧山幸伸


movie preview(YouTube)
movie



Aug.2010 瀧山幸伸 HD video

西周旧居
Old Amane Nishi residence

           
            

森鴎外旧居
Old Ougai Mori residence

             
                 

津和野城跡
Tsuwano castle
           


津和野の街並
Downtown Tsuwano

多胡家表門
Tagoke Omotemon


      

藩校養老館
Youroukan
         

津和野町役場
Tsuwano town office
     

     

                            
         

カトリック津和野教会 殉教の歴史
Catholic Tsuwano church

                  

                       

青野山
  




Dec.2003 Preview video 500Kbps High Vision


 

 
元資料:国土地理院


津和野の名前は「つわぶきの生い茂る野」に由来する。
弘安5年(1282〉源範頼の子孫である地頭職、吉見頼行が元寇警備のため能登から着任した。
津和野城は彼が着工した本格的な山城。
吉見氏は、大内、その後毛利の家臣となる。

関が原の合戦以後、「千姫事件」で知られる坂崎氏が入城し、在位16年の短期間に津和野城の大改築と城下の整備、新田開発、和紙などの産業奨励、鯉の養殖など、今日の津和野の礎を築いた。

坂崎氏が千姫事件で失脚し、元和3年(1617)因幡鹿野城主亀井政矩が4万3千石の藩主となった。
歴代藩主は殖産と教育に注力し、津和野の実録は15万石といわれるほど華栄した。
このような歴代藩主の人材育成策が功を奏し、西周や森鴎外など日本を代表する人物を輩出するに至った。


津和野の街並

津和野の景観整備は昭和50年代半ばから行われた。
殿町の街路舗装、電柱の地下埋設、郷土館前に草刈家の門を移築するなどである。
条例で環境保全地区を指定し、特別保存地区・保存建物・保存記念物を定めている。
建築物の構造は和風とし、高さ、色彩、デザイン、屋根は石見瓦を使用するなどのガイドラインが設けられている。


橋のたもと、殿町通り入り口のミニ庭園 

水清き池に灯篭を配置し、古都の情緒を演出する。
重要な景観要素であるノード(交通の結節点)がこのように景観修景されると街並の印象が大きく変わる。
もしここがコンビニやガソリンスタンドだったら、その差は明白だろう。
手すりのデザインと素材は昔風に改善したほうが良い。
山から湧き出す清水はさぞやおいしいのだろうが、それを飲む場所が随所に無いのは不思議だ。
地元の人には価値が無くても、おいしくない水を飲まざるをえない都会人には貴重な清水なのだから、「名水の里」に向けてぜひ検討して欲しい。

 

旧津和野町役場付近

役場の建物は城下町の情緒を活かし街並に調和したもの。
さらに欲を言えば、役場の機能は美観地区外に移転させ、この建物は訪問客用の施設に転用されるとなお素晴らしい。
通常の城下町では、無粋なデザインの公共施設が、景観的に最も重要な旧城下に陣取り、街並と情緒を破壊している事例が多いのだが、ここ津和野では、公民館、警察署、博物館などが古い街並に調和するように建築されており、住民の見識の高さに敬服する。

  
  


藩校 養老館(歴史民俗資料館)

天明6年(1786)創設された。
この建物は安政2年(1855)の建築。
西周、森鴎外など多くの人材を輩出した。

  
  

殿町通り
  

水路の鯉
2千本の花菖蒲と天然のホタルの舞う時期が重なり、「ホタルの里」としても有名。
  

 


多胡家表門
津和野藩の家老職の屋敷。
 

  

カトリック教会
  


町屋の街並

こちらには水と緑の潤いが感じられず、直線の道路とあわせ、冷たい印象を抱く。
ベンチ、植栽、水盤などで構成されたミニパークを設置するなど、のんびりと時間を過ごす工夫が欲しい。
夏の夜はなごみの和風照明と床机台を水路沿いに配置し、豊かな時間を過ごしたい。

  
    

  

電柱と看板は見直すべきだろう。
  

4軒もある造り酒屋は街並の顔だ。
  

造り酒屋の横丁はモノトーンで美しい。
 

古い街には日常にお茶を楽しむ文化があり、和菓子は格別においしい。
源氏巻が有名。

  
  
  
  
  
 


川の風景
環境に恵まれた津和野。
川の水の清らかさ、水音、小鳥のさえずり、鷺の舞い、水鳥の戯れ、これらが感性豊かな街の印象を演出する。
現在の護岸では水の音と流れを間近に感じることは難しいので、水辺まで近寄れる護岸と遊歩道を整備して欲しい。ホタルの時期ならずとも、さらに楽しい逍遙路となるだろう。

  

  

  

 

馬場先櫓

 

森鴎外旧宅(史跡)
文久2年(1862)この家で生まれた。
  
 

西周旧居(史跡)
哲学者西周が4歳から25歳まで居住していた。西家と森家は親戚。

  
  

橋南側の街並
  
 


【70年代旅行ブームから学ぶ】

72年から78年まで、アンアン・ノンノなどの女性誌に取り上げられ、萩と津和野に「アンノン族」と呼ばれる若い女性が殺到した。
今は静かな城下町の面影を取り戻しているが、当時は相当に賑やかだった。

この現象を考察した資料として「戦後ユース・サブカルチャーズについて(2):フーテン族からアンノン族へ」が興味深い。 *(難波功士 関西学院大学紀要Oct.2004)

アンノン族以前の旅行は、男性中心でファッションにとらわれない「カニ族」あるいは「鉄道研究会」が主流であった。
カニ族のライフスタイルは、自然風土との一体感に幸せを求めるアニミズム、あるいは「禅」の哲学に近い。
彼らは、美しく神秘的な自然に着目し、北海道の知床などに自己の原点たる土地を持っている。
年を重ねて、青春時代の原点である北海道を再訪するカニ族(あるいは鉄道ファン)は多いらしい。

アンノン族ブームは、国鉄の「美しい日本と私:DISCOVER JAPAN」キャンペーンにタイアップし発展した。
その中核は、時間的経済的余裕を持つ女子大生、結婚適齢期の高学歴団塊世代女性であった。

アンアン・ノンノは、従前の女性誌がファッションなど一ジャンルに特化していたのに対し、旅行と食住まで含めた「ライフスタイルのあり方」を提案する総合誌を確立したという点で、社会的影響力が大きかった。
この「ライフスタイル提案」という概念は、以降のハナコ族にも引き継がれている。

「日本の伝統文化」、「自然とのふれあい」、「異国情緒」が彼女らの旅の三本柱であったが、いずれもヨーロッパへの憧憬を意識したもので、 「美しい日本と私」の中の「美しい私」が興味の中心であり、親しい友人とおしゃべりしながら楽しい旅をし、おいしい食べ物と美しい工芸品などを堪能するという旅を指向していた。
アンノン族の目的地となった京都は、工芸美術品、食事など、満足度が高かったのだが、倉敷ではちょっとがっかり。
萩と津和野に至っては、遠すぎるし、彼女らを魅惑するキラーコンテンツが圧倒的に不足していた。
アンノン族の旅行ブームは、オイルショックによる景気の後退と、彼女らが家庭を持ち仲間との旅行が困難になったことに伴い一過性で終わった。
彼女らを受け入れる側も刹那的な消費誘導に走り、彼女らの潜在的需要を開拓すること、リピーターとして確保することはできなかった。
つまるところ、「津和野でなければならない理由」が無く、彼女らのライフスタイルに合わなかったのだろう。

さて、当時から30年経過したアンノン族が萩や津和野に回帰して来るのだろうか。
今日の彼女らは日本文化を再認識する余裕ができる年代になった。
それはサライの読者層に団塊世代女性が多いことからも理解できる。
今後の津和野に彼女らのライフスタイルに合う魅力が得られるかどうか。

問題は、城下町情緒を色濃く演出する「本物の街並保存と復元」がそれほど進んでいないことと、時間を消費できる魅惑的なプログラムが少ないことだ。
街並としては、津和野全体を城下町風の街並に戻し「津和野はタイムスリップできる魅力的な街」だという印象を与えることが必要だろう。
最近流行りの「重要文化的景観」として認知される要素は揃っている。
山城、櫓、川、街並、神社、そして、周囲の山並がそれを包み込む。
町全体の文化的景観(俯瞰景観)の例として、白川郷荻町が参考になろう。
城下を一望するランドマークとして、津和野城の復元も検討したい。

これらの環境を活かして、五感、衣食住、特に美容と健康に満足を与える工夫が必要だ。
城下町にふさわしくない要素の、鉄塔や看板、ビルなどを徹底的に景観に調和させる。
それに加えて、訪問者の心をつかんで離さないような精神的文化的な魅力作りを継続する。
ただでさえ直線的で広すぎる殺風景な道路から車を締め出す。
ストリートを修景し緑と潤いと伝統文化に溢れた街並を創る。
水辺、山裾の遊歩道を整備する。
夜の街歩きが楽しくなるような賑わいの一角を設ける。焚き火、かがり火など、温かみのある演出と共に。
村上の雛祭り、屏風祭りのように、各民家が土蔵に眠っている古美術品を展示する。
今や全国各地の積極的な造り酒屋やしょうゆ醸造家、豆腐製造所などの伝統的工業施設は、良水と厳選原料を利用したアンチエイジンググッズを作ったり、ギャラリーを利用してイベントを行ったりと、街をプロモートするスペースメディアとなっている。
町に隣接して道の駅併設の温泉施設を作ったが、ターゲットセグメントは明確でなく、津和野ならではの特色も出せていない。
町全体が俵山温泉のような現代風湯治を指向しているわけでもない。

工夫次第で町おこしの構想は低投資額でも実現できる。問題はそれを継続し続ける母体だ。
町おこしの有志が集まり、手作りのタウンマネジメントを、訪問者も参加する形で実行してほしい。
大きな家をもてあましている世帯も多いだろうから、学生や高齢者が比較的長期間この町に滞在するための「ホームステイプログラム」なども有意義だ。
訪問者は地域住民との交流を通じてお金で買えないコミュニティ価値を実感することができる。
リピーター増殖の一助ともなろう。
小さい城下町であるがゆえに、このようなマスタープランと実行組織が必要ではなかろうか。

お手本とまではいかないが、あるべき方向へのインスピレーションは、宮崎の飫肥や長崎の島原、岐阜の郡上八幡、山形の金山に見て取れる。
飫肥では、鯉の泳ぐ水路を増やし、年越しの灯篭祭りを行うなど、お金をかけないで街の魅力を上げる努力を試行している。
郡上八幡では、祭りと水をテーマにミニパークを創造している。
金山では、「林業」の伝統と「水」の恵みにこだわり、梁を表わした「金山形住宅」への改築を奨励し、看板を撤去し、水路沿いの修景を行い、屋根付きの木造橋を架橋している。

文化と時間消費対策としては、人物ゆかりの津和野ブランドを活かし、旧藩校を利用した松代のような文化プログラムの導入も考えられる。
ただし、少人数向けに高度な技術を伝え、作品を作り出して行くような、津和野ならではの文化プログラムでなければ成立しないだろう。
例えば、「和菓子作りとお茶の世界を習うなら津和野に1週間滞在せよ」とか、「心身の若返りには津和野ワンウィークアンチエイジングパックを」などだろうか。
津和野単独では無理なので、県を越えてとの連携も視野に入れてプログラムを開発して欲しい。

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