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静岡県浜松市北区 摩訶耶寺
Makayaji Temple, Kitaku, Hamamatsu City, Shizuoka Pref.

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平安末期の庭、剛健な石組
 Nature
 
 
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November 25, 2018 野崎順次 source movie


静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶421
高野山真言宗
大乗山宝池院 

摩訶耶寺は、神亀3年(726) 行基によって新達寺として開創されました。
 富幕山に開創された新達寺は平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、やがてマカヤ寺と呼ばれるようになり、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へと移りました。
 御本尊の厄除正観世音菩薩(秘仏)は奈良時代から今日まで、度重なる兵火・天災から僧たちによって守られ、受け継がれています。
 摩訶耶寺は古くから厄除けの寺として知られ、袋井の法多山、祝田の善明寺の観音様と三姉妹観音で、その長女が摩訶耶寺の御本尊なのです。
 庭園は平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので、座視鑑賞式池泉庭です。
 不動明王像(平安時代末期の作)と千手観音像(藤原時代初期の作)は国の重要文化財に指定され、また阿弥陀如来像(平安時代末期の作)は県の重要文化財に指定されています。
(摩訶耶寺公式ホームページより)

パンフレットと現地説明板、アプローチ

           

高麗門、もとは1680年に廃城となった野地城の城門といわれている。

         

くりからの滝

    

百観音巡礼石仏

         

津島神社

   

近藤用公夫婦御廟

      

石燈籠

      

本堂外部
現在の本堂は江戸時代、寛永9年 (1632) に建造、入母屋造り5間4面、総ケヤキの巨材をもって造作されている。

          

本堂内部
格天井には法橋関中の筆になる極彩色の花鳥が配されている。

                             

県名勝 摩訶耶寺庭園
本庭の実地を一覧すると、本庭は現摩訶耶寺の西方に当たり、全面積約四百六十坪であり、池泉はその内百三十二坪ほどあって、南北にやや長いが大体に池心の広い庭である。池中には鶴島と思われるもの一島が保存され、西南の出島に近く枯山水用の石組があって、これが亀島的である。
北部から東部にかけて七つの峯をもつ築山が連続していて、これらの築山には、いずれも多くの石組を見せている。そしてこの築山の中で東部南端の築山に三尊石組があり、また中央の築山にも三尊石組がある。これらの石組を一覧すると、その手法は平安初期の作庭として注目される、京都の大沢池庭園中の名古曾の滝址石組と酷似していることである。名古曾の滝址石組に見る三尊手法は、平安初期だけに特に強く、それに比較するとやや調子は弱いが、全く同じ三尊手法をもっていて、一種の作庭記流の手法と見てよいから、その点で本庭を平安初期の作庭と見てよい。
そして本庭の北の築山と次の築山との間に最初は水を流し入れ、そこに渓谷式の滝石組を見せている。あるいはまた池畔の汀の線は、北部と南西で州浜形の線を見せ、これは天竜寺庭園の池汀の線に似ているが、天竜寺池庭の池は天延年中(973-975)のもので平安中期であるから、そうした作庭法が強く伝統を残していると見てよいから、それらの点からも本庭が平安末期の作庭と考えられる訳である。さらに本庭の中島は、豪華な石組が見られ、比較的によく石組が保存されている。中央の立石による四方正面的三尊手法や、北部の鶴首石の雄大な表現等は、大体において三重式の護岸手法とともに、平安末期のものと見てよいし、さらに南西の枯山水的石組もはなはだ剛健であるが、本庭はその南部に元の居館があったと考えれるから、陸上のものは近年相当に荒らされている。いずれにしても、本庭のような古庭が静岡県下に現存したことははなはだ嬉しい次第である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」摩訶耶寺庭園より)

北西方向から始めて、西から、南西から、南から見ていく。

               

蓬莱出島

  

中央の三尊石組

    

東部南端の三尊石組(七石組)

   

鶴島

     

南西の枯山水的石組

   

参考資料
静岡県観光 My旅しずおか ウェブサイト
事務局用



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