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静岡県伊豆の国市 韮山反射炉
Nirayama kirn,Izunokuni city,Shizuoka

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国史跡、国際的にも稀有な産業遺産
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May 16, 2015 野崎順次 movie


静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268
国史跡 韮山反射炉
Nirayama Reverberatory Furnace, Izunokuni City, Shizuoka Pref.)

日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみであるため貴重な遺構とされる。1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された。また、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載されている。

(ウィキペディア「韮山反射炉」より)

嘉永6年(1853)のペリー来航により、日本は外国の脅威にさらされました。江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍(坦庵)に対して、幕府は江戸内湾への台場築造と平行して、反射炉の建造を許可します。ペリー来航以前から反射炉の研究を続けていた英龍でしたが、蘭書の記述のみを頼りに大規模な反射炉を建造することは非常に困難が伴いました。

建設予定地は下田港に近い加茂郡本郷村(現下田市高馬)とされ、その年の12月には基礎工事が始められました。しかし、翌、安政元年3月末、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が、反射炉建設地内に進入するという事件がおこりました。そこで、急遽、反射炉建設地を韮山代官所に近い田方郡中村(現伊豆の国市中)に移転することになったのです。反射炉は、ヒュゲニン(huguenin)著『ライク王立鉄大砲鋳造所における鋳造法』という蘭書に基づいた、連双式(溶解炉を二つ備える)ものを2基、直角に配置した形となっていました。つまり、四つの溶解炉を同時に稼動させることが可能になったのです。

しかし安政2年(1855)正月、江川英龍(坦庵)は反射炉の竣工を見ることなく病死してしまいます。後を継いだ江川英敏は、蘭学の導入に積極的で、反射炉の建造も行っていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請しました。その結果、安政4年(1857)11月、反射炉は着工から3年半の歳月をかけて、ようやく完成したのでした。

完成した反射炉では、元治元年(1864)に使用が中止されるまでに、数多くの西洋式大砲が鋳造されました。これらの大砲は品川台場に28門配備されたといわれています。

(伊豆の国市ウェブサイトより)

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反射炉入り口あたり

     

パンフレットと現地説明板

               

反射炉全景、東北から

       

東南から

       

西南から

    

西北から

      

反射炉細部、東北から時計回り

                                

その他

       

受付の展示

                                

記念撮影台など

      





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