Japan Geographic

看板考 柚原君子


 

「中山道案内板」

2011年3月に東日本大震災があり津波の映像が頭から離れず、0メートル地帯に住むことの怖さを実感。東京を離れることはできませんが、とにかく海抜の高い方に引っ越そうと決心。
2013年春、板橋区に引っ越し完了。町に慣れた頃、中山道の第一宿である板橋宿が近所にあることに気付きました。巨大なマンションの前には本陣跡碑。商店街になっている旧中山道は緩やかに曲がり、中宿の地名も残り江戸払いされる罪人の縁切り松も残っていて、江戸時代の匂いがした感じがしました。中山道をたどってみたいな、と思いました。
当初は同居の孫もまだ小さく手がかかり、時々にふらり、と行くぐらいでしたが、碓氷峠越えの辺りから本格的に計画を立て始めました。途中、息子の死やコロナなどで通算2年間ほどのロスがあり、始めてから7年が過ぎた今年の2020年秋には残すところ10宿までこぎ着けました。
宿歩きの計画はグーグル中山道マップや中山道歩きの先人のHPなどで時間を読んだりしますが、現地の駅を降りて歩き始めると頼りになるのはやはり「道案内道標」です。どちらに行くの!とキョロキョロ探すと店の軒先に看板のようにかけてある場合や、畑の端にこのあぜ道を行くと自前で書かれたものもありいろいろです。

■一番きれいな看板(道案内)
馬籠宿をぬけて落合宿の手前に一里塚と茶屋があり、そこは信濃の国と美濃の国の国境となりますが、程なく歩くとこの看板が見えてきて、ああ長野県から岐阜県に入ったのだと実感できます。絵柄は二種類ですが岐阜県内の中山道はすべてこの看板です。統一の色彩で安心します。
  


■ややこしい看板(道案内)
関ケ原宿……戦国時代の歴史も数々ある故でしょうか、中山道歩きと戦国時代史跡とが一緒の案内で中山道歩きのみの現旅人にはややこしく感じます。
 


■ホッとした看板(道案内)
和田宿から下諏訪宿の間には和田峠があります。登りも厳しいですが、下りも幾重にも曲がって行く「七曲がり」があります。膝がガクガクし始める最後の下りに「ここで終わり」と書いてあるのを見たときは、ありがたぁい~気持ちになりました。
 


■今時一番怖い看板
「熊出没」。今年は熊出没のニュースが多くビビリます。民家の庭にも出てきているようで、ドングリの実の不足ばかりでなく、人を恐れない第3世代の熊が成獣になっているそうで、中山道の少しの山道でも笛を吹き、ラジオをつけ、熊鈴を数個ぶら下げて歩きます。経験では体育の先生が持つようなホイッスルが高音で良く響く笛で、ピィピィ吹きぱなしで歩きます。
馬籠を抜けて落合宿に入り十曲峠にあたる長い石畳み道はけっこう薄暗く、怖いのでビィピィ吹いて下山していたら、元茶店のような古い家から、仙人のようなおじいさんが出てきて私たちを待ち受けました。「こんにちは♪」と私たち。「何の音かと思って出てきたら笛か。熊は出ない。中山道の路には出たことがない!」と断言。
この仙人さんはこの薄暗い元茶店をやっていた場所にもう20年くらいの間、一人で住んでいるそうで、昔はこの落合の石畳みは行列で、お茶や団子が売れに売れたそうです。自身も中山道が大好きで、かあちゃんはみっともないからやめてくれと言ったけど、ちょんまげを結って草鞋で中山道を9日間で踏破したとおっしゃっていました。ちょんまげではありませんでしたが髪は後ろで一本に結わき草履白足袋で水戸黄門のような服装に杖でした。
清潔感のある中山道大好き仙人さんに熊は出ない!の太鼓判を貰ってお別れ。ちょっと安心して続きの薄暗い石畳を下りました。

 

 


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