東京都文京区 無縁坂
Muenzaka,Bunkyoku,Tokyo

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評価とコメント
 
坂は直線で単調だが、旧岩崎邸の緑と石垣は風情がある
 
不忍池に近い

 
鴎外の雁の主要舞台
 
坂の景観を楽しむスポットはなく、無料休憩設備もないが、不忍池の施設を利用可能。

Apr.4,2017 柚原君子

                 



Nov.2009 瀧山幸伸


文京区湯島四丁目(坂の北側)と台東区池の端一丁目(坂の南、旧岩崎邸側)間にあり西向きに上る坂

始点 北緯35度42分37 秒 東経139度 46分 5秒 標高約 5m
終点 北緯35度42分31 秒 東経139度 45分 55秒 標高約 15m
坂延長 約250m

写真 無縁坂から不忍池を望む
 

現在の無縁坂 石垣は旧岩崎邸
            

東大医学部 鉄門跡

   


国土地理院 1/25000地図 

 

江戸切絵図 (国土地理院所蔵)
 

「御府内備考」の, 「称仰院前通りより本郷筋へ往来の坂にて, 往古 坂上に無縁寺有之候に付、、」に由来するらしい。 肝心の無縁寺の場所は不明だとしている。
「文京の坂道」によると、称仰院は講安寺開山の隠居地で、無縁寺と称したといい、講安寺は当初無縁山法界寺と称した。またこの周辺は松平備後守・榊原・前田家など武家屋敷が多く、武縁坂、武辺坂とも呼んだ。ということだが、語呂合わせの解釈にはやや無理がある。


森鴎外の『雁』の主要な舞台となる坂であり、薄幸なヒロインお玉を中心に、彼女が慕う岡田の描写をまじえてこの坂を考察してみたい。


坂には長調の坂と短調の坂がある。無縁坂は周囲の雰囲気もそうだが、この小説が寄与するところが大きく、短調の坂の代表ではなかろうか。
小説はまず主人公岡田の散歩コースと坂の説明から入る。冒頭から短調のメロディーが並び、なんとも哀愁が漂う。
今日の無縁坂は旧岩崎邸の整備により幾分賑わいがあるが、当時ははるかに荒廃している風情が感じられる。
女主人公はこのような下町風の坂の途中の仕舞屋に居を構える。近年までこの家のような雰囲気は残っていたが、今は近代的な建築物ばかりである。
無縁坂からは上野の山が見渡せた。榊原の屋敷(現在の旧岩崎邸)は、官軍が大砲を据え、不忍池越しに上野の山に立てこもっている彰義隊を攻撃し、官軍勝利を導いた因縁の地である。
その上野の山は、明治政府が医学校である大学東校(元の種痘所、現在の神田和泉町三井記念病院)と病院の移転先候補としたが、オランダから招聘した医軍講師ボードワンの意見に従い公園となった。
大学と病院は代わりに現在の東大医学部と病院となっている前田家の敷地に移転したのだが、ここに入学したのが鴎外であったのだから、岡田の散歩の道筋も何らかの因縁だろうか。


---岡田の日々(にちにち)の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川(あいそめがわ)のお歯黒のような水の流れ込む不忍(しのばず)の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源(まつげん)や雁鍋(がんなべ)のある広小路、狭い賑(にぎ)やかな仲町(なかちょう)を通って、湯島天神の社内に這入(はい)って、陰気な臭橘寺(からたちでら)の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖(とざ)されるので、患者の出入(しゅつにゅう)する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町(はるきちょう)から衝(つ)き当る処(ところ)にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷(ほんごう)通りを歩いて、粟餅(あわもち)の曲擣(きょくづき)をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋(めがねばし)へ降りて、柳原(やなぎはら)の片側町(かたかわまち)を少し歩く。それからお成道(なりみち)へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿(うが)って、矢張(やはり)臭橘寺の前に出る。これが一つの道筋である。これより外の道筋はめったに歩かない。

---そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸(やしき)であったが、まだ今のような巍々(ぎぎ)たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔(こけ)蒸(む)した石と石との間から、歯朶(しだ)や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅(か)られることがなかった。
坂の北側はけちな家が軒を並べていて、一番体裁の好(い)いのが、板塀を繞(めぐ)らした、小さいしもた屋、その外(ほか)は手職をする男なんぞの住いであった。店は荒物屋に烟草屋(たばこや)位しかなかった。中に往来の人の目に附くのは、裁縫を教えている女の家で、昼間は格子窓の内に大勢の娘が集まって為事(しごと)をしていた。時候が好くて、窓を明けているときは、我々学生が通ると、いつもべちゃくちゃ盛んにしゃべっている娘共が、皆顔を挙げて往来の方を見る。そして又話をし続けたり、笑ったりする。


お玉と岡田との出会いも、官軍と彰義隊の出会いのようでもあり、世界の違いが暗示される。

---その隣に一軒格子戸を綺麗(きれい)に拭き入れて、上がり口の叩きに、御影石(みかげいし)を塗り込んだ上へ、折々夕方に通って見ると、打水のしてある家があった。寒い時は障子が締めてある。暑い時は竹簾(たけすだれ)が卸してある。そして為立物師(したてものし)の家の賑やかな為めに、この家はいつも際立ってひっそりしているように思われた。
この話の出来事のあった年の九月頃、岡田は郷里から帰って間もなく、夕食後に例の散歩に出て、加州の御殿の古い建物に、仮に解剖室が置いてあるあたりを過ぎて、ぶらぶら無縁坂を降り掛かると、偶然一人の湯帰りの女がかの為立物師の隣の、寂しい家に這入るのを見た。もう時候がだいぶ秋らしくなって、人が涼みにも出ぬ頃なので、一時人通りの絶えた坂道へ岡田が通り掛かると、丁度今例の寂しい家の格子戸の前まで帰って、戸を明けようとしていた女が、岡田の下駄の音を聞いて、ふいと格子に掛けた手を停(とど)めて、振り返って岡田と顔を見合せたのである。


お玉はどんな女性なのだろうか。女が男に微笑むということが意味するものは明白である。


---結い立ての銀杏返(いちょうがえ)しの鬢(びん)が蝉(せみ)の羽(は)のように薄いのと、鼻の高い、細長い、稍(やや)寂しい顔が、どこの加減か額から頬に掛けて少し扁(ひら)たいような感じをさせるのとが目に留まった。岡田は只それだけの刹那(せつな)の知覚を閲歴したと云うに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまう頃には、もう女の事は綺麗に忘れていた。
しかし二日ばかり立ってから、岡田は又無縁坂の方へ向いて出掛けて、例の格子戸の家の前近く来た時、先きの日の湯帰りの女の事が、突然記憶の底から意識の表面に浮き出したので、その家の方を一寸見た。竪(たて)に竹を打ち附けて、横に二段ばかり細く削った木を渡して、それを蔓(かずら)で巻いた肱掛窓(ひじかけまど)がある。その窓の障子が一尺ばかり明いていて、卵の殻を伏せた万年青(おもと)の鉢が見えている。こんな事を、幾分かの注意を払って見た為めに、歩調が少し緩くなって、家の真ん前に来掛かるまでに、数秒時間の余裕を生じた。
そして丁度真ん前に来た時に、意外にも万年青の鉢の上の、今まで鼠色(ねずみいろ)の闇に鎖されていた背景から、白い顔が浮き出した。しかもその顔が岡田を見て微笑(ほほえ)んでいるのである。
それからは岡田が散歩に出て、この家の前を通る度に、女の顔を見ぬことは殆ど無い。

お玉は、おとなしい、細面ということであれば、竹久夢二が描く美人画の印象が近い。

竹久夢二 
  



中国で人気の美人といえば白蛇伝であろう。アニメーション映画の『白蛇伝』は宮崎駿がアニメーション映画製作を志した原点でもある。
鴎外は小青が好みのようである。自分の嗜好をお玉に投影しているのではなかろうか。
具体的にはどのような形容か。白蛇伝に登場する小青とは、清く正しく美しく、主人の白蛇に仕える青蛇といったところか。控え目な女性像だ。
白蛇伝、大物主大神神話、今昔物語、雨月物語、娘道成寺など、蛇と美男子と女の執念にまつわる説話の一つとして『雁』をとらえると、岡田が青大将退治をしたことがお玉の決意のきっかけとなったわけで、怖いながらも妖な雰囲気が伝わってくる。


---同じ虞初新誌の中(うち)に、今一つ岡田の好きな文章がある。それは小青伝であった。その伝に書いてある女、新しい詞で形容すれば、死の天使を閾(しきい)の外に待たせて置いて、徐(しず)かに脂粉の粧(よそおい)を擬(こら)すとでも云うような、美しさを性命にしているあの女が、どんなにか岡田の同情を動かしたであろう。女と云うものは岡田のためには、只美しい物、愛すべき物であって、どんな境遇にも安んじて、その美しさ、愛らしさを護持していなくてはならぬように感ぜられた。それには平生香奩体(こうれんたい)の詩を読んだり、sentimental(サンチマンタル) な、fatalistique(ファタリスチック) な明清(みんしん)の所謂(いわゆる)才人の文章を読んだりして、知らず識(し)らずの間にその影響を受けていた為めもあるだろう。


お玉を妾にした悪役の高利貸、末造はこのような目でお玉を見ている。これも白蛇伝とのアナロジーが面白い。


---末造はつと席を起(た)った。そして廊下に出て見ると、腰を屈(かが)めて、曲角の壁際に躊躇(ちゅうちょ)している爺いさんの背後(うしろ)に、怯(おく)れた様子もなく、物珍らしそうにあたりを見て立っているのがお玉であった。ふっくりした円顔の、可哀らしい子だと思っていたに、いつの間にか細面になって、体も前よりはすらりとしている。さっぱりとした銀杏返(いちょうがえ)しに結(い)って、こんな場合に人のする厚化粧なんぞはせず、殆ど素顔と云っても好(よ)い。それが想像していたとは全く趣が変っていて、しかも一層美しい。末造はその姿を目に吸い込むように見て、心の内に非常な満足を覚えた。

物語の最後、いよいよお玉が末造と決別して岡田に告白しようという場面であるが、偶然のいたずらから、お玉の人生は翻弄される。不忍池の雁が石に当たって死ぬことが暗示となっており、短調の旋律のクライマックスである。


二十二
---無縁坂を降り掛かる時、僕は「おい、いるぜ」と云って、肘(ひじ)で岡田を衝いた。
「何が」と口には云ったが、岡田は僕の詞の意味を解していたので、左側の格子戸のある家を見た。
家の前にはお玉が立っていた。お玉は窶(やつ)れていても美しい女であった。しかし若い健康な美人の常として、粧映(つくりばえ)もした。僕の目には、いつも見た時と、どこがどう変っているか、わからなかったが、とにかくいつもとまるで違った美しさであった。女の顔が照り赫いているようなので、僕は一種の羞明(まぶし)さを感じた。
お玉の目はうっとりとしたように、岡田の顔に注がれていた。岡田は慌てたように帽を取って礼をして、無意識に足の運(はこび)を早めた。
僕は第三者に有勝(ありがち)な無遠慮を以て、度々背後(うしろ)を振り向いて見たが、お玉の注視は頗(すこぶ)る長く継続せられていた。
岡田は俯向(うつむ)き加減になって、早めた足の運(はこび)を緩めずに坂を降りる。僕も黙って附いて降りる。僕の胸の中(うち)では種々の感情が戦っていた。この感情には自分を岡田の地位に置きたいと云うことが根調をなしている。

物語の結末は切ない。サティの哀愁を帯びた曲『ジムノペディ』を聞きながらこの物語を読み、岡田の歩いたコースで無縁坂を訪ねるのも一興か。お玉の想いを背後に感じながら。

参考文献 
「ぶんきょうの坂道」文京区教育委員会

アニメ映画 『白蛇伝』1958 東映アニメーション 


無縁坂
Muenzaka

Mar.2007 撮影:柚原君子

    


May 2003 撮影:瀧山幸伸 Preview video 500Kbps Hi Quality