JAPAN GEOGRAPHIC

東京都中央区 日本橋(架橋と街並)
(Nihonbashi Bridge and nihonbashi area, Chuoku, Tokyo)

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 Water
 
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 



中央区日本橋1-1 日本橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治44(1911) 石造二連アーチ橋、高欄付(青銅製照明灯を含む) 東京市道路元標1基 19990513

Mar.20,2016 瀧山幸伸

架橋日本橋
Nihonbashi bridge
                

木屋での蒔絵実演
Makie craftwork at Kiya
                 
 
三井タワー付近
       

丸石ビル(千代田区との境界)
   


Oct.13,2015 松田浩志

日本橋近隣の風景
                                        
                                        


Oct.19,2015 瀧山幸伸 source movie

宝田恵比寿神社 べったら市
Takaradaebisujinja Bettaraichi

                   




Aug.15,2015 瀧山幸伸 source movie


高島屋付近から日本橋方面へ

                          

日本橋から三越、三井本館、コレド方面へ

                                                  


Apr.4,2014 瀧山幸伸

    



Jan.2013 酒井英樹

 撮影:2012年6月

     江戸時代五街道の起点となる日本橋は、現在でも7つの一般国道[1号(大阪市 梅田新道道路元標)、4号(青森市)、6号(仙台市)、14号(千葉市)、15号(横浜市)、17号(新潟市)、20号(長野県塩尻市)]の起点として中央に「日本国道路元標」が設置されている。
 一級水系荒川水系の支川日本橋川に架かる橋で、現在の橋は慶長8年(1603)に初代が架けられてから数えて19代目にあたる。 石造アーチ二連の道路橋として明治41年(1908)に架け替え工事に着手、明治44年(1911)3月28日に竣工し、4月3日に開橋した。大正12年(1923)の関東大震災では橋梁本体には大きな被害はなかったが、橋梁表面の石材や高欄が部分的に損傷したが、昭和3年(1928)に復旧された。第二次世界大戦の空襲では焼夷弾の傷跡が残る程度の損傷で済んだが、金属回収令に基づく金属供出で青銅製の装飾品が損傷した。戦後にモルタル等で応急復旧がなされたのみで、その後の経年劣化にも抜本的な修復がなされないままの状況が長く続いた。この間、高度成長期には上空に首都高速道路の高架橋が覆い被さるように設置されたため架橋当時とは景観が大きく変わっている。
 重要文化財として指定するに当たり損傷した部分を平成8年(1996)から3カ年かけて旧材と同じ材質で補修され橋自体は旧態を取り戻している。
 
 橋梁構造は日本橋川の中央に橋脚を築き、径間21m、迫り高2.8m、幅28mの石造欠円アーチ二連を架け、アーチと路面敷石の間は橋脚上部は煉瓦積み、橋台部はコンクリートを充填し、橋体として表面はすべて花崗岩を積んでいる。 装飾はすべて青銅製で中央に高さ7.5mの方錐柱上部に5つ、柱中途の左右に各1つの花形ランプを付け、柱座には麒麟が配されている。橋台の四隅には高さ5.4mの柱の上部に1つと柱中途に1つの花形ランプが付き、柱座には獅子が配置されている。また、アーチ・キーストーン上部にもランプ付きの柱を装飾している。 橋梁設計及び工事監督は東京市技師の米元晋一、装飾部については大蔵省建築部長であった妻木頼黄の考案に基づき、東京美術学校の津田信夫を主任として、柱は熊木三次郎、麒麟と獅子は渡邉長男が原型製作に当たった。 <麒麟>
      麒麟は仁の心を持つ君主が生まれると姿を現す一角の霊獣であり、四方を司る四神(東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武)を従え中央に位置する五神の主でもある。
 妻木頼黄は日本国の道路の中心となる日本橋の中央部に平和の象徴でもある麒麟像を配置したと言われている。 <獅子>
      獅子は神聖な建造物を守る霊獣。玉を持つ姿が多いが、日本橋の獅子は東京市の市章を持っている。
 妻木頼黄は日本国の道路の中心となる日本橋を神聖な建造物として獅子像を配置したとも言われている。 <街燈>
    <東京市道路元標>   戦前の旧道路法では各市町村に1つづつ道路元標を設置し市町村の定点となっていた。東京市道路元標は日本橋を通っていた東京都電の架線柱とし利用されてきたが、廃止に伴い現在地に移築され保存されている。元の位置には現在は50センチ四方の標識が埋められている。
 各市町村の元標は概ね役場に設置されていたため、現在でも慣例として道路の標識にある○○市までの距離は○○市役所までの道のりを表している。
 例外として東京市は江戸時代からの起点であった日本橋に設置された。また、大阪市は梅田新道にあり、一般国道の道路標識の大阪市までの距離は大阪市役所ではなく梅田新道までを表している。

Oct.2012 瀧山幸伸 source movie Edited video

                        

日本橋クルーズ(勝鬨橋、清洲橋コース)
Nihonbashi cruise



Oct.2012 大野木康夫
2011.9.14撮影 明治44(1911)年の建築
石造二連アーチ橋、高欄付(青銅製照明灯を含む)                                      

Nov. 2011 野崎順次


東京都中央区日本橋一丁目・日本橋室町一丁目
撮影日: 2011年11月9日竣工: 明治44年(1911)
構造・形式: 石造二連アーチ橋、高欄付き(青銅製照明灯を含む)
設計: 米元晋一(よねもとしんいち)、東京市の技師
装飾: 妻木頼黄(つまきよりなか)、大蔵省臨時建築部長
装飾(獅子、麒麟): 渡辺長男(わたなべおさお)
重文指定: 平成11年(1999)に国の重要文化財に指定。我が国の国道の起点。橋長49m、橋幅28m、アーチ径間21mの規模を持つ。壁石は切石積み。翼壁上に湾曲形の袖壁をめぐらす。装飾用材は全て青銅で,中央及び橋台部4隅に花形ランプ付方錘柱を建て、各柱座に蹲踞状の麒麟を配す。麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表す。ルネッサンス式橋梁本体に和漢洋折衷の装飾が調和する。技術的,意匠的に優れた明治期を代表する石造アーチ道路橋。日本橋川の上流から見た全景      中央通りを南から   現地説明板      橋の上流側                                  橋柱文字は、最後の将軍 徳川慶喜の揮毫  道路元標       魚河岸跡   橋の下流側                                  参考資料
日本橋地域のまちづくりHP
国指定文化財等データベースHP


All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中