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東京都中央区 「江戸の面影を探る」

瀧山幸伸

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目次

■■■■■ 小江戸の街並から江戸の面影を探る

■■■■■ 江戸の街並ランドマークから江戸の面影を探る

1 武家の街並

 (1) 江戸城(国特別史跡)

 (2) 武家屋敷

2 庶民の街並と文化

 (1) 商人町

 (2) 庶民の公園 

 (3) 橋、河岸、市場

 (4) 芝居街

 (5) 花街

 (6) 庶民の寺町、神社

 (7) 祭り

 (8) 花火

 (9) 火の見櫓

 (10) 宿場 

 (11) 一里塚

 (12) 名主、農家


■■■■■ 小江戸の街並から江戸の面影を探る

小江戸とは、 「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い街並を残している町」で、代表例として川越 栃木 佐原、その他大多喜、厚木、磐田、彦根と言われている。

■■ 川越 (重要伝統的建造物群保存地区)

城下町。商人町は松平信綱の時代に形成されたが、現在の蔵造りではなかった。蔵造りの街並は明治26年(1893)の川越大火以後に形成されたものだ。それ以前に建築された大沢家(寛政4、1792建築)など土蔵建築が焼け残ったのを見た商人がこぞって江戸の土蔵建築を推進した結果、黒漆喰の土蔵が連続する街並が形成された。関東で最も美しい土蔵の街並。

 

■■ 栃木 (重要伝統的建造物群保存地区)

商人町。水運を利用した物資の集散地として発展した。応永元年(1394)小山氏の一族皆川氏がこの地に出城を築いたことがその始まりであるが、江戸時代には利根川水系の巴波川(うずまがわ)を利用した江戸との舟運により栄えた。

明治の当初は栃木県の県庁所在地となっており、政治経済ともにこの地域の中心地であった。

栃木は黒漆喰の蔵の町で、400もの蔵があるといわれているが、区画整理と近代建築に蹂躙され、中心部の街並はすでに破壊されており、伝統的建造物群を形成しているわけではない。

だが、古い建物が町中に散在しており、特に巴波川に沿って問屋金融などの古建築が残されているほか、蔵を利用した商業施設や蔵風店舗の新築が見られる。

川沿い遊歩道の整備も行われ、清流に揺れる藻を楽しみながらの散策は心慰められる。

市街地中心部から北に外れた日光例幣使街道沿いの嘉右衛門町には素朴で伝統的な街並が良く残されており、遅ればせながら重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

 

■■ 佐原 (重要伝統的建造物群保存地区)

商人町。江戸時代の佐原は大いに賑わった。今でも伊能忠敬旧宅や小堀屋本店、正文堂書店など土蔵造りの商家が点在する。

利根川図志(1855)に 「佐原は下利根付第一繁昌の地なり、村の中程に川有りて、新宿本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚さげ、旅人の船、川口より此処まで、先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」と記されているとおり、当時の最大輸送手段である水運を利用し、関東の河港商業の中核として栄えた街。

元禄年間の洪水で利根川の流れが対岸の潮来から佐原側に移り、利根川へつながる小野川沿いに米問屋や醸造業を営む店が増えた。

周辺や近隣から物資を集め江戸へ運び、江戸から呉服や砂糖・塩等の日常品を運び近隣に売り捌いたとのこと。

このような経済を背景にした関東三大祭りの一つ「佐原まつり」は多くの山車が辻で急回転する豪奢な祭りで、山車が小野川沿いの狭い道をすり抜けて行く様は大変美しい。

 

■■ 大多喜

城下町。1590年(天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えて城を整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年(元禄16年)から松平氏が9代続いた。

  

■■ 厚木

商人町、宿場町。大山街道と多摩川の水運とで栄えた。

■■ 磐田

商人町。天竜川最下流に位置する掛塚湊は木材等諸物資の回漕で繁栄し、遠州の小江戸といわれる。

■■ 彦根

宿場町、城下町。古来より近江国の交通の結節点。中世から近世にかけては多賀大社の参詣道として隆盛した。

江戸時代初期に整備された中山道の宿場町として、彦根市域に鳥居本宿と高宮宿が置かれた。鳥居本宿は中仙道中近江国内で随一の賑わいを見せた。

城下町としての歴史は古くない。江戸時代に井伊家の知行となり、彦根城を中核とした彦根藩が置かれた。彦根城は姫路城と共に西日本の外様大名に睨みを利かせる重要な役割を担い、城下町として発達した。

 

■■■■■ 江戸の街並ランドマークから江戸の面影を探る

江戸のミニチュアが小江戸として完全に残っているわけではなく、どこが江戸に類似しているのか、漫然と歩いてもわかりづらい。

「小江戸」に過度な期待をしないで、江戸の街並のランドマークを頼りに、全国各地に残る文化財などから江戸の面影を探ってみよう。

1 ■■■■ 武家の街並

「武家の江戸の街並」に関連する浮世絵は少ない。江戸城・武家屋敷などは自由に描けなかったので資料は少ないが、敷地の現存率は高い。

以下、全国各地に残る城下町の文化財などから武家の江戸の街並と今を比較してみる。

(1) ■■■ 江戸城(国特別史跡)

江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、後の本丸・二ノ丸辺りの台地上に置かれていたとされる。

扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣、太田道灌が1457年(長禄元年)に江戸城を築城した。

1524年(大永4年)、扇谷上杉氏を破った後北条氏の北条氏綱の支配下に入る。江戸城の南には品川湊があり、更にその南には六浦(金沢)を経て鎌倉に至る水陸交通路があり、関東内陸部から利根川・荒川を経て品川・鎌倉に向かう交通の要だった。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に開城。徳川家康が秀吉によって後北条氏旧領の関八州を与えられ、駿府から入城した。

江戸図屏風 部分 (国立歴史民俗博物館)

 

総構え完成(1640)のころの江戸城(小平市立図書館)

  

江戸城配置図 (wikipedia)

 

幕末期の江戸城(ベアト:横浜開港資料館)

 

A ■■ 江戸城天守閣

本丸の天守は慶長度(1607年)、元和度(1623年)、寛永度(1638年)と三度築かれている。どの天守も鯱や破風の飾り板を金の延板で飾っていた。

1657年に寛永度天守が焼失した後、ただちに再建が計画され、現在も残る御影石の天守台が前田綱紀によって築かれた(高さは6間に縮小)。

計画図も作成されたが、保科正之の「天守は織田信長が岐阜城に築いたのが始まりであって、城の守りには必要ではない」という意見と江戸市街の復興を優先する方針により中止された。

後に新井白石らにより再建が計画され図面や模型の作成も行われたが、これも実現しなかった。以後は、本丸の富士見櫓を実質の天守としていた。江戸寛永度天守 復元立面図(広島大学 三浦研究室)

 

参考: 大阪城 

江戸城天守閣とほぼ同じ大きさではあるが、鉄筋コンクリートで復元したもの。

 

参考:現存する天守閣

わずか12しかなく、いずれも国宝あるいは重要文化財に指定されている。

青森県弘前市 弘前城 (重要文化財)

 

長野県松本市 松本城 (国宝)

 

福井県坂井市 丸岡城 (重要文化財)

 

愛知県犬山市 犬山城 (国宝)

 

滋賀県彦根市 彦根城 (国宝)

 

兵庫県姫路市 姫路城 (国宝)

 

島根県松江市 松江城 (重要文化財)

 

岡山県高梁市 備中松山城 (重要文化財)

 

香川県丸亀市 丸亀城 (重要文化財)

 

愛媛県松山市 松山城 (重要文化財)

 

愛媛県宇和島市 宇和島城 (重要文化財)

 

高知県高知市 高知城 (重要文化財)

 


B ■■ 江戸城表御殿

参考:京都 二条城

慶長8年(1603年)、徳川家康が、京都御所の守護と上洛のときの宿泊所として造営し3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成したもの。城ではなく、住宅に分類される。

 

参考:熊本城本丸御殿(平成20年、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大台所を復元)

  

参考:掛川城御殿(重要文化財)

現存する御殿のうち、代表的なもの

  

参考:川越城本丸御殿

 

C ■■ 江戸城大奥

参考: 川越市喜多院

寛永15年(1638)の川越大火による焼失。江戸城紅葉山の建物を移築し、客殿(徳川家光誕生の間ほか)、書院(春日局化粧の間ほか)とした。

紅葉山の建物は大奥ではないが、風情は感じられる。

客殿と書院(共に重要文化財)

  

参考:京都御所 北側の殿舎

藤壺など、平安時代から続く女性中心のプライベートな空間。大奥の雰囲気を感じることができる。

  

D ■■ 江戸城門、櫓

田安門(重要文化財)

 

清水門(重要文化財)

 

富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓桜田巽櫓、大手門 (再建造物)

 

常磐橋門跡 (史跡)

 

E ■■ 江戸城(将軍家)関連の庭園

皇居東御苑(特別史跡)(wikipedia)

 

港区 浜離宮(名勝)

元の将軍家鷹狩り場。6代家宣が浜御殿を造営した。

 

F ■■ 将軍家関連の寺、神社 

寺社は比較的良く残っている。上野寛永寺(五重塔ほか)と上野東照宮、芝増上寺は別格。

上野清水堂不忍ノ池(名所江戸百景)

 

台東区上野 清水堂(重要文化財)

 

増上寺塔赤羽根(名所江戸百景)

 

芝神明増上寺(名所江戸百景)

 

港区増上寺 旧台徳院霊廟惣門 (重要文化財)

 

港区増上寺 三解脱門 (重要文化財)

 

(2) ■■■ 武家屋敷

参考: 栃木県日光市 旧日光田母沢御用邸 (重要文化財) 

紀州藩徳川家江戸中屋敷(現迎賓館の場所)の一部を移築したもの。

 

港区 三田綱坂(ベアト:横浜開港資料館)

 

参考: 港区 綱町三井倶楽部

洋風部分は薩摩佐渡原藩島津家の屋敷、日本庭園部分は会津藩松平家の屋敷の一部。

  

参考: 文京区 六義園(特別名勝) 

川越藩柳沢吉保の造営。明治には岩崎弥太郎の別邸の一部となる。

 

参考: 港区 芝離宮(名勝) 

小田原藩大久保家。海が明暦頃に埋め立てられ、寛文年間に会津若松城主加藤嘉明が自然庭園として作庭した後、元禄年間に小田原藩主大久保忠朝所有となり本格的な庭園として整備された。

 

参考: 文京区 小石川後楽園(特別名勝) 

水戸藩松平家

 

参考: 文京区 旧加賀屋敷御守殿門(赤門)(重要文化財)

加賀藩前田家

 

参考: 港区 旧白金御料地 (史跡・天然記念物) 

中世は豪族の館。 高松藩松平家。

 

参考: 新宿区 新宿御苑

高遠藩内藤家

 

参考: 港区 東京ミッドタウン 

長州藩毛利家下屋敷

 

参考: 港区 六本木ヒルズ 

長府藩毛利家上屋敷

 

2 ■■■■ 庶民の街並と文化

「庶民の江戸の街並」は浮世絵などに自由に描けたので資料は豊富だが、当時の姿をとどめるランドマークは少ない。

江戸名所図会や名所江戸百景などが当時の江戸を想像する参考資料となる。

以下、広重の『名所江戸百景』を中心に、他の浮世絵もまじえながら、全国各地に残る文化財などから庶民の江戸の街並と今を比較してみる。

(1) ■■■ 商人町

駿河町(熈代勝覧)

 

江都駿河町三井見世略圖(北斎:富嶽三十六景)

 

する賀てふ(名所江戸百景)

 

日本橋通一丁目略図(名所江戸百景)

右に描かれているのは白木屋で、現在のコレド日本橋

 

参考:埼玉県川越市 川越

 

参考:千葉県香取市 佐原

 

参考:栃木県栃木市 栃木 例幣使街道 

岡田家付近。味噌醤油の醸造所などの街並。

 

参考: 千葉県大多喜町大多喜 渡辺家(重要文化財)

大多喜の代表的商家

 

(2) ■■■ 庶民の公園 

8代将軍徳川吉宗が庶民にも花見ができるようにと開放した、江戸時代の庶民の憩いの場。

飛鳥山北の眺望(名所江戸百景)

 

北区飛鳥山

 

墨田公園

 

(3) ■■■ 橋、河岸、市場

日本橋 (熈代勝覧)

元和4年(1618)架橋時の長さ37間(67mM)、幅4間(7m) 

 

江戸日本橋 (北斎:富嶽三十六景)

 

日本橋雪晴(名所江戸百景)

 

鉄砲洲稲荷橋湊神社(名所江戸百景)

 

参考: 長野県塩尻市奈良井 (重要伝統的建造物群保存地区) 木曽の大橋

長さ33m,幅6.5mの新規架橋

 

参考: 千葉県香取市 佐原の河岸 (重要伝統的建造物群保存地区)

 

参考:栃木県栃木市 栃木 巴波川(うずまがわ)の河岸

 

参考: 和歌山県湯浅町 湯浅(重要伝統的建造物群保存地区)

醤油の積み出し

 

参考: 愛知県半田市 半田 

酒と酢の積み出し

 

(4) ■■■ 芝居街

猿わか町よるの景(名所江戸百景)

 

参考:熊本県山鹿市 八千代座(重要文化財)

明治43年に町の実業家により建築された。江戸時代の芝居小屋の姿を踏襲している。

 

参考:愛媛県内子町 内子座(重要文化財)

大正5年、大正天皇の即位の儀式を記念し、町内の有志が株式会社をつくって創建した本格的な歌舞伎劇場。

 

参考:香川県琴平町 金毘羅大芝居(重要文化財)

天保6年(1835)建築。日本に現存する最古の芝居小屋。大阪三座の一つ大西芝居(後の浪花座)を模し、富くじの開札場を兼ねた定小屋だった。

  

(5) ■■■ 花街

従千住花街眺望ノ不二(北斎:富嶽三十六景)

江戸四宿は「江戸城外」だったため花街の取り締まりが緩かった。

 

浅草田甫酉の町詣(名所江戸百景)

吉原妓楼より大鳥神社を望む

 

参考:石川県金沢市 東茶屋街(重要伝統的建造物群保存地区) お茶屋志摩(重要文化財)

  

京都市東山区 祇園新町(重要伝統的建造物群保存地区)、祇園花見小路

  

参考:福島県三春町 新地

三春城下町のはずれにある旧花街。朽ちるのは時間の問題。

 

(6) ■■■ 庶民の寺町、神社 

寺と神社は比較的良く残っている。

参考:浅草寺浅草神社

  

台東区谷中 観音寺の築地塀

 

(7) ■■■ 祭り

江戸の祭りと同様なものは関東各地に残っている。

糀町一丁目山王祭ねり込(名所江戸百景)

日本橋から南は山王神社、北は神田明神の領域。

 

参考:埼玉県川越市 川越祭(重要無形民俗文化財)

 

参考:埼玉県秩父市 秩父夜祭(重要無形民俗文化財、重要有形民俗文化財)

 

参考:千葉県香取市 佐原祭(重要無形民俗文化財)

 

参考:栃木県鹿沼市 鹿沼今宮神社祭(重要無形民俗文化財)

江戸時代に始まり 特に華やかな手の込んだ彫刻で飾られた彫刻屋台に特徴がある。彫刻屋台のうち14台が江戸時代(文化・文政〜文久年代)に作られたもの。東照宮が造営された時以来の彫刻の伝統が伝わっている。

 

参考:岐阜県高山市 高山祭()(重要無形民俗文化財、重要有形民俗文化財)

 

参考:岐阜県高山市 高山祭()(重要無形民俗文化財、重要有形民俗文化財)

 

(8) ■■■ 花火

両国花火(名所江戸百景)

享保18年(1733)両国川開きとして始まった花火。

 

参考:隅田川花火大会

 

(9) ■■■ 火の見櫓、秋葉灯篭、富士塚

火事が多かった江戸のランドマーク。火伏の神として遠州秋葉山へ詣でる秋葉講が賑わった。

馬喰町初音の馬場(名所江戸百景)

 

参考:埼玉県川越市 川越 (重要伝統的建造物群保存地区)

 

参考:埼玉県さいたま市 木曽呂の富士塚

富士に参詣する富士講とともに、ミニ参詣を目的とした富士塚が富士山を遥拝できる各地に作られた。

 

(10) ■■■ 宿場 

江戸四宿と呼ばれる、各街道の最初の宿場は、内藤新宿、品川、板橋、千住だが、当時の姿は見る影もなく、品川と千住に少しだけ名残があるのみ。

四ッ谷内藤新宿(名所江戸百景)

街並の特徴は、二階建て、こけら葺き、板張り、格子、中入り。

 

参考: 長野県 妻籠宿 (重要伝統的建造物群保存地区)

内藤新宿の街並の特徴に近い。

 

(11) ■■■ 一里塚

三重県鈴鹿市 庄野 (広重:狂歌東海道五十三次)

 

板橋区 志村一里塚(史跡)

 

(12) ■■■ 名主、農家

目黒爺々が茶屋 (名所江戸百景)

(現在の目黒区三田2丁目 茶屋坂付近)

 

A ■■ 代官、大名主

世田谷区 大場家(重要文化財)

大場氏は元世田谷城主。秀吉の北条征伐により帰農していたが、世田谷が彦根藩井伊家の所領となり、2300石の代官を務めた。

 

参考:静岡県伊豆の国市 江川家(重要文化財)

幕府直轄地である伊豆の代官。幕末に江川太郎左衛門を輩出した。

  

参考:茨城県常総市 坂野家(重要文化財)

飯沼三千町歩の新田開発を行った惣名主。

  

B ■■ 農家

青梅市 旧宮崎家(重要文化財)

17世紀の建築。

 


写真撮影者

特記の無い写真は瀧山幸伸

川越の街並 川村由幸

大阪城 高橋久美子

二条城 大野木康夫

旧日光田母沢御用邸 柴田由紀江

祇園花見小路 野崎順次 

鹿沼今宮神社祭 田中康平 


初稿 Oct.15 2012

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