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東京都板橋区 板橋庚申通り

Itabashi Koshidori,Itabashiku,Tokyo

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May 23, 2013 柚原君子

庚申様

干支で概念を現す時代がありました。

「草木も眠る丑三つ時」は午前二時半頃。

「正午」「午後」は牛の刻が11時から13時なのでそのわけ方から来ています。

「子午線」「還暦の祝い」なども干支から。

「辰巳」という地名なども有ります。

「庚申様」「庚申講」「庚申信仰」などといわれる庚申も干支で言う「カノエサル」で、その日は60日周期でめぐってきたそうです。

人の体の中には三匹の虫が住んでいて(そうか、虫唾が走る、虫の居所が悪い、腹の虫が納まらない、虫の息などはここから来ていたのですね)、その虫の形はありませんがその正体は鬼神や霊魂であると信じられていたそうです。

人が死ぬと鬼神や霊魂は外に出て好き勝手をして鬼神は体を抜けて外に出ることができるので、人の早死にをよろこぶのだそうです。

また特に庚申の夜には自由に体から抜けることができて、人々の善行悪行を天上の神に告げて、神は悪行のバツとして人の寿命を取り上げるのだそうです。

庚申の夜に鬼神や霊魂が体から抜けても困るので一晩中起きていたそうです。

教祖も経典もなく、ただ寝ないで過ごすだけの得意な信仰です。

見えないものに怯え、人々で固まるそんな時代に生きた人達のほうが幸せだったような気がします。

庚申信仰は飛鳥時代か奈良時代に日本には入ってきたそうです。

平安時代には宮中で行われ庚申御遊とよばれました。

民間に広まったのは室町末期の頃だそうで、一般庶民には信仰対象が必用(寺社の営業?)となり仏教では青面金剛、神道では猿田彦命へとなっていったそうです。

般若心経などを唱えてから一晩中飲み食いをして話をする。

眠らずに体内の虫を外に出さないという伝来当時の趣旨とは大きく外れているようですが、地域の者たちと腹を割って話して、結束を固めて争いをなくす地域力を保つのに、庚申様は大きな役割をしていたのかもしれません。

ちなみに鶏が鳴くと夜が明けて悪霊が去っていくと信じられていたので、一番鳥が泣く頃に散会になったそうです。

庚申絵図に鶏が表されていることが多いです。

現在の庚申塔は庚申講内に目出度いことが起こったのを記念して立てたものや、供養などのために立てたものなどが混在しています。

虫の話などどこかにいってしまった感があります。

ものの本によると都内にあるもので古いものは、文明3年(1471、埼玉県川口市)の庚申待板碑で、ついで文明15年(1483、東京都足立区)、長享2年(1488、東京都練馬区)があるそうです。

いずれも室町時代のもので、室町期には庚申信仰が一般に広まっていたことを示しているそうです。

板橋区南町庚申通りの庚申尊

由来説明文をそのまま転写します。

「庚申尊の由来 」

 風雪に耐え、天変地異にも耐えてきた路傍の庚申塔は、寺院境内にあるのと違い、経も上げて貰えなくとも地元の人々を守って来たものです。

 この庚申尊は、今を去る約二百七十年の昔、宝永五年十月、武蔵国豊島郡板橋村の大﨔の下に安置され、土地の者や遠隔の人々多数参詣されたとされております。庚申塔の正面に刻んである青面金剛は六臂の像であり、見ざる聞かざる言わざるの三猿を従えて立つ破邪顕正を、□願とする凛々しい御姿であります。又、右に日左に月、ニワトリ雌雄一対が刻まれております。庚申信仰は庚申待と言って、六十日毎にめぐり来る庚申[かのえさる]の日に村人達が、講元の家に集まり、佛家では帝釋天および青面金剛を神道では猿田彦神を祀り、庚申様の掛軸の前で、ひと晩中庚申の真言や般若心経を唱えて夜を明かし、一番どりが鳴くのを待って解散し、と言う祭りであったとされています。

 この庚申尊は、大勢の人々や地域の守護神であります。□□に祀り、保存し、子孫に伝えて行きたいと思います。 昭和四十九年七月 庚申通り商店会々長 ○○○○ [由来説明文]

 

               

豊島区高松

       

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