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東京都北区 滝野川
Takinogawa,Kitaku,Tokyo

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Jan.2015 柚原君子

旧中山道の巣鴨、滝野川地域(日本橋→板橋宿の間)

日本橋を京都に向けて出発する旧中山道は、時折り細い道に入ったりしますが、概ね国道17号線にそって続いています。
第1の宿である板橋宿まで国道17号から外れた細道に、まだまだ面影が多く残っていますので訪ねて見ました(撮影起点の関係上掲載写真順番が逆になってしまいました。京都に上る順路とするならば掲載写真を逆にたどってください)。

1、庚申塚商店街

おばあちゃんの原宿で有名な巣鴨お地蔵さん通りの奥(板橋方向)に続いています。
商店街が庚申塚通りという名前になった由来の庚申塚は、二カ所あります。

一つは庚申塚通り商店街入り口のところ(数分先にある都電荒川線の駅名も庚申塚です)。庚申塔が建立されたのは1502(文亀2)年のこと。現存していれば豊島区内最古の石碑となりますが、1657(明暦3)年、明暦大火(俗に言う振袖火事)の後の復興の時に大量の木材が江戸運び込まれたのですが、巣鴨界隈でも隙間なく積み上げられました。それが崩れて当時この辺りにあった庚申塔に当たり、塔は五つに砕けてしまったそうです。砕けた庚申塔は土中に埋められ、その上に新しく建立されたのが現在の庚申塔です。堂内に納められています。猿田彦大神庚申塔と書かれた立派な門構えです。猿田彦大神は明治の初め、近隣の有志により千葉県銚子市の猿田神社より勧請されたものです。

もう一つの庚申塚は商店街の中ほど板橋宿に向かって左側にあります。「延命地蔵堂の石仏群」の中に納められています。元々は中山道で行き倒れた人馬の共同墓地がありその墓標として延命地蔵であったようです。1945(昭和20)年の空襲で大きな被害を受けたのですが、終戦後は地域の民間信仰として残り豊島区登録有形民俗文化財の指定を受けています。地蔵庚申塔はこの中にあります。かなり傷んでいる様子ですし、真後ろには扇風機などが放置されていて、きれいな保存とはいえませんが、よく見ると三猿もまだくっきりと残っています。上部に日と月が掘られてあったようですが、今では見えません。造られたのは元禄11年とあります。江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が高家肝煎・吉良義央に切りつけた事件の起きる3年前の頃となります。
商店街を進んで行くと宿の風情を残した家が2軒ありました。商店街の終わりは大正大学になっています。さざえ堂というものが新しく出来たようですが、景観的には何か違和感があるような……ないような……。夕暮れ時でしたが、お魚屋さん、おでん屋さん、お肉屋さん、ご多聞に漏れず人通りの少ない商店街でした。
                                    

2、滝野川銀座商店街

庚申塚商店街が終わると明治通り「掘割」の交差点になります。板橋宿へはこのまま直進です。交差点を渡ったすぐのところから滝野川銀座商店街に入ります。暫く行くと郵便局の手前にあるのが亀の子束子の「西尾商店」です。

●「亀の子束子 西尾商店」

所在地:東京都北区滝野川6-14-8
建物の建築年は1922(大正11)年。洋風の木造2階建。扱い品が純日本風の束子ですが、玄関脇に椰子の木と洋風建築の建物。理由があります。椰子は束子の原料。それなのでこの取り合わせにはうなづけますね。有形登録されても良いくらいの保存状態の良い建物ですが、登録申請すると壊れたところも自由に修理できないので、不便なので登録申請しないというお話でした。しっかり管理されて丁寧に使われている印象を受けます。

創業は1907(明治40)年。社歴には「明治40年、初代社長西尾正左衛門(32歳)が東京本郷真砂町にて棕櫚製の亀の子束子を発明。 南方繊維のパーム(椰子の木の総称)に着眼し原材料として採用。 西尾正左衛門商店として発足し発売。大正8年包装された亀の子束子を発売。昭和6年、事業順調にて滝野川工場を新築。 昭和15年、戦争の影響にてパームの輸入が不可能になりシュロ(縄、蓑、箒なども作られる椰子科の植物)にて製造。昭和42年、靴洗いジャンプを発売。現在5代目」(要約)とあります。靴洗いジャンプとは持ち手の先に長い束子がついているもので、子どもの運動靴などを洗うのにずい分と便利な束子で、私も長い間重宝しました。

亀の子束子は登録商標です。広辞苑にも商品名として記載されています。亀の子束子の前身は実は足拭きマットでした。針金に棕櫚を巻きつけて売り出したのですが、当時は未舗装の道路が多く、靴についた泥がついてすぐに棕櫚が寝てしまうそうで役に立たず返品になったそうです。それを創業者の奥さんが切り取って折り曲げて障子の桟を洗っていたのを見てふと「束子」がひらめいたのだそうです。束子誕生の影に女性の物を捨てない勿体無い精神があったのですね。店頭は狭いと思えるほどですが、ふくろうや犬、テディベアなど動物を模した束子も飾ってあり、柔らかな採光に照らしだされている店内には、長く続く会社の温かさを感じました。

                           

●稲荷湯

所在地:東京都北区滝野川6−27−14
建物は神社建築や天守建築の千鳥破風(ちどりはふ)様式にちかいもので、見事と言えるくらいの荘厳さを醸し出しています。1930(昭和5)年に建てられています。創業は大正時代で現在は4代目。お湯は100%自家製の井戸水を使い、今でも薪で沸かしているとのことで、銭湯の隣には薪がたくさん積んでありました。
古代ローマと現代日本の風呂を巡る冒険を描く、時空スペクタル「テルマエ・ロマネ」が映画化されましたが、そのロケ場所でもあります。旧中山道から細い横道に入ったところにあるので、なかなか全容を撮るのは難しいです。白い煙突も立っています。東京の銭湯は廃業のところばかりですが、残って欲しいものだと思います。
           



3、きつね塚商店街

●神召教会(しんしょうきょうかい)

所在地:東京都北区滝野川6−64−9.
建築年:1927(昭和2)年。
構造 :RC2階. 小ぢんまりとした箱型の教会。幾何学的な線とパターン化された模様はアールデコ調とでも言うのでしょうか、すっきりとした教会です。年代的には有形文化財指定があってもよさそうなものですが、未指定です。教会を眺めた後、細くくねる商店街を国道17号方向に歩いて行くとレトロな家がたくさん並んでいて昭和の町とその住人になった気がしてくるようです。
窓の木枠がレトロでおまけにステンドグラスがなにげなく台所らしき窓にあります。昔は医院だったそうです。その先には複数の店舗が入ってますが、建物が一つという家があります。看板建築と呼ばれる様式だそうです。細い商店街の横にさらに体を斜めにしなければ通れないような路地が続き、その行き止まりにも平屋のモノクロ映画に登場しそうな家がありました。迷路のように続く路地が昭和初期にワープしたようです。狐が本当に出てきそうな細長い商店街でした。
タバコ屋さんのおじさんに、どうして狐塚商店街と言うのですか?とうかがいましたら、お稲荷さんがこの辺りはすごく多いよ、消防署の横にもその向かいにもあるよ、と言われましたので行ってみました。消防署の脇にあるのは「滝野川伏見稲荷」、曰くつきのお稲荷さんでした。昔、このあたりに狐塚というものがあり、消防署がここに越してきた時に崩されてしまったそうです。ところが、塚を壊した為か、事故や災難が続出。祟りではないかと噂され、伏見稲荷が勧請されたそうです。
滝野川商店街(旧中山道)に戻るべく路地をあちら曲がりこちら曲がりしていたら、ふと視線を感じたので戻ってみると、きちんと座ってこちらを直視しているものが……あっ狐!と思ったら猫でした。身じろぎもせずに被写体になってくれました。

           

                                   

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