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東京都江東区 清澄庭園と周辺
Kiyosumi teien area ,Kotoku,Tokyo

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Dec.2011 柚原君子

                                                                                            

周辺
                  


July 2010 撮影 柚原君子

                            


Nov.2009 撮影 柚原君子

                       




Nov.2009 撮影 川村由幸

名称:清澄庭園
所在地:東京都江東区清澄

清澄庭園にでかけてきました。
ここが三菱財閥の創始者 岩崎弥太郎が手掛けた庭園とは知りませんでした。
都会のオアシスという言葉がピッタリの庭園です。
写真撮影をするといたるところで高層の建物がファインダーに入ってきます。
この日は、庭園の手入れでたくさんの職人が入っており、いささか騒がしい清澄庭園でした。
池を中心にした回遊式庭園でたくさんの種類の石が配置され美しい庭園でした。

                                                  





Apr.2009 撮影 柚原君子

「本誓寺の桜」 

本居宣長の江戸の菩提寺だが寺は現存するがお墓はない。村田春海の墓有り。夜間ライトアップされる。清澄庭園の前なので庭園のお客さんも多く立ち寄る。わき道には紅しだれもあり。

         




Nov.2008 撮影/文: 柚原君子

清澄庭園
Kiyosumi garden

11月初旬の景色です。
回遊式築山山水庭園。面積約37400u。
江戸時代は、久世大和守、戸田日向守・松平美濃守・松平右京などの下屋敷があったところ。
明治11年に岩崎弥太郎がこの辺の土地を10万uを買収して深川親睦園として三菱の社員の慰安や接待に使ったそうです。
大正12年関東大震災で被害を受けましたが、被害の少ない東側半分を東京市に寄付して清澄庭園となりました。
近所の家のおじいさんおばあさんは、この池に震災のときに飛び込んで助かった人が多くいます。
               


清澄長屋
Kiyosumi nagaya

所在地:江東区清澄三丁目。
清澄庭園の清澄通り側に並ぶ鉄筋コンクリート二階建て建造物。
初めは、明治13年頃、岩崎家所有の深川親睦園(現清澄庭園)の管理のための長屋であったそうですが、震災で消失したので、大正13年、庭園の東半分をこの長屋を含めて、東京市に寄付したそうです。
東京市は昭和3年、防災の観点から鉄筋コンクリートに建て直し店舗住居として貸し出しました。その後、昭和28年に居住者に払い下げられました。
5戸から8戸で一棟となり棟と棟とのわずか1メートル余りの間は、二階部分がなぜかコンクリートで橋渡しされています。
現在は三階に建て増ししている住宅がほとんど。当時は入り口が引き戸になっていたそうで、その当時の面影は、清澄三丁目方向から数えて三軒目のお茶やさんに残っています。
全戸に地下防空壕が当初はあったそうですが、湿気が余りにも多いためほとんどの家が埋めてしまったそうです。
外観は洋風、中は和室。当時としてはとてもモダンであり、復興のエネルギーをかもし出すための建造物でもあったそうです。
今後は東京都の意向で清澄庭園の一部になる予定で、この建物は取り壊される運命にあります。惜しい!古きよきもの、時代を反映するよきものは残すべきだと思うけれども。
写真には電話売買の旧文字の看板が残ってます。

            


三野村ビル
Minomura building

所在地:江東区清澄二丁目。
昭和初期に建てられたもの。清洲橋通りに面して。デニーズの前。
三野村利左エ門は幼少に江戸の商人、三井家に奉公に上がります。
江戸幕府は倒れ、幕府を支え続けた三井家は明治政府から疎まれますが、三井の大番頭になっていた三野村利左エ門は才覚と人徳で明治政府の信用を得て、新政府の資金調達に活躍します。
後に三井銀行を創設。三野村利左エ門はこの功績を称えられて清住町一帯に三井家から土地をもらったそうです。
清澄庭園(深川親睦園)が三菱財閥岩崎弥太郎所有は有名ですが、これに隣接して三野村利左エ門が賜った土地に庭園を作り、三菱財閥と三井財閥のゆかりの庭園が隣同士で競い合ったそうです。
今はこの近辺はその面影はありませんが、三野村利左エ門の末裔の会社が清洲橋通りに残っています。
この建物の斜め前には隅田川に鮭を放流し続けている方がいます。掘っ立て小屋のようですが、中には鮭の稚魚が管理されています。
三野村利左エ門ゆかりの建物の裏は横綱通りと呼ばれて、北の湖部屋、大鵬部屋があります。

      
    

万年橋際から隅田川テラスに

        

松尾芭蕉坐像
   

清洲橋遠景

   

清澄寮

所在地;江東区白河1-3-13(清澄三丁目交差点脇)
設計 大林組
昭和7年か8年に完成。個人が所有。露出配管のためメンテナンスが可能で、築70数年という建物だが、居住中。しかもレトロ好みの若者に人気。不動産屋さんによると空き待ちの方もあるとか。
1960年に日本社会党の浅沼稲次郎暗殺事件がありましたが、その浅沼さんが居住していたことがあるそうで、うわさによるとその部屋はそのままにしてあるとか……真意のほどはわかりませんが。
オーナーの希望で全部屋趣向が違うそうだが、中に入れないので解りません。レトロ好みの若者も多く済んでいる様子。
ドアはこげ茶色の木戸。おじいさんが乗っていたような古い自転車が立てかけてあり、入り口のモザイクのタイルやガラス窓のデザインはなかなかの時代物。
一階の駐車場の奥には旧仮名遣いの注意書きがありました。部屋番号は階段別についていて「イ号」「ロ号」「ハ号」。佇むと遠き古き良き時代、人が人らしく過ごした時代が見えてきそうです。
ちなみに裏側は霊巌寺の境内です。本堂の裏にまわると、墓地越しですが、この清澄寮の出窓がたくさん見えます。

        
正面、タイル、郵便受け
            
裏手
    



Apr. 2008 撮影: 柚原君子

       



Feb.2008 撮影: 柚原君子

    


Nov.2007 撮影: 柚原君子

  





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