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東京都目黒区 大円寺
(Daienji Temple, Meguro-ku, Tokyo Pref.)

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April 3, 2017 野崎順次 source movie

東京都目黒区下目黒1−8−5
松林山 大円寺

行人坂大火、八百屋お七ゆかりの寺

目黒駅西口を下りると急な坂行人坂があり、坂の途中に大円寺がある。 この坂は江戸市中から目黒不動尊への参詣路であった。 行人坂の名は、大円寺を拠点にする修験道の行者が、この坂道を往来したことによる。 寺伝では、寛永元年(1624)出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりという。
明和9年(1772)寺より火を発し、江戸市中628町に延焼した。 振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火事の一つになり、行人坂火事として安永元年と年号も改められた 幕末になって薩摩藩島津氏の菩提寺として再興された。 門を入った左手にある五百羅漢の石像(都有形)は、この大火の犠牲者供養のために当時につくられたものと伝える。
境内左側釈迦堂の本尊釈迦如来立像(国重文)は、鎌倉初期の清涼寺式生身の釈迦像であり、胎内に五臓六腑がおさめられている。 正面本堂には、江戸城裏鬼門にあたる為徳川家康をモデルに大黒天を祭る。山手七福神の一つで、今日でも参詣者を集めている。阿弥陀堂には弥陀三尊が祭られお七地蔵の木彫もある。
墓地に西運の墓がある。西運は江戸初期、隣の明王院(現在の雅叙園の位置)に住し、行人坂の修築などを行った。 門前にその時の行人坂敷石造道供養碑がある。 西運は八百屋お七の恋人吉三の出家後の名である。 また境内に江戸時代の庚申塔が3基あり、会津八一の歌碑も残されている。
(天台宗東京教区ウェブサイトより)

                                                                              

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