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東京都港区 東京タワー
Tokyo tower,Minatoku,Tokyo

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Oct.2012

      



May 2012 川村由幸


訪問日:2012.05.30

東京タワーは昨年の東日本大震災で曲がってしまった先端を修理しています。
スカイツリーの開業で東京タワーの来場者も増加しているようです。
昭和の時代を代表するモニュメントとして貴重な存在です。

                                   





Feb.2011 川村由幸

所在地:東京都港区芝公園4丁目
訪問日:2011.02.03

ライトアップされた東京タワーは皆さんが取材されています。昼の東京タワーの取材も必要だと思います。
リベットで鉄骨を組み立てた東京タワーの幾何学的な美しさは記録に残しておく価値が十分あります。
近くで見上げるタワーも、離れてビルの間のタワーもどちらもその雄姿はなかなかです。

昭和33年に完成してから50年以上、東京のシンボルであり続けた東京タワー。
近代日本を代表するモニュメントであることに間違いはありません。

                         





Dec.2010 柚原君子

東京タワー カウントダウン前後


東京タワーの正式名称は「日本電波塔」という。地方から東京に帰ってくると、ライトアップされた東京タワーが首都高速道路から間近に見えて、おっ!綺麗!と思わず声を上げてしまう。新幹線の帰京となると、浜松町辺りからビルの陰に見え隠れする東京タワーがあって東京人としてはなぜかホッとする。墨田区にあるスカイツリーに高さはゆずるとしても、東京のシンボルは変わらずに東京タワーのような気がする。
東京タワーができる前は、放送事業者はそれぞれに高さ150メートルくらいの発信タワーを持っていたが、電波はそれほど遠くに届かず、またアンテナには指向性があるため、チャンネルによっては向きを変えねばならず、不便であったそうだ。そういえば小学生の頃、テレビの上のアンテナをあちらやこちらに動かした覚えがある。
放送事業の将来性から総合電波塔が必要になる、との機運が出てきて、強固で広大な土地で工場の煙がないところ、ということで港区芝増上寺の一部を買収することになった。構造設計者は内藤多仲(ないとう たちゅう)(1986-1970)。山梨県出身。東大卒業後早稲田大学教授に。造船学専攻であったが日露戦争後の不況で建築学専攻になる。アメリカ留学中に旅行用トランクの仕切りを外して積んだためにトランクが壊れた体験と船の構造の着想から、耐震壁による耐震構造理論を考案した。1924年「架構建築耐震構造論」で工学博士号取得。耐震構造の父、と呼ばれている。内藤多仲が構造設計した現存する建物では次のようなものがある。大阪高島屋百貨店、歌舞伎座、大隈講堂、東京地下鉄道上野駅、日本銀行本店増築、大丸百貨店心斎橋店、世界平和記念聖堂、根津美術館、名古屋テレビ塔、通天閣、別府タワー、札幌テレビ塔、山梨県民会館、早稲田大学内藤博士記念耐震構造研究館、東京タワー、總持寺大祖堂、早稲田大学文学部校舎、山梨県庁、日生劇場、新宿区役所、八重洲ダイドビル(年代順)。

1957年6月に地鎮祭が行われた。東京都港区芝の海抜18メートルの地点に333メートルの東京タワーの建設開始。地鎮祭から一年半後の1958年12月24日午前9時に一般公開された。前年の東京タワーの地鎮祭の年には岸信介内閣が誕生し、完成した年には一万円札が発行され、大卒初任給13,467円で、力道山が活躍して、フラフープが流行してテレビでは「ロッテ歌のアルバム」や「事件記者」が始まる頃。その翌年には皇太子のご成婚があり、テレビ塔が必要になってくる昭和の彩が見える。
施工は竹中工務店。塔体加工は新三菱重工(現・三菱重工業)と松尾橋梁。鉄塔建築は宮地建設工業が請け負い、現場で作業する人のヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係と色分けされた。141メートル以上は塗装の関係でボルト接合だったため鳶職人が働いた。初めは20人ほどだが最多時で60人。市井の鳶職人の日給は500円だったが、東京タワーの鳶職人は750円だった。一名が強風にあおられて転落死している。建設に関わった人数は219,335人。当時のお金で30億円がかかっている。また特別展望台から上の部分に使われている鋼材は、当時の日本では良質のものがなかったので、朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。1959年には、南極観測隊カラフト犬、タロ・ジロを含めた記念像が建立されている。なぜここに?という疑問が多いそうだが、犬を置いてくるようなことは二度として欲しくない、と(財)日本動物愛護協会が、当時開業したばかりで話題の場所であった東京タワーに記念像を造ったそうである。ちなみにこのタロ・ジロと渋谷の忠犬ハチ公の作者は同じとのこと。
1967年特別展望台オープン。1970年蝋人形館オープン。1973年体育の日に東京タワー外階段を駆け上がる体力測定開始。1978年水族館オープン。1986年航空法改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分にして黄赤色の赤みを強くした。色が塗り分けられているのは、昼間障害標識の規則(高さ60メートル以上の鉄塔、煙突などは黄赤色<インターナショナルオレンジ>と白色に塗装しなければならない)にのっとったもの。完成後にはインターナショナルオレンジが、日本の塗装の下塗りの色と似ていたので、今後どの色になるのかと心配した人もいた、との笑い話もある。東京湾からの汐風の影響を受けるので5年に一度の塗装が行われている。
1989年ライトアップ開始。クリスマスには大展望台にピンクのハートが点灯される。ほかには、桃色(乳がん撲滅キャンペーン)、緑色(アイルランドと日本の外交50周年を記念して)、青色(世界糖尿デー)。ワールドべ−スボールで侍JAPANの連覇や、サッカー日本代表が南アフリカ大会出場決定など祝賀のライトアップも行われた。
1996年には大展望台外壁を黄赤色から白色に。2002年営業時間を年間通して22時までとするようになった。2010年3月29日東京スカイツリーに高さを抜かれ日本一の座を降りる。2012年春、放送大学学園を除く地上デジタルテレビジョン放送8局の送信所が東京スカイツリーに移転を予定。その後はNHKと民放キー局5社は東京タワーを予備電波塔として使用する予定。

                  


Dec.2008 蛭田信次
   


Mar.2008

  

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