JAPAN GEOGRAPHIC

東京都中央区 日本橋の街づくり提言 〜過去、現在、未来〜

Nihonbashi, past and future.

瀧山幸伸

日本橋の町づくりと日本橋八景

July.2005 HD(1280x720)

 

  

第一章 変り始めた日本橋地区最近日本橋の街の印象が変わってきた。

コレド日本橋(日本橋一丁目ビルディング)が完成した。商業部分は旧東急デパートとほぼ同じ売り場面積がある。その中に早稲田大学大学院 ファイナンス研究科が誕生した。また、週末には文学系講座として、武田勝彦先生コーディネーションにより、早稲田エクステンションセンターの「日本橋アカデミー」が開催されており、日本橋近辺の町歩きフィールドワークと強力講師陣のセミナーとのセットで社会人の生涯学習が行われている。

また、三越新館もオープンし、日本橋たもとから見る風景が変わってきた。

日本橋三井タワーも完成し、優美なアトリウム空間が誕生した。タワー高層部に構えるマンダリン・オリエンタルは東京でトップクラスの高級ホテルだ。間近に隅田川、東京湾を、そしてかなたに富士を眺望する、東京の風景新名所だ。

タワーの根元、昭和4年に完成した三井本館には、三井記念美術館がオープンし、日本橋地区は伝統と革新性が両立する世界的に有名な地区となる。

日本橋通りには、この地区を回遊する無料のコミュニティバスが運行され、地方の物産館などが新規オープンし、三越、三井本館、日銀のライトアップは華やかな夜を演出する。

一方、裏通りを歩いても、以前とは印象が違う。新しい感性の飲食店舗が続々誕生し、老舗も、和の雰囲気を保ちながら化粧直しを行っている。

JR東京駅も変わりつつある。八重洲口開発が進んでおり、日本橋口の開発も急ピッチだ。将来、都営浅草線が東京駅に乗入れる構想もあり、今後の期待感が高まる。

第二章 日本橋の街づくりを考える

街づくりは百年千年単位で 明確なビジョンと目標を持って行うべきだ。

日本橋の基本コンセプトは、「和洋共生の街」の創造だろう。日本橋に関連する知識と資源を融合して、日本橋オリジナルの「物語」を創ることが重要だ。物語、伝説の無い街は人の心に響かないし、何回も訪れたい街にはならない。街の簡易アセスメントをやってみよう。アセスメントは、自然環境(水、空気、音、街並景観)、人文環境(歴史、経済、文化遺産)を網羅すべきだが、他の地との比較のため、いつもの5段階簡易評価を行う。
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日本橋の弱みは、自然が少ない、水環境が悪い、花が少ない、街並(看板、ファサード、ストリートファニチャ、舗装など)が美しくない等だが、これらは今後改善可能なことだ。

一方の強みは、歴史文化の香り、充実した飲食施設等だ。伝統的なことは、一朝一夕での構築は難しく、この点は日本橋地区の大きな優位点だ。

どのような街を目標とすべきか、それが「好きな街」であるならば、「五感で楽しめる街」を創ることだろう。

そのために、ハードの整備は徹底したい。

根本的環境改善策として、景観、騒音、大気、水環境のポイントを下げている日本橋川上の高速道を迂回させ、川の浄化、護岸の修景を徹底しよう。 また、日本橋と旧吉原である人形町を隔てている高速道路(上野線)もこの際撤去し、地下化すべきだ。

街並景観と情緒のトーンアンドマナーをそろえるため、大通り沿いの一階事務所や銀行などビジネス系店舗は、二階以上に移動してもらうべきだろう。そして、美しく安全な街を24時間楽しめるように変貌させよう。

各所に水と緑と音と明かりのスポットを

現在ホームレスの溜まり場となっている常盤橋公園を整備して、24時間楽しめる公園にしよう。

それだけでは自然が足りない。季節感と潤いの演出は重要だ。各所に水と緑と音と明かりのスポットを作る。ポイントは、連続景観(石塀、土塀、目隠しなど)と、ストリートファニチャ・看板、石畳舗装、照明、植栽などだ。

木曽福島の手水舎、谷中観音寺の築地塀などが参考になろう。

看板の工夫も重要だ。ザルツブルグの路地を見本にするまでもなく、江戸商家の看板は意匠に優れ、進歩的だった。それを再現し、街並景観賞などで表彰する、面白看板スタンプラリーに組み込むなど、積極的な普及策が必要だ。

足助のマリリン小路、富田林の街並など、そして、江戸の路地がどのようであったか、路地景観を徹底的に研究すべきだ。

水と音両方が楽しめるスポットとして、水琴窟を設置する。妻籠の旅籠、井波の爪割清水、畑毛温泉にあるような水琴窟は、人の眼と耳、そして差し伸べた手にも潤いを与える。

同じく、喧騒な地区では、水と音で都会の喧騒音を消去するために、手水舎を作ろう。木曽には意匠に優れた手水舎が多く作られている。ソフトの重視

ハードはキャンバスであり、ソフトがコンテンツだ。ソフトが無ければ日本橋の「物語」や「伝説」は生まれない。まずは和文化エンタテインメント空間を創造する必要がある。そして、祭りの活用。

物語や伝説を、何も無いところから作るのは容易ではない。そこで、文化、文化財の発掘と創造を通じて、新名所の風景と物語を創る試みを行ってみたい。

参考事例

   

   

   第三章 街の歴史から物語を創る

商家と商人

江戸に学ぶ「街づくり」のポイントは、夜の賑わい、粋と気風、季節感と潤いだろう。

それを支えたのが、商業・物流・工芸・娯楽・居住の全てを備えた複合都市日本橋だ。当時の日本橋大店の売り上げは世界一の規模だった。

最近発見された絵巻物「熙代勝覧」(ベルリン東洋美術館)には、その日本橋の大店と行き交う人々の様子がきめ細かく描写されている。

  

当時世界最大の商店であった三井越後屋。駿河町三井越後屋付近から望む富士の姿は、商家の街並と調和し、たいそう美しい。富士の風景を堪能するこの場所は、江戸の中でも特別な場所であった。広重の名所江戸百景はもちろん、北斎の富岳三十六景他多くの絵師がダイナミックに描いている。

  

商家に登場する商人の姿はどのようであったろうか。出世すごろくが興味深い。商人は、現代のサラリーマンと同様、きわめて合理的な出世コースをたどっていた。丁稚から番頭に至る道筋に、嫁取り祝言などのターニングポイントがあり、サラリーマンの人生ゲームと同様に思える。出世すごろくは国立歴史民俗博物館に大きな展示がある。

 

江戸風俗の再評価

出光美術館の江戸風俗図屏風には、当時の江戸風俗が細かく描写されている。飲み食い、歌舞音曲、ありとあらゆる楽しみを謳歌していた江戸人は、現代人よりもはるかに幸せだったのではなかろうか。 

当時の盛り場は、例えば、江戸橋広小路。国立歴史民俗博物館にはここの模型が展示されており、河岸と相まって、かなりな繁華街だったことが伺える。  

そこで、今の日本橋でも、本物の飲み食いを体験するなら日本橋へ行け、となるような物語と伝説を作りたい。例えば蕎麦。全国の蕎麦打ちが一同に集まること、及び、毎日毎週順繰りに腕を披露するなど、日本橋ならではの本物志向を試みたい。 

酒蔵直販店も同様だ。大きな「利き酒専門酒蔵」を造り、全国の限定醸造家から、秘蔵の酒を日本橋で提供してもらいたい。デパート地下では、酒蔵とは雰囲気が異なり、客層も違う。デパ地下では交流も生まれず、文化も育たない。

そして茶店。鈴木晴信が描く笠森お仙ではないが、和服が似合う浮世絵系の美人がお茶をサービスしてくれれば、それなりに嬉しい人は多いのではなかろうか。

 

さらに、 昔の年中行事を復活させよう。核家族化と洋風生活で失われた旧暦の家庭行事を日本橋で再現するのだ。例えば節分、花祭り、庚申様、月見、餅つきなど、家族で楽しめる自然と伝統文化へのふれあいは、日本橋で実施するのが一番ふさわしい。

 

江戸祭りを復活させる

 浅草、神田ではなく、無宗教の「江戸の祭り」を創造しよう。江戸の祭りが、高山、川越、佐原、秩父へ伝わり、本家の江戸は、お上の規制やら動乱やら災害やらで、本来の姿から変わってしまった。氏子とよそ者の関係のような肩身の狭い思いをしない祭りを創りたい。誰でもという意味では浅草サンバで踊ったり見物したりも良いが、本来の風土に合った庶民的な祭りに参加したい人も多いはずだ。

芝居・見世物・大道芸を普及させよう。江戸と言えばこのようなライブエンタテインメント。三世歌川豊国が描くような芝居小屋を日本橋に造りたい。

第四章 日本橋通りの今昔から物語を創る (秋葉原から日本橋までを変える)

 

、秋葉原から日本橋までの大通り、特に神田駅付近はお世辞にも美しいとは言えない。

まず、大通りのネーミングを「中央通り」から「日本橋通り」へ統一する。中央通りでは味気ない。日本橋通りという名前は、川端康成が使っている。

1.万世橋と筋違御門

2.須田町 交通の要所

3.今川橋と神田八丁堀(龍閑川) 

4.時の鐘

5.長崎屋 オランダ商館長滞在先

6.十軒店 人形市

7.寄席伊勢本

8.日本橋

9.木原亭1. 万世橋駅舎を店舗に、船着場も

ロンドンの.viaductと同様、古い施設を活用した店舗を作ろう。船着場を造営し、隅田川、日本橋川周遊の往来を復活させる。筋違御門も復元しよう。さらに、小金井の江戸東京たてもの園に移設された、小さくてかわいい万世橋交番を復元しよう。

 

2. 日本橋通りに路面電車を呼び戻そう

須田町は交通の要所だ。路面電車が走る街は、スローライフ、エコライフの象徴で楽しい。電車の音にも癒される。

江戸東京たてもの園に保管されている都電。故郷に帰りたがっている。

 

終夜地下鉄の運行で眠らない街を創ろう。

例えば、銀座線の秋葉原と銀座の区間は、地下鉄を終夜運行する。この地区を移動が楽な街にする社会実験だ。秋葉原銀座間は、何回利用しても終日200円程度が妥当だろう。

須田町付近には、ごくわずかレトロな建築が残っている。このようなレトロな建築を復元しよう。

江戸東京たてもの園の武井三省堂

 

3.今川橋と神田八丁堀(龍閑川)を題材に、八丁堀にちなんだ物語、施設や店を創ろう。

神田八丁堀は重要な船運手段だった。「八丁堀」という言葉から、江戸下町の人情ドラマや捕り物を連想する人は多いのではなかろうか。八丁堀をフィーチャーした物語や店を創りたいものだ。

4.時の鐘跡に本物の時の鐘を

日本橋の時の鐘は、小伝馬町の十思公園に移設され、鳴らされることも無い。日本橋地区に昔懐かしい音の名所と物語を作る必要がある。高速道路が撤去された日本橋の河岸に櫓をしつらえ、毎朝晩鐘を撞き、音を出そう。

川越の時の鐘は櫓が美しいが、音がひずんだ録音テープだ。これでは寂しい。

 

5.長崎屋:オランダ商館長滞在先 

長崎、オランダ、中国、朝鮮をフィーチャーした宿泊エンタテインメント施設を誘致しよう。

マンダリンホテルが当時の長崎屋の再来とも言えるが、よりカジュアルな施設が欲しい。

 

6.十軒店の人形市 和風露天市を復活させよう

熙代勝覧に描かれている人形市はたいそう賑わっている。現在の十軒店は少しながら当時の面影を残している。年に数回は大通りを埋め尽くす露天市、夜市を開催しよう。もちろん、日本橋通りは土日は24時間歩行者天国とし、賑わいを創りたい。

 

7.伊勢本 9.木原亭 国立劇場と演芸場を誘致しよう

 

漱石が好んだ寄席の伊勢本は三越の路地を入ったところ。当時は格が高く、寄席番付の勧進元であった。このような大衆向けの国立演芸場やスタジオを造り、コンテンツとスターを育てよう。さらに、大規模な芝居も上演可能な国立第二劇場大ホールも誘致したい。江戸を代表するにふさわしいこの場所に劇場を作り、ブロードウェイミュージカルと同様、世界からの観光客にアピールすべきである。

8.日本橋に屋形船、遊覧船(終夜運転)の船着場とプロムナードを

日本橋川は護岸を改修し、川からも地上からも美しく見える修景を施す。近江八幡の八幡堀が良い参考となろう。水と緑で修景し、夜の水辺を陸上と水中の照明で演出する。さらに、和風情緒ある小型船を新規にデザインし、既存の屋形船との差別化を図る。この船が、終夜運航で日本橋川、神田川、隅田川(大川)をゆっくり回遊する。   

〜近未来の日本橋〜

 第五章 文化財から風景と物語を創る

 国重要文化財 ①三井本館 ②日銀 ③日本橋

東京都歴史的建造物 ④三越本館 ⑤近三ビル ⑥常盤小学校

東京都旧跡 ⑦名水白木屋の井戸 ⑧三浦按針住居跡

中央区文化財 ⑨日本橋郵便局 ⑩お千世の図額 ⑪長崎屋跡 ⑫佐々木家文書 ⑬榮太樓本店製造場略図 ⑭一石橋の親柱 

新しい文化財を創る⑮漱石の碑五街道の起点 全ての道は日本橋に通ず

 

東海道、中山道、水戸街道、日光街道、甲州街道と、日本橋が街道の基点であり、道路里程の基準点でもあるのだから、道路交通にちなんだイベントは日本橋で開催すべきだ。 パレード、街道ウォーキング、マラソン、駅伝、国際交流など、企画すればいくらでもある。

例えば、モーターショー開催イベントとして、新型車が日本橋を行進すれば、多くの見物客で賑わうだろう。

歌川広重の描く日本橋から現代の日本橋までの時代毎の風俗と出来事を代表する仮装行列も面白い。日本橋時代祭りと名づけよう。第六章 日本橋に風景と物語を

 日本橋八景でピクチャースポットと伝説を創る風景、景観論で語るには、八景を取り上げるべきであろう。八景の原点は、中国洞庭湖を題材にした瀟湘八景だ。宋迪(そうてき)が11世紀、北宋時代に創ったもので、

瀟湘夜雨(夜の雨)、煙寺晩鐘(晩音)、遠浦帰帆(夕暮の遠景)、山市晴嵐(晴れたり曇ったり)、洞庭秋月(湖に月の光)、平沙落雁(夕暮の砂州)、漁村夕照(夕暮の照返しの光)、江天暮雪(夕暮の雪景)を良い景色の価値としている。当然ながら、その背景には、道教的世界観が現れている。

日本においては、瀟湘八景の風景シチュエーションを模倣した八景が採り入れられた。

近江八景では、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、八橋の帰帆、粟津の晴嵐、石山の秋月、堅田の落雁、瀬田の夕照、比良の暮雪と、瀟湘八景同様の「みたて」である。一方、広重が描いた隅田川八景では、真崎夜雨、金竜山晩鐘、吾妻橋帰帆、真乳山晴嵐、木母寺秋月、渡場落雁

今戸夕照、三囲暮雪である。

ところが、中央区八景では、八景の「みたて」を踏襲せず、観光ガイド的な、安産の水天宮、お江戸日本橋、銀座通り、浜離宮庭園、朝の築地市場、歌舞伎座、べったら市、東京港晴海埠頭が採用され、芸術的観念的要素は排除されている。本流日本橋八景

そこで、本来の瀟湘八景に準拠した、ステレオタイプの「本流日本橋八景」を創ってみた。 

・本来の「八景」の風景論に準拠する

・各景色が観光客の周遊地となり、ピクチャースポットとなること

・それぞれの地で物語(ドラマや文学)が創られる素材となること

・ 観光に付き物の、おみくじのような運命占いとご利益が提供されること (参考:日本橋七福神めぐり)

を目指した。駿河町夜雨 

三越、三井本館、日銀のライトアップに浮かぶ駿河町 

駿河町の交差点は、江戸時代からずっと、ランドマークである富士を望む特別なピクチャースポットであり、北斎、広重他多くの絵師がこの風景を題材としている。

商売運 三井、日銀など商売永続の地にあやかり、商売繁盛を祈る 

 

地蔵堂晩鐘 

泉鏡花縁のお千勢額が奉納された地蔵堂の鐘

結婚運 泉鏡花「日本橋」ゆかりの地で結婚運、異性運、子宝運を祈る

  

呉服橋帰帆 

呉服橋から見る帆船型のコレドの遠景

食事運 大漁船、廻船の帆に模したコレドのビルで裕福な食生活を祈る

 

常盤小晴嵐 

晴れたり曇ったりの常盤小学校

学問運伝統ある常盤小学校の地で学問成就を祈る

 一石橋秋月 

一石橋から日本橋方面を見る遠景 

川面に映る満月と欄干装飾を楽しむ

家移り運 夜露をしのぐ家や事務所の新築、引越しの成功を祈る

 

常盤橋落雁

夕暮れ、常盤橋から見る日銀と三井タワー

出世運、仕事運 ビジネスの拠点三井タワーを遠くに見上げ、仕事運を祈る

 

日本橋夕照 

日本橋から見る夕日の照り返し

無病息災運 五街道の基点、交通の要所で交通事故、病気、天変地異などの災害回避を祈る   

本石町暮雪

日銀本館と三井本館、三井記念美術館の国宝など、文化財を楽しむ

文芸運 自己実現のための趣味など、文化的精神的に豊かな生活を祈る

}  第七章 文化財の発掘と創造

新しい文化財を創る

多数の国宝級文化財を発掘公開する 

三井記念美術館では、国宝6点、重要文化財20点をはじめ、約3700点の美術品を収蔵する。この中には埋もれた名品が数多く含まれている。(資料:三井記念美術館)

 

国宝 雪松図屏風 円山応挙

 

重文 唐物肩衝茶入

 

重文 能面 孫次郎

 

国宝 志野茶碗 

 

孔子廟堂碑虞世南筆

  ⑮漱石の碑

漱石研究家、早稲田大学名誉教授の武田勝彦の奔走により、日本橋コレドの公開広場に「漱石文学捜索の地」の記念碑が造られた。このような発掘が新しい文化財の創造につながる。

  

最後に 日本橋に夢と未来を 日本橋を世界ブランドに 日本橋は一介の地域おこし、町おこしを行うべきではなく、日本のシンボリックな場所とすべきである。

伊勢、金毘羅がそうであったように、一生に一度は訪問すべき地、世界から訪問者を呼ぶ地にすべきである。

参考までに、ユネスコ世界文化遺産として、イギリスのリヴァプールが海岸の商都として2004年に登録されている。

もちろんパリのセーヌ河畔はかなり以前に登録されている。

「江戸日本橋の水は英京ロンドンのテームズ河に通ず」という林子平の名言があるように、江戸の象徴としての日本橋を、「世界の日本橋」にする活動を行うべきだろう。そのために、ダイナミックな街づくりを推進すべきだ。例えば、「2020年までに日本橋地区を世界文化遺産に」という明確な目標を定め、ベクトルを揃える必要がある。

日本橋は「江戸東京の文化と経済の原点」として、文化遺産に登録される潜在力は十二分にある。

富士を世界文化遺産にする国民会議の動きを参考に、国民的な運動として盛り上げていく必要があろう。

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