JAPAN GEOGRAPHIC

東京都港区 お台場

Odaiba,Minatoku/Kotoku,Tokyo
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Dec.26,2015 柚原君子

お台場レインボー花火

                                                                            


Oct.2012

   


Dec.2011 柚原君子

とても気持ちの良い秋晴れの日に、お台場に行きました。

「ホテルグランパシフィックLE DAIBA」23Fのレストランでランチをしながら写真を撮りました。東京タワーとスカイツリーが一緒に見えて、そして振り返れば富士山も見え(当日は雲があってだめでした)、優しい曲線のレインボーブリッチの下を大小さまざまな船が通る、というまさに絶景のポジションでした。

ガラス越しであったのが少し残念でしたが。

いつも見上げるだけで終わっていたホテル日航東京(設計者は長尾宣子さん『燃えるがごとくがんを焼きつくす』の著者)も、海に向かって帆を広げている姿を上から見ることができて、すごい!と思えました。

さてお台場の歴史ですが、ネットで情報を調べていたら、講演記録がありましたので引用させていただくことにしました。

NPO神田雑学大学の三上卓治元理事長さんには暫くお会いしていませんが、(がんの講演等でお世話になりました)、引用させていただきます。<引用:NPO神田雑学大学HPより>

講演抄録『お台場の歴史を考える』講師 西川武臣(横浜開港資料館)

第303回(平成18年3月17日)

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18世紀の終わりぐらいから日本全国にいくつかの台場をつくろうという動きが出てきます。そのきっかけはロシヤが南下政策をとって黒船に乗って北海道あたりに出没し始めたことがきっかけです。有名なのは1792年ロシヤの使節ラクスマンが北海道にやってきて国交を結べと軍事的圧力をかけてきたことがあります。そのとき老中の松平定信が危機感を持ちいずれ東京湾までくるのではないかと思ったわけです。それ以降、首都である江戸の防衛が真剣に考えられるようになりました。次いで、19世紀早々ロシヤのレザノフが通商の要求をだします。幕府は拒否しますがこの時、樺太、択捉あたりで日本人部落を焼き討ちするような事件がおこりました。さらに、1808年、イギリスの軍艦が長崎にオランダの国旗を掲げて入ってきて居座るという事件がありました。このようなことから台場というものが真剣に検討されるようになります。<中略>

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次に東京湾の台場についてですが、資料は江戸を中心とする海防図を掲げた瓦版です。縮尺や方位はいいかげんですが当時の様子を理解するのに役立つかと思います。□印で示されているのが台場で、各大名が旗印をあげて存在を誇示したのでどこにどの大名が警備する台場があるか庶民は知っていました。

神奈川台場はペリーがきた時はまだ出来ていません。また、小さな台場ばかりでは威力がないというので、品川沖に本格的な台場を作ろうとしたものが品川台場です。当時、品川台場の一番台場は川越藩(17万石)、二番は会津藩(23万石)、三番は武州忍藩(10万石)が警備を命じられて駐屯していました。しかし、東京湾内で実際に大砲を撃って外国船を攻撃したことはありませんでした。当時黒船の大砲の威力はわかっていましたし下手に撃つと逆にやられる恐れが強かったのです。

こんな理由で台場を作ったものの、これはみせかけのもので幕府の姿勢をみせるための苦肉の策であったともいえます。 品川台場はぺリーの来航をきっかけにつくられたわけですが、この艦隊は2ヶ月も湾内に居座っています。艦隊は最大九隻の軍艦で乗組員は1500人以上乗っていたと思われます。たまたま2月21日アメリカ初代大統領の誕生日記念に祝砲を撃って江戸の市民は動揺します。また生活物資を積んだ船が自由に行き来できなくなって市民生活にも影響がでてきます。庶民の動揺を防ぎ幕府の威信を示すために急遽品川台場の築造を決めたものです。台場の築造には大変な費用がかかったわけですが、これをみた外国の領事などは、これは役にたたない、大砲も射程が短くて脅威でないと判断していました。 

品川台場の設計をしたのは代官の江川太郎左衛門です。彼は蘭学にすぐれた学者で韮山に反射炉をつくり大砲の鋳造をやったわけです。この制作費は70万〜80万両かかったといわれています。当時米を10キロ買うと一両ぐらいだったそうですから、およその見当はつくかと思います。東京湾にあった全部の台場の制作費はおそらく1千万両を越し更に数百万両の維持費がかかったものと思われます。品川台場は11作る予定だったものが最後の三つは未着工でいま残っているのは第2、第6台場の二つです。台場は軍事的にはあまり役に立ちませんでしたが、この建設によって地元の経済の活性化には役立ちました。資材は伊豆、真鶴、横浜近郊あたりから船で運ばれたようです。<後略>                           


June 2009 瀧山幸伸 source movie

豊洲からユリカモメ

    

お台場

     

潮風公園 ガンダム

                      

お台場から豊洲

    

アーバンランチ

                                                             

 


テレコムセンター 展望台

Jan. 2009 瀧山幸伸 source movie

                       


June 2007 撮影:ひろ

         

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