JAPAN GEOGRAPHIC

東京都江東区 小名木川

Onakigawa ,Koto,Tokyo

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Sep.2010 撮影 柚原君子

「小名木川に架かる橋と順調に育っているスカイツリー

「2010年9月11日現在のスカイツリーは461メートル。いつの頃からか<成長中>という言葉が使われるようになりました。都内各所から見えるようになりましたので、毎日見守る人々にとっては<育っている><成長中>という言葉で慈しみたいほどのツリーになっているのでしょうね。

大川(隅田川)より旧中川に向かって流れる川は墨田区のスカイツリーの前を流れる川と、江東区の小名木川とで2本あります。水の都江東区在住の私としては、成長途中のツリーと小名木川にかかる橋との取り合わせを追いかけてみました。

江東区の清洲橋を基点にして旧中川まで橋の数は鉄橋を入れて18本、他に水門が2本(これによじ登ることは法律的に禁止されていますので、いくら私でもそこでの撮影は思いとどまりました)。終点の旧中川にかかる中川大橋までをあえて入れると合計19本になります。

スカイツリーが見えなかった橋は2番の万年橋と15番の砂島橋と18番の番所橋でした。何れも橋の近くに高層マンションがあるのが原因でした。ツリーのもう少しの<育ち>を待ちたいところです」

1 清洲橋

Kiyosubashi

2 万年橋

Mannenbashi

万年橋通り

隅田川から数えて一つ目なので一つ目通りという名称もある。(三つ目通り、四つ目通りは現存)。

討ち入りを終えた赤穂浪士が、この道を通って永代橋に出たというお話が有る。

寛永の頃(1624〜)、猟師町が出来たときに木橋として架かった江東区内最古の橋。

現在の橋は昭和5年(1930) 長56.6m、幅17.2m 1径間鋼製アーチ橋で、震災復興橋梁。現在中川口にある通船を改める番所がもともとはここにあったので、延宝8年(680)の江戸図には、"元番所の橋"とある。

西側には松尾芭蕉の住居"深川芭蕉庵"跡があり、現在は隅田川に面したテラス公園に松尾芭蕉坐像(電機で動く)がある。

木橋の頃の様子は葛飾北斎(1760-1849)冨嶽三十六景"深川萬年橋下"、歌川広重(1797-1858)名所江戸百景"深川萬年橋"、尾張屋板江戸切絵図・本所深川絵図(文久2年-1862-)などに描かれ、船の航行を妨げないように虹のような曲線の趣のある橋に再会することができる。藤沢周平の短編集“はし物語”にも登場する。

江東区指定都市景観重要建造物(2004年)。ライトアップ有り。

   

3 高橋

Takahashi

約三百年前に架けられた橋で、隅田川に架かる永代橋や新大橋より古い時期にあたる。

江戸時代の葛飾北斎の絵に、小名木川を通る帆船が帆柱を完全に倒さなくても通過しやすくするために高い橋脚部を持つ太鼓橋として描かれている。

江戸時代から昭和の間に四回架け替えられている。現在のものは昭和6年(1931年)に架けられた。2径間鋼製桁橋で長さが54.4m。震災復興橋梁。

昭和9年(1931)に、深川東森下町の一部、深川東元町の一部、深川富川町、深川西町

などを合併し、小名木川に架かる高橋から深川高橋とついたと推測されている。昭和46年(1971)に現在の町名、高橋となった。

毎年7月末には、深川仏教会が関東大震災の被災者の霊を慰める灯篭流しを行っていて、小名木川をゆらゆらとゆれて流れる灯篭が夏の風物詩となっている。

日本の漫画の祖といわれる田河水泡が住んでいたということで、橋の北側の高橋商店街にのらくろの記念館(森下文化センター内)がある。「のらくろ」は昭和6年<少年倶楽部>に連載された物語。

野良の黒い犬が主人公で(本名は野良犬黒吉)、猛犬聯隊という犬の軍隊へ入隊して活躍する。

最初は二等卒だったが徐々に階級を上げ、最終的に大尉まで昇進するというお話。

のらくろ墨、のらくろハーモニカ、筆箱、幼児用の玩具、ハンガーなどが発売されて売れに売れたそうである。

キャラクター商品のはしりともいわれている。

■右の松の左にスカイツリーが見え始めている。

  

4 西深川橋

Nishifukagawabashi

白河二丁目と森下三丁目にまたがる1径間鋼製トラス橋(トラスとは細長い部材を両端で三角形に繋いだ構造で、それを繰り返して桁を構成している様式)。

昭和5年(1930)に建設された震災復興橋。小名木川は1590年頃、徳川家康が小名木四四郎兵衛に命令して開削させた運河。

江戸市民の生活物資を利根川から運ぶための重要な路線。

橋の南側に位置する白河(江戸時代は海辺大工町)には銚子沖でとれた鰯を油抜きにして畑の肥料にする<干鰯>が江戸に入ってきて業者に取引される<銚子場>と呼ばれる取引所があったそうです。

それと関連するわけでありませんが、橋の北側には造形作家松本哲哉氏のモニュメント、シーラカンス(平成2年)があります。

ちなみに江東区塩浜2丁目塩浜運河に架かる南海橋際にある人魚、JR亀戸駅前の亀、も彼の作品です。

     

5 東深川橋

Higashifukagawabashi

                

6 大富橋

Otomibashi

            

7 新高橋

Shintakahashi

                

8,9 新扇橋、扇橋水門

Shinogibashi,Ogibashi watergate

 

                                               

10 小松橋

Komatsubashi

                   

11 小名木川橋

Onakigawabashi

                        

12 グローバル橋

Globalbashi

                             

13 越中島鉄橋

Etchujima bridge

                 

14 新開橋

Shinkaibashi

          

15 砂島橋

     

16丸八橋

              

17塩の道橋(旧桜井橋)

      

18番所橋

        

19中川大橋

        

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