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Mar.2009 江戸糸あやつり人形座 公演
慶応志木高校 三年 ST生 (2008年12月)
目次
(1)研究の動機
(2)研究の成果
第一章 糸あやつり人形の歴史と魅力
第二章 江戸糸あやつり人形の作り
第三章 江戸糸あやつり人形の歴史と現状
第四章 江戸糸あやつり人形が抱える問題点と解決策
(3)研究の進め方
(4)参考文献
(1)研究の動機
まずこのテーマを選ぶ前に、自分はどんなことに興味を持っているのか、ということを考えた。
そこで出たものが「文化」というものだった。
音楽、絵画、建築、舞踊、生活、食事、文学、そういったものである。
しかし、その中で思いついたもののほとんどが西洋のものだったのである。
例えばオペラであったり、ゴッホであったり、ゲーテであったり、モンサンミッシェルであったり。
西洋のものは、西洋人が調べたものが、その世界で普段生活しているのだから、一番クオリティが高いのではないか。そこで、自分が興味あるもののなかで、何を調べれば良いのかと検討した結果が「日本の伝統文化」だった。
私達の伝統文化の中での日本人、日本らしい「こだわり」をもっと国内外問わず発信できたら素晴らしいことだと思った。
日本の中で文化と言えば伝統文化が魅力の一つと言える。
そこで「伝統工芸」「伝統芸能」「伝統建築」「伝統芸術」のどれかを選んで、研究しようという点に至った。
工芸では、人間国宝とされている人から一人選んで、芸能では歌舞伎を、建築では宮大工について、芸術では雅楽や民謡について、それぞれこのように思っていた。
しかし、どうせ研究をするのならば、社会的な意義を得たいと思い、「伝統の危機に瀕しているもの」、「社会の中で知名度が低いもの」の中で、かつ国内外に日本のブランドとして発信できそうなものを選ぼうと考えた。
対象をいろいろ探したが、たまたま糸操りの大家、結城一糸さんのゲートシティ大崎での講義と実演を拝見することができる機会に恵まれたため、江戸糸操り人形について研究を行うことに決定した。
(2)研究の成果
私が選んだテーマの研究成果を表すにあたり以下の四つの章分けをしたいと思う。
第一章 糸あやつり人形の歴史と魅力
第二章 江戸糸あやつり人形の作り
第三章 江戸糸あやつり人形の歴史と現状
第四章 江戸糸あやつり人形が抱える問題点と解決策
この四つに分けて発表していきたいと思う。
第一章 糸あやつり人形の歴史と魅力
第一節 糸あやつり人形の歴史
日本には古来から、神様に捧げる舞や、豊作を祈る踊りなどがあった。「しゃべくり」による面白い見世物も昔からあったのだろう。
日本の芸能の発祥は7世紀初頭、聖徳太子の時代、仏教が入って来るのとほぼ同時期に海外から渡ってきたのだと言われている。
そして8世紀頃、日本に西欧のロムニー(いわゆるジプシー)に似た傀儡(くぐつ)族(傀儡とは人形・マリオネットのこと)という集団が大陸から渡来してきた。その中に、医者やその他いろいろな職業のものが居た中に、「人形遣い」がいたと言われている。
あやつり人形には、大きく分けて、手で操る人形と、糸で操る人形の2種類が存在するが、傀儡族には両方あったと言われている。つまりこの傀儡子が運び込んできた人形遣いというものが、今日の日本の人形文化全ての起源ではないかと考えられている。
人形浄瑠璃の発祥は、一般的には江戸時代と言われている。しかし今昔物語の中に「糸で操った人形」という記述があり、他にも世阿弥が14世紀に書いた本の中にも「糸あやつり」という言葉が出てくる。
最古のあやつり人形は、約1200年前のものが現存している。
福岡県の宇佐八幡宮の末社古表神社と、大分県の古要神社で伝承されている、動く人形の舞に使用されているものだ。
末社古表神社にある、傀儡子47躰は国指定重要有形民俗文化財に指定されている。この傀儡子を使って、4年に一度、8月6・7日(または11日)の放生会に、細男舞・神相撲が行われる。縁起によると、養老3(719)年から行われてきたと伝えられる伝統文化である。
古要神社にも、傀儡子の舞と相撲が伝わっており、奈良時代に、朝廷の命により隼人の反乱の平定に向かった豊前国の軍が、戦場で傀儡子の舞を演じて隼人の気を引き、その隙に乗じて隼人の軍を攻めたことに由来するという。
その後、戦死した隼人の慰霊のために宇佐神宮で放生会が始められると、その際に傀儡子の舞が奉納されるようになり、それが古要神社に伝わったといわれる。古表神社と同じく国の重要無形民俗文化財に指定されている。
ちなみに神事は夕刻に始まり、まず傀儡子による舞が奉納され、次いで神相撲が行なわる。傀儡子による舞は古要舞、舞の伴奏は古要楽と呼ばれている。
木彫りの大きい人形の左足を左手で捧げもち、上部から出ている紐を下から引っ張ると両手と右足が動く。人形は白い人形と黒い人形の2体あり、白が勝つと豊漁であったり、黒が勝つと豊作物がよく実るなど、占いにも用いられていた。
これらが糸あやつりの起源であり、後として人形文化が発展する元、糸あやつり人形に考え方の発想の根本となった。
第二節 糸あやつり人形の魅力
・人間よりも人間らしい
魅力としてまず語られることは、その人形の動きである。直接人形を扱う、手操りの人形と違い、糸を介して間接的に動かすわけだ。そして、その人形は「人間よりも人間らしい」動きをする。近年(江戸以降)の人形遣いは数十本の糸を華麗に操り、繊細な指使いで人形をあやつる。(作りに関しては後述)
・人形の無機質さ
そして聴衆は役者が人形だからこそ、それぞれの考え方、感じたものを、それに移入することができる。
歌舞伎やオペラと同じく作品の人物の設定はあるものの、歌舞伎やオペラは舞台上の人物が、感情をあらわにする。逆に人形劇は、観客がその人形の感情を伺うことになる。(そのためにはより複雑かつ繊細な人形の動きがもとめられるわけだが)
・指の動きの連動
西洋のマリオネット(映画サウンドオブミュージック中の人形劇が最も想像しやすい例ではないだろうか)と違い、手指の動きと連動して動く。そして直接的に、人形遣いが右手をあげれば人形も右手をあげるというわけでなく、手板という板を使うことによって人間らしい動きを可能にした。その職人業と言って決して過言でない動きが魅力となっていく。
糸あやつり人形の魅力を語るにあたってその人形の作りの説明は不可欠であろう。したがって次章、現代まで引き継がれてきた糸操り人形について調べた結果を記したいと思う。
第二章 江戸糸あやつり人形の作り
第一節 人形の種類
基本的にどの人形も元となる構造は同じだが、そのなかでどのような種類があるのか紹介したいと思う。
一般的に男性として使用される人形
一般的に女性として使用される人形
日本古来の女性らしい動きを実現するために、男性の人形とは違い、足がない。つまり、その分、操り師がいい按配の高さで保たねばならない。
この作りにすることで、絶妙な、腰の折れ具合、体のひねり具合を表現することが可能になる。
この骨の人形は、衣服を着せないため、形が少し上の二つとは違う。またそれだけでなく、次のような面白いからくりがほどこされている。
体のパーツがバラバラになる骨人形

と、刀で切られた顔を表現する事が可能になる。
他にも、それぞれの劇中、演出上で様々な人形が現代まで、受け継がれている。ここで紹介したのはほんの一部。
実際にどのような人形が使われているのかを見るのも、人形劇の魅力の一つかもしれない。
第二節 人形のつくりと動き
では、第一節で語った人形達は、どんなつくりで、それによってどんな動きが可能なのか。
そもそも、糸操り人形というのは、上から垂らした十数本の糸と手板という道具で人形をあやつる芸なので、まず手板のつくりについて記していこう。
江戸糸あやつり人形は、人形の肩や頭、主要な関節に付いている10数本の糸で、人形を操る。手板はコントローラーの役目をする。
この手板をあやつる事によって、首を自由自在に動かすことができ、顔を横に振ったり、頭を下げたり、あごを出したりして、人間味の溢れる、非常に繊細で、表情豊かな動きを演じる事ができる。
ちなみに江戸糸あやつり人形だけでなく、現在では劇場で演じられる以外にも、大道芸として道端で演じるパフォーマーも存在している。(上野恩寵公園や池袋駅等)
※手板のつくり
長方形の板の前後(2ヶ所)に「ひょうたん型」の穴をくりぬき、人形を操作する糸を吊るした物。
人形の動きのポイントは、何度も言うようだが手板にある。
人形には、15本から25本までの糸が付けられていて、体重を支える2本の肩糸と頭を上下に動かす1本の頭糸をキキ糸と呼び、この3本が常にピンと張った状態になっています。このほかの糸は遊び糸と呼ばれ、人形の動きをより細かくリアルに表現する事を可能にしている。
糸の先は「手板」に結ばれており、手のひらが上になるように手板を持ち、人形をあやつる。
これが装飾や首をつける前の、人形である。
左側が前記の女性の人形で、右側が男性の人形である。
女性の人形の胴部分を見てもらいたい。輪状になっているのがわかるだろうか。
これによって女性の人形は、コイル状のバネのように、くねくねとした腰使いをすることが、可能になる。
また、脚も、男性より短く、着物を着せた際、足が隠れるような工夫がほどこされている。
男性は寸胴型となっており、衣服を着せた際力強い印象をうける。
この形は、古くから変わらず受け継がれている。

今度はこの顔の部分に注目してもらいたい。
眉間に1本糸が通っているのがわかるだろうか。
この糸によって、人形達は首の動きあごの動きを得て、より人間らしい表情を可能にする。

実際この画像と、このページ上部の画像とを比較してもらいたい。
少し顔の向きや、あごの引き具合、見るアングルによって、受ける印象はだいぶ違うのではないだろうか。
女性は哀愁ぎみに、男性は怒りにも威張りにも似た表情を感じ取れる。こういったものも人形の動きに加えて、糸操り人形の魅力の一つといえよう。
ちなみに、これらの人形達の各パーツ(手足など)の関節は、糸でつながっている。したがって、人間のように関節は存在しない。
つまり、足だろうが手だろうが、すべて変幻自在にまがってしまう。そのため、手板によるコントロールの技術が大いに求められるのだ。
次に実際の糸操り人形の制作の過程を見ていこう。
糸操り人形製作過程
1、頭を粘度で形作り、石膏で型抜きする。
2、胴体部分に頭、首の動く仕掛けがある。手足も桐の木を使う。軽くて削りやすいため3、顔や手足はこの後胡粉を塗って仕上げる。
4、頭は首に開けた穴に胴体の釘を差し込み、クルクル回転するようになっている。
5、肩には首を動かす糸の穴、腕をつける穴、胴体をつる穴を開ける。木のささくれをとるために焼きを入れる
6、肩の穴の下に糸の滑り道のための細い竹を取り付ける。
7、太もも部はボール紙を筒にし、針金で補強する。和紙をうわばりする。
8、後ろはこんな感じ・・・。
9、かなり中飛ばしの説明だが、これで後は糸付け作業。
第三節 西洋の人形との違い
次に、日本の人形と西洋の人形ではどう違うのか。
つくりという視点から、手板・構造に着眼して比較していきたいと思う。
マリオネット(チェコ人形)の一般的な手板
マリオネットの操作方法は意外と簡単で、マリオネットの握り部分を小指と薬指で抱えて、親指と人差し指を使って四本糸を操作する。片手で使えるから、2体を一緒に上演する事も可能だ。つまり、日本の人形のように複雑な動きは不可能なわけだ。
『図説日本の人形史』(山田徳兵衛編、東京堂出版)によると、市松人形のハンド・パペットを手にした女性の姿を描いた1700年代半ばの画が、最初のページに掲載されている。
ページをめくると、江戸時代には人形芝居の隆盛にあやかって、そのミニチュア版的手遣い人形や糸操り人形がたくさんつくられ、お座敷芸に使われたり、家庭で遊ばれたりしていたことがわかる。1690年に描かれた挿絵には、手遣い人形らしき人形を並べた人形店の店先を、子連れの女性が訪ねている様子も描かれている。
人形劇王国と呼ばれるチェコでさえ、工房制作の家庭向けマリオネットが普及するのは1900年代前半なのだから、日本は人形劇先進国であると同時に、プライベートに人形劇を楽しむことでも先進国だったにちがいない。
だからこそ、より複雑な動きがもとめられ、一つの日本固有の伝統文化へと発展していったのだろう。
人形自体も、いわゆるぬいぐるみや、それに関節がついたものが多く、庶民の生活の中でのこどもの玩具程度の存在なのかもしれない。
さきほどの西洋のマリオネットの手板として紹介したように複雑な動きを可能にしたものもあるが。
糸の数も数本で、上手に操作することはとても難しく、日本のものとは比較にならない。人形の作りはさほど日本とかわりないが、西洋のマリオネットは、木彫りで球形関節の棒使い人形が中心である。
また首と胴体がくっついていることも多い。
つまり、江戸糸あやつり人形の構造や動きは、世界に十分通用し、世界中の人形劇を席巻できるかもしれない。
しかし、現状では、日本国内においても過疎ぎみという状況だ。
ではこれからどのようにしていけばよいのか。
そのために、まず江戸糸操り人形の「結城座」の歴史について見てみよう。
第三章 江戸糸あやつり人形(結城座)の歴史と現状
第一節 結城座の歴史
結城座は江戸時代の寛永12年(1635年)に初代結城孫三郎が旗揚げした。
それから約370年の長い年月を経て、現在 『国記録選択無形民俗文化財』『東京都の無形文化財』に指定されている、日本唯一の伝統的な江戸糸操り人形の劇団である。
江戸幕府公認の五座の中では、歌舞伎三座(市村座、中村座、河原崎座)は座元名のみの継承となり、残る薩摩座も姿を消し、現在「座」として存続するのは結城座のみとなった。現在の結城孫三郎は、平成5年5月に三代目両川船遊が十二代目結城孫三郎を襲名した。
結城座の主な活動としては、歴史ある「古典公演」の他に、書き下ろしや翻訳による「新作公演」があり、新作の中では、役者と人形が同じ劇空間で競演したり、人形遣いが人形を使う一方で生身で役を演じたり、また劇中に「古典」の手法や、これも江戸時代から伝わる「写し絵」(ガラスの板に絵を描き投射する)等を挿入するなど、常に結城座独特の舞台空間を創造し続けている。
また、数度にわたるヨーロッパ、中近東、東南アジア、旧ソ連、アメリカなどの海外公演も成功を収め、1986年ベオグラード国際演劇祭においては、「マクべス」で今までの人形劇のジャンルを越えた演劇として『特別賞・自治体賞』を受賞し、国外でも高い評価を得た。
これら結城座、および故・結城雪斎の活動は『芸術祭文部大臣賞、東京都知事賞、紫綬褒章、勲四等瑞宝賞、文化財功労者賞』等を受賞している。
・結城孫三郎
結城座の座長を結城孫三郎とし、初代から代々襲名してきている。今では、十二代目にあたるので、十二代目結城孫三郎について説明する。
彼は、江戸糸あやつり人形結城座十代目結城孫三郎(故結城雪斎)の次男として生まれ、4歳で初舞台を踏んでいる。11歳から武智鉄二主宰、武智歌舞伎座に入門。歌舞伎を学ぶと共に能は観世栄夫、狂言は茂山千之丞の教えを受けながら、結城座での人形遣いの修行を重ね、72年、写し絵家元三代目両川船遊を襲名。人形遣いとともに写し絵師の活動も開始。93年十二代目結城孫三郎を襲名。古典的な糸あやつり人形芝居とともに、新しい作家や演出家との作品作り、海外とのコラボレーションなどにも積極的に取り組んでいる。2004年より入門塾を開講し、古典の伝承と若手の育成にも力を注いでいる。
私は、今回結城一糸さんの講演を学んだわけだが、結城一糸とは、現在の十二代目結城孫三郎の父、十代目結城孫三郎が初代結城一糸であり、二代目結城一糸にあたる。
十代目結城孫三郎の三男であり、十二代目結城孫三郎の弟である。
・結城一糸さんが語る結城座の歴史
初代結城孫三郎は、もともと人形遣いではありません。説教師が説教をしながら三味線が絡む「説教節」という語りをやっていました。
孫三郎は説教節の祖と間違われるほど、説教節が上手く、大変人気がありました。
その後、孫三郎を凌ぐ大天才が登場します。近松と組んだ竹本義太夫。彼の語りは説教浄瑠璃の比ではありません。大変複雑な三味線の手が入った義太夫節が全盛となり、説教節は廃れていってしまいます。
そこで孫三郎は自分の説教節を捨てます。関西から義太夫節を取り込み、それを人形に合わせてやらせました。座の経営者としては目先の効く人だったのではないかと思います。
座と立てて興行を打つ、というのは大抵、太夫さんです。人形使いが座を持つのではなくて、語りの人が座を持つわけです。
江戸時代、幕府の管理体制が厳しくなると、漂泊しながら自由に人形浄瑠璃や歌舞伎を行うのが難しくなりました。
三代将軍の頃、常打ち小屋(劇場)が五座作られ、いつ芝居をしても良いようになりました。昔の仮設小屋では大体100日くらいしか興行できなかったのが、常打ち小屋だと一年間好きな時に芝居が打てます。
歌舞伎の座が三つ(河原崎屋・中村座・市村座)、人形浄瑠璃は薩摩座・結城座で興行が行われていました。
第二節 結城座の現状
現在では古典の操りをベースに、書き下ろしの新作公演、写し絵公演、海外の演出家・作家とのコラボレーションなど様々な公演活動を行っている。
【古典】
代表作「伽羅先代萩 御殿政岡忠義の段」「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」など
【新作】
代表作「マジックランタン〜注文の多い料理店」「ドールズタウン」など
【海外公演】
各国の演劇祭・フェスティバルへの出演、フランスとのコラボレーション「屏風」など
【その他】
地方公演、糸あやつり人形遣い入門講座の開催 など
・結城一糸さんが人形芸術に開眼した由来
芝居の技術を教えるには、繰り返し演じさせるほかない。
彼は、人形芝居の家に生まれ、小さい時から「なんでこんな家にうまれたんだ!」と思ったそうだ。
2歳で人形を遣わされる。どうやって遣って良いのかもわからず、初舞台は4歳で、それまでになんとか形にしなければならない。
初舞台が近づくと、父十代目結城孫三郎から「どうやったら人形がこういう動きをするのか考えろ」といわれる。
でも3歳か4歳では全くわからない。考えがまとまっていないと父に殴られる。
23歳のとき、世界の前衛演劇際に参加し、初めて、「こんなにたくさんの人が命をかけて演劇をやっているんだな」と実感し、これがきっかけとなりもっと演劇に気をいれて向き合っていこうと、決意したとのこと。
こんなにも厳しい世界のために、素晴らしい舞台が作られ、伝統文化財として発展したのあろう。しかし厳しい世界だからか、後継者不足という問題を抱えている。
第四章 江戸糸あやつり人形が抱える問題点と解決策
江戸糸あやつり人形において、最大の問題点としてあげられるのは、その知名度の低さと、それに伴う後継者不足である。
江戸糸あやつり人形は『国記録選択無形民俗文化財』『東京都の無形文化財』1986年ベオグラード国際演劇祭においては、「マクべス」で今までの人形劇のジャンルを越えた演劇として『特別賞・自治体賞』まで受賞していることは既に語った事だ。および故・結城雪斎の活動は『芸術祭文部大臣賞、東京都知事賞、紫綬褒章、勲四等瑞宝賞、文化財功労者賞』等を受賞もしている。
つまり、技術的な部分、歴史的な部分、日本の芸術・「こだわり」といった部分がクリアしてることになる。
ではなぜ、同じ時代に栄華を極めた歌舞伎などは、国内外問わず高い評価とともに国民文化といっても過言でないほどの地位と知名度を獲得しているのに、江戸糸あやつり人形は知られていないのだろう。
それはまず「役者」にある。
歌舞伎役者は人自身が役者であるため、雑誌やテレビ・ラジオに多数出演することができる。実際たくさんのメディアの場で彼らを目にする事だろう。
それに対して、糸あやつりは人形であるから、それらに出演することは出来ない。
また、後援会というファンクラブのようなものが、歌舞伎には座にも、役者一人一人にも存在し、様々な方面につながりが深く外側に常に発信している。
だが、逆に糸操りの場は、どちらかというと自分たちだけ、内側の方向で舞台を作るといった印象を受ける。
では、この状況をどう打開すればいいのだろうか?
まずあげられるのが、すでに行っている、コラボレーションの舞台だ。
フランスとのコラボレーション「屏風」や、歌手の中村中さんとのコラボレーションを行っているが、西洋では、マリオネットの舞台において、オーケストラとのコラボを行っている。
現に能の世界では、井上道義さんという日本の第一線の指揮者を招いて共演を行い、メディアも大きくとりあげ、大盛況を得ている。
オーケストラに限らず、室内楽や、中村中さんのように、ポップスや演歌、ロックなど各方面の音楽家との共演も魅力的になるのではないだろうか。
また音楽家だけでなくマスコットキャラクターでの人形劇なども考えられる。
近年は空前のゆるキャラブームであったことから、その火付け役ともいえる「ひこにゃん」や、誰もが知っているアニメのキャラクターやその声優陣との共演もファンには興味深いものであるだろうし、なによりメディアがとりあげてくれる可能性が高い。
例えば、ジブリ作品や、国民的アニメドラえもんや、手塚治虫作品を上演するのも考えられる。
そのためには、その方面とも関わりを持たねばならないが、芸能文化として生きていくためには必然であろう。
新作を作っていくという事は、現在すでにやっていることだが、観衆がなにをのぞんでいるかなどを考えてやることが、江戸糸あやつり人形劇の発展につながるだろう。
芸能の文化の中で発展するためには、今日、芸能界と言われているが、そういった方面や、アニメ、音楽など様々な方面と関わりをもつことが最大の解決策となるだろう。
最後に
今回の研究成果を見てもらって、少しでも日本の文化・伝統・「こだわり」そういったものを発信できるものになれば良いと思う。
日本に生まれ育ってきたからこそ、その文化に一番精通しているわけだから、自分の国の文化にもっと興味を持って、そのよさを大切にして欲しい。
今回の江戸糸あやつり人形はもちろん、建築や美術や芸能や工芸などにおいて日本は様々な文化を残している。
もう一度それらを見直し、国内外に発信し、素晴らしく、残していくべき価値のある伝統文化を我々若い世代が紹介していかなければならない。
(3)研究の進め方
まず、私の場合「江戸糸あやつり人形」を誰がやっているのか、どうゆう歴史で今に至るのかを知る必要があった。
そのため、最初は、「江戸学辞典」・「日本国語大辞典」で操り芝居・人形操り・人形芝居と調べていった。
また、「絵でよむ江戸のくらし風俗大辞典」などもあったが歴史を知るという目的のためには使えなかった。
その後、日本十進分類法で、
・ 770 芸能
・ 910.25 江戸文学
・ 700 芸術
・ 702 芸術史
・ 701 芸術民俗学
・ 759 人形
・ 777 人形劇
・ 777 操り人形
・ 777.8 マリオネット
・ 702.3 西洋芸術
という分類から高校図書館ですべて炙り出した結果4冊関連しそうな本があったが、どれも研究に使えるほど詳しい内容ではなかった。
結果は大学の図書館、国会図書館でも同様であった。
新聞記事に関しても、「どこどこで公演」といった内容に関するものばかりで、使い物にはならなかった。
雑誌は関連しそうなものがほんの数件あったが、形態のところから、内容の薄さが伺えたので却下。
そこで活用できそうなのがインターネットと関係者へのインタビュー、関連組織への問い合わせである。
まず、関係組織への問い合わせだが、
・ 江戸東京博物館
・ 国立劇場 図書館
・ 東京都教育委員会 生涯学習(東京都無形文化財なので)地域教育
があげられる。
実際、江戸東京博物館では、館内の一部で、江戸糸あやつり人形について、小さいながらも特集をくんでいた。
しかし、実際研究をするにあたって活用したのは、関係者(江戸糸あやつり人形座代表 結城一糸さん)の講演と、インターネットと、その内容を確認するための数冊の文献であった。
特に結城一糸さんの講演がこの研究の成果のおおまかな部分を占めている。
結城一糸さんの講演とは、2008年7月に、大崎において、少人数セミナーが行われ、それが主である。その後同じく大崎で公演が行われた。
インターネットでは、結城座・糸操り人形・人形・人形 構造・マリオネット・手板・人形 手板 などの検索ワードを入れ、関係者(結城座やその世界で活躍している人)のサイトを参考にさせてもらった。
(4)参考文献
・2008年7月、品川区大崎 江戸糸あやつり人形座 結城一糸代表による講演
・山田徳兵衛編 『図説日本の人形史』1991年 東京堂出版
・江戸糸あやつり人形座
http://acephale.jp/
・パペットハウス店主 深沢拓朗 パペットハウス
http://www.puppet-house.co.jp/main.html 2008.12.23
・ふたむらととこ(人形とマイムのパフォーマー。オリジナルの人形製作、作品の作・演出も手がける。) 人形劇とパフォーマンスのホームページ
http://totokode.gozaru.jp/index.html 2008.12.23
・JAPAN GEOGRAPHIC.TV
/tokyo/suburbs/edo-ito-ayatsuri.html 2008.12.23
・結城座 江戸糸あやつり人形劇団 結城座
http://www.youkiza.jp/ 2008.12.23