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東京都台東区 上野界隈
Ueno area,Taitoku,Tokyo

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April 3, 2017 野崎順次 movie

上野恩寵公園の桜の歴史
寛永寺を開いた天海僧正が江戸庶民の楽しみのために桜の苗木を植樹したのが桜の名所としての始まりだと云われています。その後戦争などで荒廃した時期もありましたが、植樹と手入れが続けられ現在では約50種、約800本の桜が毎年花を咲かせています。品種により開花時期が異なり、晩秋に咲き出す子福桜、2月初旬に寒桜などが開花、その後もいろいろな品種が順次花をつけ4月下旬までお花見を楽しむことができます。
(上野桜守の会掲示板より)

パンフレットと現地掲示板

     

JR上野駅公園口から

      

今日は快晴で満開である。よかった。交番前広場あたり。

                           

大通りを進む。

                

朝から場所取りの人々、ルールを説明する係員

        

さらに進んでからUターンする。

                                     

上野大仏あたりで高台に登る。

        

雪割草の群落

       

大通りに戻り、トーテムポールなど

           

交番前広場あたり

                           

JR上野駅へ戻る。

              




Mar.28,2017 瀧山幸伸
      

Mar.30,2016 瀧山幸伸 movie

上野公園の桜

                             
                                                       



Feb.2,2016  柚原君子

所在地:東京都台東区上野公園4−8

上野公園の寛永寺のちかくにあるバコダ【【仏塔を意味する英語】と呼ばれる小さな丘に、お顔だけが残されている大仏様があります。1631(寛永8)年、越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のために寄進した大仏様で『上野大仏』『東京大仏』『合格大仏』などの名前があります。
1615年頃の元和年代、上野には越後村上藩主の堀直寄のほかに藤堂高虎、津軽信枚の屋敷がありました。しかし徳川家の御廟地となる為に替え地をもって御取り上げとなってしまいます。1625(寛永2)年に江戸城の北東にあたる鬼門として寛永寺が草創されます。津軽家の『常福寺御由緒略記』には、津軽家の寺院である津梁院、藤堂家の寒松院、堀家の凌雲院は格別の対遇の趣であった、と記載されていて、堀家の凌雲院は上野最大の塔頭で、現在の国立西洋美術館の辺りにありました。
その地で堀直寄は大仏殿を寄進。当初は漆喰の釈迦如来坐像でしたが、その後、二度も三度も地震.火災に見舞われてその都度に修復をされてきました。
1923(大正12)年の関東大震災で四度目の崩壊があった後は、改修されることなく寛永寺で管理されていましたが、1972(昭和47)年に残存した顔だけが元の場所に戻りました。幾たびの災難で顔だけが残り「これ以上落ちない」ということから「合格大仏」として近年人気スポットになっています。訪れた日は二月ともあって合格祈願の絵馬が鈴なりでした。半眼のお顔はとても柔和。こんなに近くで大仏様を拝顔したことはなく、触ることもできて長く拝んでいる学生さんも多かったです。受験生にどうぞお慈悲をと私も後ろの方からお参りしました。

 (wikipedia)

                    


博物館動物園駅跡その1

所在地:東京都台東区上野公園13-23

京成電鉄本線の上野と日暮里の間に存在した駅で昭和8年開業されている地上出口です。博物館動物園駅は四両の車両しか停車できないホームの長さ、販売機が無いので手売りの切符の為他車線への乗り換え切符が発売されない、営業時間は7時から18時までなどなどの理由のため、通過せざるを得ない車両も多くなり平成9年4月に再開予定なき休止駅となリ、その後2004年に廃止駅となっています。
駅跡の地下にホームは残っていて、現在でも京成電鉄本線で電車通過の際には薄明りの蛍光灯が付いているので駅だと解るとの事(上下線とも進行方向左側を凝視すると見えるそうです)。
戦争中は空襲から蒸気機関車を守るためにこのトンネル内に避難させていたそうで、現在は地下鉄の有事の避難路のトンネルとして使われる指定もされています。そういう意味では現役の駅跡と言えます。
駅跡は地下鉄駅の地上出口なので小さいのですが、国会議事堂に似た堂々たる雰囲気を持っていて高貴な感じがします。それもそのはず、皇室用地であった東京国立博物館の敷地内に建てられるということもあって、天皇出席の御前会議でデザインが決定されたという歴史も持っています。1931(昭和6)年竣工。中川俊二設計
                  

博物館動物園駅跡その2

博物館動物園駅跡その1の方が知られていますが、廃止駅の出口はもう一つあります。上野動物園の正門より東京都美術館の裏側に細い道があります。たどっていくと子供動物園が垣間見られますが、今は使われていない動物園の門の左側に、博物館動物園駅跡その1と同じようなデザインの地下鉄出入り口が見えてきます。現在は倉庫として使われているそうです。ひっそりとした中に猫が歩いていました。
  

市田邸

所在地:台東区上野桜木1-6−2
国登録有形文化財

江戸時代から上野の東叡山寛永寺は広大な土地を持っていましたが、明治の中ごろから土地の分譲を始めたので、上野の森は芸術家や文化人が住むようになります。また商人たちが落ち着いた上野の森に屋敷を構えることも多く、屋敷町としての一面もこの頃から出ています。
市田邸は1907(明治40)年に竣工された邸宅です。
日本橋で布問屋を営んでいた商人、初代市田善兵衛によって建てられています。 戦後は東京芸術大学音楽部声楽科を中心とした学生たちが下宿をする家となり、30名程の学生たちがこの家から巣立っていったそうです。
現在は地域や東京芸術大学の有志を中心として発足した『NPO法人たいとう歴史都市研究会』が平成13年に借り受けて、季節に合わせた行事や展示コンサートなどの文化活動の場として活用しています。丁寧に管理のもとに活用されていますので、築100年以上の建物ですが、風通しが良くなされているせいでしょうか家が生きている気がします。
展示のイベントのある日は門が開いていて、だれでも家の中に上がる事ができます。私が訪れたこの日は陶芸作家たちの展示が行われていました。作品をみせて頂きながら、家の奥にある蔵など重量感たっぷりの内部を撮影させていただきました。
夕刻に訪れましたが、それもまた良い情景で、灯りが柔らかく家の内部を照らしていました。質素でも心豊かな時代があったことを思い起こさせてくれる時間を、市田邸の中で過ごす事ができました。
                                                 
 

須賀邸

所在地:東京都台東区上野桜木1-4-2
建築年月日:1921(大正10)年。木造二階建。

市田邸を見に行くために通りがかったらありました。
洋風と和風が組み合わされた趣です。洋館の方の飾りは何を表しているのでしょうか。大正ロマンが感じられます。
   



Oct.2009 撮影:杉浦 啓之

DVD video

日暮里・上野界隈散策

・ 日暮里で1928年イギリス製?のバイクとの出会
・文化祭への道(谷中から上野高校へ) 
・少し前の上野(2002年と03年の開業120周年の上野駅構内)
・今の上野 パンダ橋から台東区役所と浅草方面へ
など

作者のナレーション付

9月21日から25日まで開催の「第2回したまちコメディ映画祭in台東」に作品の応募(そのコメディ作品は、落選でしたが、10月から日本財団のドキュメンタリー動画祭でもWeb公開)や映画祭のボランティア参加をしました。
その打ち合わせや子供の通う高校の関係から日暮里 上野周辺に出かけることが多く、その時カメラで写した街の様子をまとめて編集しています。
足立区とはちがった歴史や伝統を感じる街で、思わぬ発見に満足しています。

 

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