JAPAN GEOGRAPHIC 東京都台東区/文京区 谷中根津千駄木の街並 
Yamaka Nezu Sendagi

 


2004 瀧山幸伸

    谷中根津千駄木の街並概観

 谷中には約70もの寺が集まっているが、ほとんどは明暦の大火後に移転してきたものである。この大火はそれまでの江戸の町人町を全くと言って良いほど変えてしまい、そのまま現在の東京の原型となっている。寺町としては当然ながら全体的に和風の情緒があるが、京都のように貴族が創った町ではないので雅やかさには欠ける。明暦大火以前の素朴な田舎っぽさを残しつつ次第に形成された江戸郊外の寺町だった。その街並は明治以後の近代商工業主義に破壊されることもなかった。上野の芸術愛好家に関連した「文化がわかる見識人」にも支えられ、古い街並が保存され、西洋アトリエ風住居や美術館も街並に調和してきた。その延長として海外からの若者が日本文化を実体験する目的で訪れたり暮らしたりしている。近年マンション開発において地元との軋轢が生じたことは非常に残念である。
 この地域の環境を、地形と水文、動植物、交通、地域社会について概括しておこう。個別の街並や文化などについては後述する。
 現在の街並は二つに大別される。尾根筋及び尾根下の寺と大型住宅の街並と、谷筋の横丁及び横丁からさらに入った路地裏の古い密集住宅や商店の家並みとである。それらが対峙せず連綿と混在し調和しているところがすばらしい。両者とも基調の「和風」が保たれているからであろう。
 この地域には井戸や湧き水が多い。寺の井戸、生活用の井戸、馬に飲ませていた井戸など数多い。湧き水は尾根下の崖線に沿って見られる。谷筋の藍染川が暗渠になったのは残念だ。水景と水のサウンドスケープについても特色のある地域だ。本郷菊坂などと同様、古い井戸が今でも利用されており、寺社の手水舎が至るところにある。景観のみならず音としても和風の印象が醸し出されている。水の音や風鈴などの風の音は貴重な癒しであるが、自動車社会と冷暖房に慣れた現代人には疎遠になってしまった。水を谷中以上に大切にしているのは、郡上八幡や島原など、水が車以上に生活に密着しており、地域社会が積極的に自動車を排除した街並である。都会人が田舎の温泉場で安らぎを覚えるのは、水音が重要な要因であろう。それは胎内羊水に浮かんでいた当時の原体験に起因しているのかもしれない。
 谷中界隈では至る所に猫が姿をみせる。路地や軒下といった猫の住みやすい環境が多く残っているからであろう。野良猫にもやさしい、人情に厚い人が多いのだろう。猫が猫好きの人を媒介し、猫好きが伝染するのであろうか、招き猫関連のギャラリーや雑貨店などが目立つ。
 この地域の台地部分の潜在植生にアカマツがあげられるが、大気汚染に弱く江戸時代後期には既にその数が減少していた。現植生は、寺町と尾根沿いの常緑照葉樹の喬木に代表される。路地では、その狭い物理空間ゆえに植木鉢などで緑の小宇宙を楽しむ工夫がなされている。通過交通が無く、権利関係でもめることも少なく、長屋的コミュニティが保たれているからであろう。このコミュニティの原型については、戦後すぐのRPドーアの名著「都市の日本人」が参考になる。当時のライフスタイルやコミュニティと現代都市のそれと、どこがどう変わったかを比較することは興味深い。核家族化とマンションライフスタイルで育った若者は、ドーアが記録した町を日本だとは思わないだろう。学生時代以来30年ぶりに読み直してみたが、当時それほど違和感が無かった記述が、今では別世界のことのようで大変驚いた。谷中根津千駄木のコミュニティに密着して活動している森まゆみさんを地元の人は高く評価している。マスコミ嫌い、よそ者嫌いの人が多いが、森まゆみさんの話題で盛り上がると取材がスムーズに進むことが多かった。当方もコミュニティの仲間とみなしてもらえたのだろうか。その土地の歴史と文化と社会を知り、敬意を表することは、「よそ者」の転居者や開発事業者には非常に重要ではなかろうか。「相互理解」は国際的にも重要だが、身の回りでも実践は難しい。日本の田舎旅キャンペーンを憂う知識人が居た。都会の若い女性がおしゃれな洋装で田舎の老人の野良仕事を興味深く覗き込んで写真を撮っている。人はそれを微笑ましいことと思う。ではその逆に、野良姿の老人が都会のオフィスにやって来て、そこで働く若い女性のパソコンを興味深く覗き込んで写真を撮ったらほほえましいだろうか。相手方に自分の論理を一方的に押し付けていることへの警鐘ではないだろうか。詳細

(注)この地区は広くしかも入り組んでいるので、やむを得ずアトランダムに記述した。実査に際しては各記述の所在を地図で確認して欲しい。迷いながら訪れるたびに新しい発見があるのもこの街の魅力だ。

千駄木の街並

 千駄木には美しい和風住宅が多いが、ほとんどが高い塀で覆われている。それを生垣に変われば見違えるような美しい街になるだろう。景観だけではなく、生垣の効用は見直されるべきであろう。昨今、防犯に高い塀は役立たない。生垣は通気性も良いし、震災で倒壊する危険も無い。常緑樹の生垣は意外と延焼を防止する効果も高い。メンテナンスのコストはかかるが、一戸建ての庭の一部であるから庭の手入れ延長だ。生垣の主張はそこの住人のアイデンティティとして重要な要素だと思う。通り沿いの生垣のシーケンス(連続景観)はなおすばらしい。知覧や出水、飫肥は生垣を非常に大切にしている。
   千駄木の街並を評価する(地図B2)

 この街並は街路幅が広く敷地も広い。各区画の緑が多くスカイラインは美しいけれど、高く圧迫感のある塀とその材質の無機質感が残念だ。この街並は塀を生垣に変えるとどう生まれ変わるだろうか。この二つを比べてみると一目瞭然、生垣がいかに街を美しくするかを理解していただけるだろう。生垣の良さは、外から中は見えないが、中から外は垣間見えることではないだろうか。歌舞伎の下座の簾と同様である。塀のほうが窃盗進入の危険性が高いそうだ。
  

さらに電柱を地下に埋設すると、別世界のように美しい街並となる。知覧や出水の町の美しさは生垣の美しさと電柱が無い美しさだろう。こんな街だったら毎日散歩しても楽しいだろう。もっと踏み込んで、道路舗装を江戸時代の火山灰の泥道風に変えてみよう。これは賛否両論あろうが。
  

参考:知覧の街並、出水の街並
   Rue des'Arts(芸術横丁)と名づけられた通り(谷中根津地図C5)
 この通りには、店舗やアトリエにRue des'Artsと名づけられた住居表示が飾られている。芸大に近く、通りのコミュニティ仲間でパリの雰囲気を醸成しようとの意図であろう。各店舗はそれなりに自由なデザインを用いているが、基調として「和洋融合アート」が感じられる。たとえば緑の外壁を用いた店舗の外観、ファニチャーに至るまで和洋どちらにも調和するよう考慮されており、谷中の街並に溶け込んでいる。
 

観音寺築地塀(地図B3)
 築地塀は垂直ではなく斜めに傾斜がついているので道行く人への圧迫感が少ない。塀の屋根瓦と、それ越しに見える寺院内建築の屋根が同じ素材、同じ様式であり、複数の甍の波が見事に調和している。道の反対側から眺めると、手前の塀の瓦から始まり、徐々に建築物の高い屋根が現れる、風景絵巻のような見事なスカイラインである。

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谷中学校(地図C3)
 平成元年にできたコミュニティの拠点だ。それ以前、谷根千工房をはじめこの地域の町を考えるグループが集まり、東京芸大建築科の前野研究室を事務局に「谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」が行われた。この調査に加わった大学院生が谷中の建物や街並への提案をまとめ、展示会やシンポジウムを開いた。それを契機に、谷中の生活文化を大切にしたいと考える地元有志と、調査に加わった若手が協働する形で「谷中学校」が結成された。その後、谷中芸工展、町歩き案内、ワークショップ、シンポジウムなどの各種イべント、案内マップの作成販売、市街地の調査や計画提案、建物づくりや保存・再生のコーディネートなど、ときには町のブレインとして多岐に渡り積極的に活動している。
 さんさき坂から築地塀への道 (地図B3)
 通過交通が少なく静かな空間だ。突き当たりの山門の朱がアイポイントとなり印象的だ。手前の松がさらにアクセントを添えている。山門の赤、松の緑、山門屋根の黒と、色のコントラストが美しい。
  
  根津の裏通り、旧根津愛染町付近(地図B5) 
 通過交通が無いので安心して歩ける。至る所に植木鉢の緑があり、木造民家の渋めの外壁に良いアクセントを与えている。滝野川、駒込からこの付近を経由して不忍池まで藍染川が流れていたが今は暗渠だ。蛇行しているので蛇道とも呼ばれている。漱石の三四郎と美弥子が腰を下ろしていた藍染川は、二人が始めて手と手を触れ合わせた場所だ。暗渠では水面も見えず、全く潤いが感じられないのは残念だ。東京に復元して欲しいものは昔の川だ。街に潤いを復活させるためにも、このような暗渠は地上に出そう。逆に日本橋の上を走る首都高は地下に入れよう。百年単位で考えて、遅かれ早かれ実行するならば早く実行したほうが良い。東京の小川も日本橋もかつての姿を蘇らせてほしいものだ。
  

三浦坂(地図B5) 
 坂の途中にある店舗は猫関連の店だ。谷中には猫がたくさんいる。和風の街並にはなぜか猫が良く似合う。洋風の街並には毛並みの良い洋犬が似合う。猫の悠長なリズム感が谷中の人々に和みを与えるのであろう。「なごみ=和」かもしれない。和風の家の隙間、いわゆる「間」が猫にとっても人間にとっても都合が良いのであろう。猫は快適な「場」を知っている。季節や時間の移ろいと共に変わる陽だまり、車の喧騒を離れた庭、日当たりも景色も良い屋根。猫が快適に暮らせる街づくりを目指せば人も快適に暮らせそうだ。猫に快適度をインタビューするわけにはいかないが。
  
  蓮華寺付近(地図B4) 
 この付近に来るとほっとする。中心部には針葉樹の大木が聳え、ランドマークとなっている。この木の下に立ってみよう。各方面から道路が集まっており、「気」が満ちている。しかも車がほとんど通らず静かだ。車が来ないので緊張感が取れ非常に落ち着く。四季折々どの季節でも、目には周囲360度の美しい景観が、耳には鳥の声が、鼻には花の香りがすばらしい。
 蓮華寺は花が美しい寺だ。夏には蓮華にちなみハスが美しい。天国の曼荼羅を感じる。さらに山門の朱が美しい。「和」の色は、木造部分や墨絵墨文字の「黒」、大陸からの「朱」、漆喰や和紙の「白」のコントラストが重要だと思う。それぞれの色が、「鼠色」が百種類以上あるように陽の変化に伴い微妙に変化するからすばらしい。日本人の色彩感覚は着物の色に顕著に現れている。最近は着物が着られなくなったので、ますます身の回りの「和風」の感覚が忘れられて行く。
 妙行寺の山門と本堂の屋根が作るスカイラインがすばらしい。適度に低い仰角で圧迫感が無く、さらに屋根の曲線が柔らか味を演出している。
 大木の下から北側に向かう生垣道は秀逸だ。道幅と生垣の高さが調和し、季節には生垣の花が咲き誇る。このような生垣道が東京の至る所に欲しい。さらに道を少し蛇行させればシーケンス(景観の連続)に「揺らぎ」が生じ、良い散策路になるだろう。「ゆらぎ」は自然のなせる業、和の重要な要素ではなかろうか。
         
谷中堂(地図C4)
谷中には猫が多い。猫関連の人形、インテリア小物を扱う店。オリジナルデザインの「江戸招き猫」を販売している。店舗の外観は街並に調和した和風で、黒格子が良いアクセントとなっている。
  
すぺーす小倉屋(地図C3) 
 江戸期(1847)の質屋店舗建物。大正期(1917)の土蔵を活用存続するためにアートスペースとして平成5年から開放されている。古い建造物内で様々なジャンルのアートが楽しめる。漆喰壁の風化損傷防止のため1980年頃トタンで外部を囲ったが、外観を元のとおりに復元したいとの目標を持っている。内部には明治後期の格子障子がある。左右合計10面よりなっており、暑い夏は全て外し風通しを良くし、寒い冬は取り付け室内に火鉢を入れるなどして過ごしたそうだ。

和食器インテリア 韋駄天(地図C3) 
 和風の外壁デザインが美しい   


あかじ坂(地図B5)
 谷中にしては別格に広い道幅で明るい坂だ。 この崖上一帯が、明治から昭和の初めにかけての株式相場師、渡辺治右衛門の屋敷であった。金融恐慌で破産し、当時の町の人々が付けた皮肉な名前が「赤字坂」である。坂上から見下ろすと、右側手前の木造建築が美しいランドマークとなっている。さらにそこから坂下へと続く植栽と石垣のシーケンス(連続景観)が美しい。
  
谷中小学校(地図B4)
 時計台のデザインが美しい。時計自体は江戸時代当時最も西洋文明的な輸入品だったのだが、それを和風の燈明台に据え付ける江戸職人の美意識に感心する。昨今ストリートアートや環境デザインがブームである。抽象的な彫刻やモダンな素材も良いが、それらを伝統的なもの、自然なもので融和させる技法は、日本的公共アートのあり方のヒントになる。
  


朝倉彫塑館(地図C3)
 外壁の色と建築意匠は施主が谷中の街並を意識してのものであろう。近代現代芸術も和と対峙するものではなく、屋外の彫刻も町にアクセントを添えている。美しい街並を形成するためには施主一人一人の美意識とコミュニティの暗黙の合意が必要なのかもしれない。「不動産は自分の権利だから何をやっても自由」という論理は古来の日本には存在しなかったであろうし、谷中のような古風で濃いコミュニティの街には今でも存在しないだろう。この街がマンション開発に神経質になっているのは、その点で確執があったからであろう。日本人は私権、特に不動産の権利を濫用していると常々感じる。一見身勝手と思われがちなアメリカでもそのような論理は通用しない。看板の新設や改造でさえ審議会にかけられる。街並にそぐわないことは近所の人も猛烈に抗議する。自邸の芝生の管理、道路の落ち葉や積雪の管理を怠ると市民として受け入れられない。企業進出や企業による開発には従業員も含め企業市民としての社会貢献を求められる。日本でも小学校でエコロジーやリサイクルなどの環境問題を教えるなど、公益性の認識は高まりつつあるので将来に期待したい。
   


本行寺(地図C2)
 小林一茶の歌碑が心を和ませる。このような碑が都心部の通りや広場に多数あれば潤いが演出されるであろうが、そのようなところには洋風で乾いたストリートファニチャが氾濫している。そもそもこの歌碑の何が心を和ませるのだろうか。一つの要素は文字であろう。ひらがなや漢字は外国人には新鮮な驚きを与える。一方日本人には「懐かしさ」を与えるのではなかろうか。もう一つは碑石の自然感だろう。最近の墓石のように四角四面ではない。洋風建築に見られる人工的で鋭角な素材や金属ガラスなどは心理的に冷たく阻害的攻撃的な印象を与え、目に痛い。和風建築や庭園が心を和ませるのは、建築素材の自然感と色はもちろんのこと、屋根の曲線がスカイラインを和らげているからであろう。和風の建築は庭園と融和しており、植栽、石、水、鳥、魚、人が渾然一体となる。この「自然との一体感」、人さえも自然の一部であるというアニミズムが和の本質かもしれない。洋風は「自然からの隔離、自然の征服」、神と人が自然と対峙する一神教の世界観が根源にある。哲学を含めた総合的な風土の違いが和洋それぞれの街並を作るのであろう。今の日本に哲学はあるか、甚だ怪しい。
  

延命院の大楠(地図B2) 
 常緑広葉樹の大木は風景に潤いを与える。クスノキから発せられる物質にも良い効果があるのではなかろうか。本来の江戸にはアカマツの自然林があったが、大気汚染のためほとんど枯死してしまった。アカマツの古木林は大変美しいが、千葉の市川近辺まで行かないと見られなくなった。

民家内の稲荷社(地図C4)
 これくらいのスペースがあれば神社が設置できる。都心部にも昔は祠が至る所にあった。それが復活すれば神社めぐりができる。人間は欲張りだから願い事はたくさんある。専門分野毎にご利益がある小さなほこらがたくさんあれば嬉しい。
  

ゆうやけだんだんと谷中ぎんざ(地図B3)
 ここから見る夕焼けが名物である。景色だけを比較すれば、北の富士見坂や道灌山公園からの景色が素晴らしいが。階段があるために車が通れない。この常時歩行者天国の街並が道行く人々に大きな安心感を与えている。階段上の落ち着いた街並と階段下の活気ある商店街のコントラストが楽しい。ローマのスペイン坂のように、若者がこの階段に座って愛を語らう日が訪れるかもしれない。代官山でも和のショップが人気だが、なんとなく街になじまない。芸術や和に敏感な若者はこの周辺に集うようになるかもしれない。有名なロケ地ともなり、東京のトレンディスポットが誕生するわけだ。階段上には街並に調和した飲食店などが並んでほしい。日暮里駅から歩いても1,2分、恵比寿よりも便利だ。昼夜共に楽しい時間を過ごすスポットになるはずだ。ハンバーガーやコーヒーのチェーン店が進出する際には外観だけでなくメニューやユニフォームまで街並に調和するものにして欲しい。
    富士見坂
 この坂は無機質なアスファルト舗装ではなく石畳だ。せっかく石畳にするのであれば伝統的な材質や張り方なども検討してもらいたかった。石畳は数百年続くだろうから、長年続いた伝統的な方式は無視できない。近隣住民の意見なども取り入れればさらに良かろう。住民も長期的視点で石畳に合った建築や植栽を考えるであろう。
  

南泉寺 禅宗の静かな寺院。本堂の意匠が美しい。
    

南泉寺向かいのアトリエ 
 建物の外壁は濃鼠で、周辺環境に合っている。内部は前衛的なアトリエ・ギャラリーだが、展示物は自然を活かしたものである。モバイルが風に揺らぐ姿が心地好い。これも「和風」の要素であろう。そもそも和風を生み出す風土とは何であろうか。和辻哲郎は、風土とは、単に気候や土地の豊かさ貧しさのことのみを指すのではなく、そうした環境の中で生まれ育った人間に染みついた民俗性のようなものを含めると言っている。他の多くの哲学者や宗教家が言っているように、自然を征服する西洋文化と異なり、自然との一体感が日本文化の原点であろう。清少納言の四季観や花鳥風月のみならず、風にそよぐ風鈴の姿と音など、五感に訴える要素を忘れてはならないだろう。現代のテレビ、映画などのマスメディア文明はコマーシャリズム優先であるから、このような一見退屈な自然観のほとんどを否定しているように思う。NHKの自然番組でさえ不必要なナレーションやBGMや演出映像が入ってしまう。見る側は人工物の中毒になってしまう。それは衣食住全てに言えることだが。

竹の演出効果
 竹は、和を演出するには最高の素材の一つであろう。植栽としての竹は秀逸だ。葉が風にそよぐ音、全体が風にあおられて自然の「揺らぎ」を作る情景、常緑の葉、幹の色、繊細な細めの幹、全てにおいて目と耳を喜ばせる。ニューヨークの旧IBMビルは、プラザエントランスに大きな竹藪を作り市民に開放し、大センセーションを巻き起こした。竹は西洋には無く印象が繊細なので、新鮮さと芸術性を感じるそうだ。
 最近は和風のマンションを多く見かける。玄関付近に竹を植え、外観は濃鼠の建物が多い。和風のマンションは人工感を和らげ、帰宅する人や訪問客の心を和ませるのではあるまいか。もちろん近隣の街並にも調和する。さらに夜は和風の薄明かり照明が情緒を演出する。水銀灯や輝度の高い照明は目にも心にも痛い。電球職の蛍光灯で代用する試みもあるが、スペクトルが足りないので白色電球の柔らかさには遠く及ばない。
  

谷中の路地 好き嫌いはその人の生まれ育った環境で異なるであろうが、静かな小宇宙だ。
  竹細工 翠屋
 日本伝統工芸展にも出展している竹細工の老舗。和風の家の外には緑の竹が似合う。内部にはこのような竹細工のインテリアが似合う。西洋人のほうがこのようなインテリアをより一層評価するのは、われわれ日本人が「どこにでもあるあたりまえのこと」と思っているからだろう。西洋人は日本のインテリアや建築が新鮮だから評価するのだろう。不思議な和製品が在日西洋人のインテリアになっていることは多い。逆に日本人は外国のインテリアや建築が希少だから評価するし、不思議な洋製品が日本人のインテリアになっていることも多い。人と違ったものを持ちたいという心理はエリクソンのアイデンティティ理論の根幹であり、衣食住全てに言える。衣については、秀吉の陣羽織の赤は当時の日本の染料アカネでは出せない先鋭な赤だ。メキシコで採れたコチニール(虫)を使って染めた、当時としては大変貴重なものだ。食については、海外での日本食ブームはいまさら言うまでも無いだろう。住についても、西洋人観光客をその地域に招きたい、住宅に入居してもらいたい、外資系をビルテナントに迎えたいと思うならばどうすればよいか、西洋の物真似ではアピールしないな、と考え直す必要はあろう。
     

旧吉田屋酒店 (下町風俗資料館付設展示場)
 谷中のランドマークとなっている建築物だ。かつて谷中6丁目の一角にあった商家建築である。棟札には明治四十三年(1910)新築、昭和十年一部改築とあり、明治期の商家建築の様式を知ることができる。明治から昭和初期に至る酒屋店舗の形態を後世に遺すため、昭和六十二年移築復元し当時の店頭の姿を再現、展示している。板碑、量り売りの器具、懐かしい昔のポスター、琺瑯引きの看板等、当時の商家の息遣いが感じられる。正面は一・二階とも出桁造りで商家特有の長い庇を支え、出入り口には横長の板戸を上げ下げして開閉する揚戸を設け、間口を広く使って販売・運搬の便を図った。一階は店と帳場で、展示している諸道具類や帳簿などの文書類も実際に使用されていたものである。帳場に続く階段をのぼると三畳半と八畳の部屋があり、店員等が使用していた。向かって右側の倉庫部分は、外観のみを明治四十三年の写真にもとづいて復元したものである。店舗後方の和室部分は玄関と一部用材を除いて新築である。一階店舗と二階部分及び道具・文書類が台東区指定有形民俗文化財として指定されている。
 さんさき坂の伊勢五酒店も落ち着いた和風建築である。酒屋や醸造所は和風建築が似合う。
  路地の中央にある井戸 
 今でも使われている。これがあれば路地の清掃、水撒き、植木への潅水に水道水を使うこともない。 

茨城県宿舎
 公共団体がこのような伝統的施設を動態保存して活用していることは好ましい。
  寛永寺坂、和菓子喜久月近くの朝顔の鉢。
 入谷鬼子母神の朝顔市で調達した直後だろう。朝顔市は下町の生活に密着した伝統行事である。すぐに屋根に伸びる朝顔が谷中の町に潤いを与える。目に楽しいだけでなく緑陰を作り風を呼び込む。一夏を涼しく過ごすための必需品だ。喜久月は川端康成が上野桜木に住んでいた当時贔屓にしていた老舗である。和風の街にはおいしい和菓子屋がある。
  はん亭
 3階建ての和風建築。すだれ、手すりが美しい。入口の明かりも風情がある。
  
はん亭通りの店舗。モダンなテイストでありながら和風の演出も程よく、街並に調和している

寛永寺坂下(天眼禅寺 玉林寺)
 ありす川 は、格子、陶器製看板と字体、コピーが和風と手作り風の温かみを演出している

  江戸千代紙菊寿堂いせ辰
 このようなお店はみやげ物屋としても重宝する。小布施にもこのような素敵な紙店が多い。和紙は日本文化を表現する大きな要素だ。堀木さんの活躍がそれを現している。

菊見せんべい 和風の店構えと看板が美しい。
  ペチコートレイン
 あんみつが食べられる洋風喫茶。夜は不定期にライブ演奏が入りこじんまりと楽しめる、ほっとする空間だ。フォークギターで懐かしの名曲弾き語りもあり、気の合った仲間数名で豊かな時間を過ごすことができる。

立善寺
 アンパンマンの看板、 バイキンマンのお地蔵さんが入り口にある。幼稚園を併設しているので園児向けに改造したのか、一風変わったお寺だ。 このようなお地蔵さんの遊び心を持つ住職の人柄が感じられる。日本全国にキャラクターのお地蔵さんができれば子供には嬉しいだろう。
  須藤公園
 元の屋敷跡。山水式庭園様式である。崖線に沿っているので若干の湧水が見られる。この崖線沿いの湧水は、北区の名主の滝まで点々と存在するが、枯渇の危機に直面している。
  


須藤公園上付近の和風建築
  


旧安田邸付近の和風建築 
  



千駄木の路地 
 千駄木の道は細い。どこに抜けられるかわからないような細路が縦横に走っている。通過交通がほとんど無いので静かで楽しい散策が可能だ。車の騒音は苛立たしく、恐怖心も与える。都会ではほとんどの人が静かな夜を忘れ去ってしまったのではないだろうか。車世代に生まれ育った人は最初からそのようなものを知らないだろう。葉擦れの音や虫の声が聞こえる静かな夜、鳥の声で目覚める快適な朝を知らずに、車の騒音を無意識に避けるためにテレビやゲームのボリュームを上げて育っているのだろう。都心部で環境測定をしてみればわかる。都会の騒音は、車やエアコンの室外機などでかなりのデシベルとなる。田舎の音もかなりのデシベルかもしれないが、その質は全く異なる。音の質がバイオフィードバックなどにより医学的にどのような音響効果をもたらすか、既に検証されているのではなかろうか。

高村光雲・豊周 遺宅
 風にそよぐ竹がすばらしい。塀が変わればさらにすばらしくなるであろう。
  
上野公園(国立科学博物館 国立博物館ほか) 
 国立博物館と佐倉の国立歴史民俗博物館は日本文化を勉強する宝庫だ。一日中居ても全く時間が足りないし、訪問する都度新たな発見がある。海外の博物館のように撮影もOKとして欲しい。上海の博物館はビデオ撮影も全てOKだ。

旧因州池田屋敷表門
 因州池田鳥取藩32万5千石の江戸屋敷の表門で、入母屋造に唐破風の出番所を設けた造りは大名屋敷の門としては最高クラスの格式を誇る。
    芸大音楽部
 和風建築の守衛所、和風を保存した構内造園修景など、伝統的な環境が音楽芸術創造のキャンパスに良い影響を与えているのではなかろうか。寛永寺中堂
 美しい建物だ。堂は桁行、梁間ともに七間、全面に三間の向拝と五段の木階、背面には一間の向拝があり、周囲は勾欄付回縁をめぐらしているが、背面の回縁は中央間の左右に木階を設けて、基壇面に降りるようになっている。
正面中央の三間は桟唐戸、その左右二間は蔀(しとみ)戸、背面の中央間以外は板壁となり、すべて素木のままである。入母屋造、本瓦葺。
内部は内陣が土間で、外陣と同じ高さの須弥壇を設け、その上に本尊その他の仏像を安置している。この内部の構造は中堂造と呼ばれ、天台宗建築様式独特のものである。現在は仮の床が張られ、内外陣共にすべて畳敷きになっている。本尊の薬師如来三尊立像は、国重要文化財の指定を受けている秘仏である。
  桃林堂 
 柳の古木が和風の街並を引き立てている。柳は竹と同様和風に象徴的な植物である。倉敷、柳川、佐原など水辺の街並には柳が生態的にも最もふさわしい。

山中旅館 
 大通りから玄関までの動線を路地風に修景し、和風の印象を醸成している。門の材質と看板の文字、灯篭、竹垣、笹竹などの和風植栽、石畳が和風演出の要素である。
  
谷中霊園の桜並木
 ソメイヨシノは芽生えから100年以内には枯れてしまう。人の一生と同様では短かすぎる樹木だが、人生と共に変化すると考えれば現世の鏡とい言えるかもしれない。枝を粗末にしたり、手入れをしないと若くして枯れてしまうところも人生と同様だ。
  
パティシエ イナムラ
 谷中霊園参道沿いの洋菓子店。和風の街の中で洋風の店も活き活きとした印象を与える。

和風の街角にはつる性のてっせん(クレマチス)が良く似合う。
  

谷中霊園入口付近の店舗 ファサードのデザインが街並に調和している。

よみせ通り延命地蔵 
 がらがら鐘の音、蝋燭の灯火、線香の香り、地蔵の表情、、、このような小さな祠が道行く人々の心を癒す。
  よみせ通りの旅館
 外壁の素材と色、玄関周りの意匠がモダンな和風であり、清楚な印象を与える。外人の宿泊が多いのもうなづける。なぜ外国の貴賓が旅館に泊まったり居酒屋に行ったりしたいのか、「和風」は気配りのサービスも「ミステリアス」であり、それが外人には付加価値だと認識される。
 浄明院 八万四千体地蔵 
 子育て地蔵ほか目的別にご利益がある大型の地蔵尊数体が各所に立ち、小さな多数の地蔵尊が整列している。その数に圧倒されるのだが、このインパクトを街づくりに応用できないだろうか。寺の境内に窮屈に並ぶのも良いが、谷中の町に繰り出せば、あるいは東京の至る所に繰り出せば、その街の風景が変わるのではなかろうか。このような例は他にもある。鹿児島の知覧には、幹線の通りに沿って数多くの灯篭が並んでいる。ほとんどは最近設営されたものだ。富山の井波にはほとんど全ての家の玄関や看板に彫り物がある。バス停や電話ボックスも見事な彫り物だ。
例えば日本橋地区の全ての通りに地蔵が並んだら、江戸400年記念の新名所ができるのではなかろうか。各所に愛嬌のある猿像なども配置したい。分野別に、子育て、交通安全、無病息災、学問成就などに区分しても良い。そうすれば日本橋発の新しい民話も生まれるであろう。お地蔵様はこどもと縁が深いので、若い親子連れが増え、日本橋が若返るだろう。老若男女街歩きがますます楽しくなるだろう。もちろん銀座や六本木でもそれは可能だ。一方、丸の内にはこのような和風のオブジェは若干の違和感があるかもしれない。こちらには「カウパレード」で等身大のプラスチック製乳牛が陳列されたように洋風のオブジェが良く似合う。
  羽二重団子周辺 
 王子街道と芋坂の辻にある老舗の創業は文化文政時代に遡る。店の外観はやはり小竹で和風に演出されている。建物内部の席は中庭に面しており、庭の形式は山水式である。ここでも竹が緑陰を提供している。葉が風にそよぎ陽がそこから洩れて美しい。ガラス張りなので葉擦れの音が聞こえないのは残念だが。店の調度も当然に和風であり落ち着く。テイクアウトのカウンターが騒がしいのは悲しいが。入口付近に江戸時代の店舗図や時代物の調度品、事務用品が展示されている。一つ一つに当時の人々の息吹が感じられて面白い。
 これに感化されてフィーチャリングショップを空想してみた。実現は不可能だろうが。創業当時を再現した「羽二重団子江戸オリジナル店」が別にあれば面白いだろう。当然空調は無いから、夏の暑さや冬の寒さを体現できる。街道の茶店だから、徒歩が必須条件。上野から茶店までの道中手形、いわゆるタイムスタンプがなければ入れないし買えない。車で行くことは原則禁止とするが、ペナルティ料金を払えば買える。そのような「苦労して調達した貴重品」を包んでもらえば、訪問客にとっても主人にとっても価値があろう。さらに笠森お仙のような看板娘が欲しい。お仙は天王寺(現谷中霊園)にあった水茶屋鍵屋の売れっ子娘。江戸中の人が見物に来た、今で言うスーパーアイドルだろう。鈴木晴信の浮世絵に登場するような粋な着物を着て欲しい。
       総括 総合的な印象に基づいた簡単な評価
Category
Rating
Comment
総合
 
都会にありながら江戸から現代までの時代毎の良いものを保存活用しながら生活している街
自然
 
緑を大切にしている
 
井戸水の活用
 
狭い住居に良く映える
文化
 
寺社、美術館から民家まで多数の施設がある。1日では回りきれない。
施設
 
道案内やトイレはかろうじて及第
フード
 
隠れた老舗多数


   
 
   

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