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鳥取県 大山町/伯耆町/江府町/琴浦町 大山

Daisen,Daisen/Hoki/Kofu/Kotoura town,Tottori
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西伯郡大山町大山9 大山寺阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 天文21(1552) 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝一間、こけら葺 19040218

西伯郡大山町大山 大神山神社奥宮 本殿・幣殿・拝殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化2(1805) "本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間幣殿・拝殿 桁行八間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、幣殿左右庇、拝殿正面両脇小部屋附属、拝殿左右長廊 各桁行九間、梁間二間、一重、入母屋造、背面本殿に接続総こけら葺" 鳥居2基 19881219

西伯郡大山町大山 大神山神社奥宮 末社下山神社本殿・幣殿・拝殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化2(1805) "本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間幣殿・拝殿 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、唐破風造、拝殿左右突出部 各桁行一間、梁間二間、一重、入母屋造、背面本殿に接続総こけら葺" 棟札1枚 19881219


Apr.3,2022 瀧山幸伸

江府から見た大山

  


June 2020 酒井英樹

大山寺阿弥陀堂
鳥取県大山町        
 
<阿弥陀堂>
 もとは常行堂として、貞観7年(865)に円仁(慈覚大師)によって建てられたとされる。
 その後、幾度となく修理を受けていたが、洪水で破損し、天文21年(1552)に古材を利用して現在地に再建された。
 正面5間、側面5間、宝形造、こけら葺。
 組物や柱など主な部分には鎌倉時代の様相を留めている。一方、向拝は江戸時代の修理の際の増築とされる。


2020年6月撮影

    

1992年8月撮影

  

大神山神社奥宮
        
鳥取県大山町

 大神山神社は延喜式内社、伯耆国二宮として崇敬を集めてきた古社で、本社は米子市に奥宮は大山中腹に置く。
 
<本殿・幣殿・拝殿>
 寛永8年(1796)の火災で焼失後、文化2年(1805)に再建されたもので、大工棟梁は京都の大工と地元大工の二人で務めたことが記録に残っている。
 本殿は桁行3間、梁間2間の身舎の四周に高欄付切目縁を廻し、正面に向拝3間が付く。屋根は入母屋造で檜皮葺。
 幣殿・拝殿は本殿向拝に接続する桁行8間、梁間3間の建物で、正面を入母屋造、軒唐破風とし、棟は本殿棟にT字型に取りつく。本殿寄り4間を幣殿、前寄り4間を拝殿とする。幣殿の左右に1間幅の庇、拝殿の左右に各桁行9間、梁間2間の長廊を付ける。全て檜皮葺。
 本殿、幣殿、拝殿、長廊がT字型平面を形成する複合社殿である。

2020年6月撮影

                 


《軒唐破風彫刻》

     
1992年8月撮影
   


<末社下山神社本殿・幣殿・拝殿>
 はじめ大山山麓の下山の地に鎮座していたが、中世に現在地の奥宮本殿・幣殿・拝殿の北側の一段低い敷地に遷座したと伝えられる。
 奥宮本殿・幣殿・拝殿と同様に寛永8年(1796)の火災で焼失後、文化2年(1805)の再建で、大工棟梁も同じであった。
 本殿は桁行3間、梁間2間、向拝3間、入母屋造、檜皮葺で、奥宮本殿と同形式。
 幣殿・拝殿は本殿向拝に接続する桁行5間、梁間3間の建物で、規模は縮小されているが奥宮と同じ構成を持つ。本殿寄り3間を幣殿、前寄り2間を拝殿とする。拝殿の左右には奥宮拝殿の長廊と同様に突出部が接続するが、各桁行1間、梁間2間と短く、周囲に縁を持たない。
 奥宮本殿・幣殿・拝殿同様にT字型平面を形成する複合社殿である。

2020年6月撮影

     
《蟇股彫刻》

    

《軒唐破風彫刻》

    

 両社とも特殊な形式で古い形を留めているとみられることから、貴重な建造物として重要文化財に指定されている。


May 22,2017 瀧山幸伸

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大山寺

Daisenji

                                                                                                                    

大神山神社と下山神社

Ogamiyamajinja and Shimoyamajinja

                                                                                                                                                                                                                     

霊宝閣

                                             


Aug.31,2016 瀧山幸伸 source movie

伯耆町から

Hoki town side

 

桝水原

Masumizuhara

       

鍵掛峠

Kagikaketouge

     


Nov.2012 中山辰夫

大山寺

鳥取県西伯郡大山町大山9早朝の大山麓の一風景 天候には恵まれなかった。目的であった大山北壁は勿論見えなかった。

           

大山はブナとナナカマドが紅葉の主役である。訪れた11月7日は最高に近い色づきだった。

御幸参道本通り(11月)

     

同上(8月ごろ)

     

大山寺と大神山神社奥宮大山寺

厳粛な雰囲気を放つ大山寺と大神山神社奥宮は、周囲を杉の老木に囲まれた静寂の中に佇む古刹である。

大山寺は奈良時代に創建された山岳信仰の霊場で養老年間(約1300年前)に出雲国玉造の俊方(金蓮上人)によって727(養老2)年開基、地蔵菩薩を祀り、修験者の根元道場とした。865(貞観7)年、慈恵大師によって天台宗になり、平安末期、室町時代には160の僧坊と3000の宗徒を擁する大寺院として寺勢を誇った。大山寺の座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を終え比叡山に戻って昇格

僧侶のキャリア形成の場であったという。

大山寺は、神仏分離で大智明大権現の社殿を大山寺から分離し、「大神山神社奥宮」とした。

本堂を中心に、寺宝を収蔵した宝物館霊宝閣、阿弥陀堂などが現存する。山門

平成12年に落慶法要されまだ新しい。石段手前を左折すると大神山奥宮の参道となる。

          

本坊・西楽院跡

大山寺は慶長年間(1596〜1615)以来鳥取藩の中で一種の治外法権的な地域をなしていた。この大山領を治めていた役所が本坊西楽院で

大きな石垣と石階段が残り往時の壮大な建物を偲ばせる。

   

本堂

1928(昭和3)の火災で、1951(昭和26)に再建

          

護摩堂

不動明王を祀る。

   

鐘突堂

   

宝牛

境内にある。西日本一の牛馬市が開催されていた。その慰霊につくられた。一つだけ願いを込めて撫でると願いが成就するとされる。

   

ここから金門・賽の河原を経由して南光河原の「上渡り」を渡って対岸にゆき、阿弥陀堂を目指す。賽の河原付近大山北壁を背に、元谷、金門を下って大山寺橋へ流れ出る延長1kmに及ぶ河原を「南光河原)と表現する。

河原は、北壁より崩落した岩がガレ場を作っている。

南光河原の最上端にある金門は狭い峡谷で大山寺への参道として使われていた。両側に断崖が迫りさまざまな渓谷美を披露する。この河原には、大山寺が隆盛の頃僧坊があり僧坊が金門を切り開いたとされ、参道の幅を広げた直後の大水で金門は流路となってしまった。

         

佐陀川の「上渡り」から川を渡る。阿弥陀堂までの約30分は「僧兵コース」のトレッキングコースである。

幅1mほどの山道は、流れの音、枝葉のそよぎ、燃え立つかえでの大合唱で退屈しない。暫くは色鮮やかな光景が続く。

この一帯は、僧兵武練の地で、金門付近で日夜修行に励んでいた。僧兵たちが修錬に通っていた道で、隆盛の頃の痕跡が並ぶ。

          

西日本一のブナ林が周囲を黄色に染めつくす。

大山を代表する林はブナ林である。海抜600〜1350mのち地帯が最も安定して育つ。

     

阿弥陀堂

川越から結構な距離を歩いた。本堂までの石道を堪える。

     

阿弥陀堂は、国重要文化財、大山寺に現存する寺院の中で最古の建築物である。

平安初期に創建、藤原期に建立され、1529(亨禄21)年に山津波で崩壊。その後1552(天文21)年に再建された室町期の建物。

寄棟構造で、?葺き。本尊は仏師・良円の作と言われる丈六(2.79m)の阿弥陀如来像

     

内・外陣の彫刻が目を惹く。

    

本尊:木造阿弥陀如来三尊像「平安後期1131年大仏師良円の作 国重要文化財」

両脇に観音と勢至の両菩薩を安置している。建物・仏像共に国重要文化財。

    

大山寺塔頭 園流院

もとは江戸時代に建てられた。平成21年に再築。画僧?然ゆかりの寺 水に浮かぶ仏閣と水木しげる妖怪天井で有名

     

天井画は、水木渾身の作、「からす天狗」など108点。天井画の正しい見方は仏間に頭を向けて寝転がって見ることのようだ?

「からす天狗は大山ノシンボル。水木先生が「米寿」を祈念して園流院のために筆をとった。

     

本尊:地蔵菩薩

 

洞明院

園流院と道を隔てて建つ。現在は宿坊となっている。

入口の門は江戸期(1600年頃)のもので、花や猿の彫刻がほどこされている。

この他にも不動尊・毘沙門天や「大山寺縁起」写本などの宝物を有している。

       

大神山神宮奥宮社殿は全国最大級の壮大な権現造で、国の重要文化財。幣殿の白壇の漆塗りは必見。

もとは大山の神である大智恵明権現を祀っていたが、明治初期の神仏分離によって現在の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)である。

檜皮葺の拝殿と本殿を幣殿が結ぶ権現造り。明新鳥居

大山寺山門手前を、左折して進む。すぐに横に鳥居が見える。

     

参道

有名な700mの石畳の参道が続く。日本一長い石畳は自然石を敷き詰めたもの。

     

両側の杉木立の根元付近には僧坊跡が随所にみられる。

   

銅の鳥居付近

博労座より移築された。「博労」とは、牛馬の売買や仲介を業とする人で、約300年前、大山の祭日に開催された牛馬市の会場があった。

    

この石段を登ると・・・・

   

神門

逆さ門、後ろ向き門と称される。扉が開かないようにするための閂(かんぬき)が、内側でなく外側についている”後ろ向き門“

元々大山寺本坊西楽院の表門としてあったものを1875年に寺から神社にそのままの向きで移転した。

         

狛犬

   

この先には、大神山神社奥宮の社殿が並ぶ。元々は僧が修験のための大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けたのが始まり。拝殿

国重要文化財

1805 (文化2)年の建造。拝殿の左右には長廊がある。

正面

       

周囲をひとまわり

     

組物

格格子の彩色画も見事。その他、西日本最大級の神輿もある。

     

幣殿

国重要文化財

1805(文化2)年の建造

白壇の漆塗りは日本一の規模を誇るとされ極彩色豊かで美しい。ただただ圧巻である。

            

本殿

 

末社・下山神社

1330(元徳2)年に建てられた「下山善神」が起源。現在の社殿は1805(文化2)年に建てられた。

八棟権現造の複雑な屋根構造を持ち、とても華麗な美しい造りである。

       

狛犬

    

大山寺橋からの遠景

北壁は見えない。

  

帰路、鍵掛峠へ向かう途中、あまりに美しいブナ林に出会い途中下車する。

     

鍵掛峠からの大山北壁

残念ながら雲が切れなかった。

     


Aug.2010 瀧山幸伸 source movie

A camera

大山寺

Daisenji

  

                                        

                     

大神山神社

Ogamiyamajinja

     

                                                                                                                         

賽の河原、金門

Sainokawara、Kinmon

                

           

大山寺 阿弥陀堂

Daisenji Amidado

                                

B camera

                               

            

                                                                                        

                

    

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